2 『全治』
「お大事に~」
いつもと変わらない挨拶をして、患者を見送るナオシゲ。農作業中に足を挫いた中年の男性だった。
ここに来る患者は小さなケガをした人がほとんどだ。小さな村のため、命にかかわるケガをすることなどほとんどない。こけて膝を擦りむいただけの子供が来ることもある。
幸いにも村には若い人手が多く、老人を背負って連れてくることも可能だ。そうでなくても、村に接する森に入って小道を進むだけなのだから、行き来に時間がかかることもなく、軽い心持で来られるのだろう。
こちらとしても、ただ天恵を活かして仕事をし、たまに話し相手になるだけで村の人々と良好な関係を築けるのだからありがたい。森の中だと集まる食料も集まらないのだ。
こうして優しい人々と関わり合いながら狭い世界で役に立ち、頼り、生きていくのだ。まさしく理想のスローライフ。街で働いていた頃には面影すら見せなかった平穏が、ここでは姿を現すどころか全力で抱擁してくれる。
これからもこの幸せに包まれながら、人生を謳歌しよう。
そんな風に、思っていた。思ってしまった。
その日は、朝からよく晴れた清々しい一日だった。
季節は初夏。ナオシゲは暑さで少し喉が渇いたため井戸に水を汲みに行き、ついでに家の裏から森に入り食べられそうな草やキノコを探していた。一応部屋に、「裏にいます」と書置きを残しているので患者が来ても大丈夫だろうが、あまり森の深いところまでは行かないようにしておく。
何もないなあとため息をつきながら歩いていると、遠くから声が聞こえた。
耳を澄ますと、それが自分を呼ぶ声だと分かった。「先生」、「“誰癒”」と、連呼している。若い男性の声だ。祖父母がケガをしたといった所だろう。
小走りで病院に戻っていると、だんだんと自分を呼ぶその声が切迫したもののように感じられてきた。少しだけ冷や汗を浮かべながらも、まさかなと思い森を出る。
「今戻りました! 何かございまし……」
「あ、先生! 大変なんです!」
森に向かって大声を発していたその若い男性は、片腕を失っていた。
「うわ! 大丈夫ですか、腕!?」
そう言って駆け寄りながらも、「なんだただの欠損か」と思っていた。焦っている雰囲気からこちらまで少しヒヤッとしたが、その程度の傷なら確実に治療することができる。
「違うんです! 俺は良いから、とにかく中に!」
「え、ちょ、待っ」
失っていない方の片腕に引かれ、大急ぎでベッドが置いてある病室に駆け込む。
三つあるベッドの内の、若い女性が横たわる一つだけが異様な色をしていた。
大量の血の赤に、染まっていた。
「こ、これは……!?」
男性に質問しながら、ベッドの脇に駆け寄り体に触れ、すぐさま〈全傷完治〉を発動する。女性の体が黄緑色に光り始める。
「森の中を散策してたら、急に植魔に襲われたんです! ここら一帯は出ないと聞いていたのに!」
植魔。魔族の一種。
森の中で木に擬態して息を潜め、近づいてきた獲物を蔓で絡めとって狩る。大きさは大人の男ほどもあり、小さな子供や動きの鈍い老人などは格好の餌食だ。
ナオシゲもその存在はよく知っているが、実際に見たことはない。
「背中から大きく抉られていますが、大丈夫です。内臓の損傷、背骨や広背筋などの欠損が酷いですが、幸いにも出血死には至っていません。脈もあります。こうしていれば、じき治ります。あなたも、腕を出してください。その感じからして、腕を食べられましたね?」
男性の方を向き、片腕で触れ、再生させる。
「はい。並んで歩いてて、ふと彼女の方を見たら、ちょうど後ろから大口を開けた植魔が飛び掛かってきているところで。咄嗟に彼女を背後の植魔から遠ざけようと背中を押したのですが、間に合わず、俺の腕ごと彼女の背中を抉られてしまいました」
基本的に蔦で身動きを取れなくしてから捕食するのがヤツらの狩りの定石らしいが、変わった個体もいるのだな、と思った。だが、魔族は普通の動物とは違い、人間と同じような理性を獲得している。それが共存に向かないだけで、合理的な狩りをするために各自で臨機応変に襲い方をしても、何もおかしなことはない。
「なるほど。少しでも遅れていたら彼女は助からなかったかもしれませんでしたね。あなたの行動は素晴らしいです。あ、もう腕は治ってるので大丈夫だと思いますよ」
「……本当だ。よかった、リョウ……助かったぞ、俺たち……」
リョウとはこの女性の名前だろう。二人は恋人か何かだろうか。
昔は漠然と「欲しいなあ」などと思っていたが、今ではこの安定しきった生活に慣れているので、必要ないと思える。
「どうですか、先生。彼女、治りそうですか?」
「大丈夫ですよ。そろそろ内臓も修復されて、損傷が酷かった背骨や筋肉の方もあらかた治り終わりますから。緑色のオーラが消えたら治りきった、ということです。でも、しばらく意識は戻らないでしょうね。相当なショックだったと思うので」
そう言う間にも、みるみる傷が癒えていく。背中もほとんど傷が無くなっている。
この調子なら、あと2,3分で終わるだろう。
5分が経過した。光はまだ消えない。
背中の傷は完全に塞がり、そとからは何の異常もないように見える。思った以上に内臓に時間がかかっているのだろうか。
「意外と長いんですね。俺の腕はあんなにすぐ直ったのに」
「そうですね……僕としても想定外です。恐らくは内臓の修復に手こずっているのかと。こんなことは初めてなので、僕にもよく分かりませんが」
「ちなみに、先生の天恵って、これは治せない、っていう制限ありますか?」
「制限ですか? ……無いと思いますけど。調べたことなかったですね」
「まさか……『天恵が附与されている部分』は治せない、とかじゃないですよね……」
恐る恐るといった表情で聞いてくる。多分、そんなことはないはずだ。
「何故ですか?」
「いや、大丈夫だとは思うんですけど。彼女、天恵持ってまして。〈血拍盛鼓〉。心拍数が上がると肉体強度が上がる天恵で、心臓に附与されてるらしいんですよ」
「心臓……?」
その一言に、何か引っかかるものがあった。女性の背中は、心臓より下の辺りが食い破られていた。いくらかの内臓が傷ついていただけで、心臓に損傷は見受けられなかった。
ナオシゲの目には。
改めて彼女の脈を測ったところ、非常に弱々しくなっていることに気づいた。
それに気づいた途端、ある考えが脳に浮かび、自分を激しく責めた。
天恵があるからと、正確な傷状を把握しようとしなかった。そのせいで、小さな傷に気づけなかった。
そして、自分の天恵を正しく把握していなかった。課せられた制限を知らぬまま、こんな時になってそれが発覚した。
その考えが正しい場合。
「すいません。確認のため、一度彼女を解剖します。安心してください。背中から開きますが、先程同様治せますので」
「え……?」
返事を待つ暇はなかった。すぐさま確認しなければ、大変なことになる。
背中に刃を入れ、必要以上に傷つけないように肉を切る。肉を外した瞬間、それが目に映った。
心臓から、血液が零れ出ていたのだ。
「嘘だろ……!?」
信じられない。最初に見た時、見つけることができなかったほどその傷は小さかった。それから何分もかけて治癒をしていたのに、その傷は塞がっていない。
答えは簡単だった。
ナオシゲの天恵は、天恵が附与された部位には適用されないのだ。
「せ、先生、本当に、大丈夫なんですよね?」
「…………このままだと助かりません」
「……! そ、そんな!」
「心臓の傷を塞がなければならない。マズい。道具もないし、やり方が分からない。それに、このままだと失血死してしまう。クソッ。血液を集めないと」
「先生! どうすればいいんですか!」
「彼女のご両親を連れてきてください。血液を分けていただきます。血縁が近い方が安全だと、聞いたことがあります。それと、できれば技術医療が可能な医師の方を」
「わ、分かりました! すぐ戻ります!」
全速力で駆けだす男性。
「……クソッ」
マズい。このままだと本当に助からない。どうすればいい?
そんな思いが頭を駆け巡る。
「落ち着け。落ち着け。落ち着け」
このままだとメンタルがやられてしまう。
「考えろ。どうすれば心臓を塞げる? 縫うのは論外だろう。何かを張り付けて……そうだ、この肉片はどうだろう。天恵が心臓に直接使えないのなら、肉片を再生させてそこに巻き込む形で癒着させることは可能だろうか。試してみよう」
先程切り取った肉を少し薄くし、心臓の壁と同じほどの厚さにし、傷口の形に合わせて小さくする。そうしてできた肉片を傷口に当て、〈全傷完治〉を発動させる。
すると、肉片の再生が始まり、傷口を覆いだした。数十秒ほど経つと、心臓の外壁に癒着した。
「よし……!」
これが素の肉体で可能なことなのか、天恵があって初めてできることなのか、それすらも分からない。ただ、今回に限っては、できた。
「あとは輸血をして、正しく心臓を塞げれば……!」
一瞬、女性が動いたような気がした。
「――っ! えっと、リョウさん!? 聞こえますか!? 今、血液貰いに行っているので、もう少し頑張ってください!」
「――くん」
本当に小さく、何かを呟く女性。「くん」と聞こえた辺り、先程の恋人と思わしき彼だろう。
「彼に取りに行ってもらってますから! 安心してください!」
「……わた……ね………………」
何かを呟いていた女性だったが、そこで言葉が途切れた。
「え、おい、待て。嘘だろ?」
手首を取り、脈を測る。脈動が感じられない。
体を上に向かせ、瞳孔を確認する。反応がない。
「…………死んだ」
俺が、死なせた?
いや、そんなはずはない。殺したのは、植魔だ。
でも、もしも俺が確認を怠らず、相応しい技術も持っていたら?
彼女は、助かったはずだ。
え、あれ? じゃあ、え?
俺のせい?
「ぱ、〈全傷完治〉」
念のため、彼女の背中に空いた穴を塞げようとする。
塞がらない。黄緑の光が、現れない。
〈全傷完治〉はあらゆる傷を癒す。それは、死体にも通じるのだろうか。
そんな訳がなかった。死体は生命機能を失っているのだ。傷とは、生命から失われた部分のことを言う。既に死んでいる肉体に何か欠損があったとしても、それは傷とは言えない。
十数分が経つ頃、外から三人ほどの声が聞こえてきた。
「先生! 戻りました!」
「リョウ! 大丈夫か!」
「早く、早く血を分けないと!」
三人に背を向けたまま立ち尽くすナオシゲ。
「あの……先生?」
そういって、母親と思しき女性が顔を覗き込んできた。
「早く、輸血を……」
「先生?」
「何か言ってくださいよ!」
焦るように声をかけてくる三人。
「…………娘さんは、リョウさんは、つい先ほどお亡くなりになられました」
震える声でありのままを語る。
三人は、まるで何を言っているのか理解できないといった顔をしている。
しかし、女性――リョウに触れて、遅れて理解したようだ。
「あ……あああああぁあぁぁぁあぁぁああぁあぁぁぁぁ!!」
最初に反応したのは、恋人の男性。声にならない叫びをしている。
次に、父親が膝からその場にへたり込んだ。地面を見てブツブツと何かを呟いている。
最後に、男性と同じような声を上げながら母親が両手で顔を覆った。
「リョウ! リョウ……! なんで、なんで! これからは、ずっと、一緒だって……! さっき、約束した、ばかりじゃないか! あああぁあぁぁぁあぁぁぁああ!」
ナオシゲは、結果として己のせいで人の命を奪ってしまった罪悪感に耐えられず、逃げるようにその場で土下差をした。
「すいません! すいません! 僕の! 僕のせいでッ!」
「謝らないでくださいよ!」
男性の声に遮られる。
「なんで謝るんですか! あなたは! リョウを助けようとしてくれたじゃないですか! なんで、助けきれなかっただけで、あなたのせいになるんですか! あなたはお礼を言われるべき側の人です! たとえ、助けきることができなかったとしても!」
鬼気迫った顔で怒鳴り散らかす男性。一見、ナオシゲが責められているように見える光景だが、そうではなかった。
「そんなあなたが『自分のせい』だなんて言ったら、僕たちはどうなるんですか!? 何もできなかった、ただ待つことしかできなかったクズですよ!?」
「そんなことは」
「お願いです! お願いだから……自分のせいだなんて、言わないでください……お願、お願い、しますから…………」
ボロボロと涙を流す男性。
その言葉は、今にも折れそうなナオシゲの精神を辛うじて救った。
しばらくの間、部屋には嗚咽と鼻をすする音だけが響いていた。
半日ほど遅れて、技術医療の出来る医者がやってきた。ナオシゲが街で医者をやっていた時に仕事を奪ってしまった医者の一人だった。今回は、手遅れとはいえナオシゲが仕事を作ってしまった。
あらかたの事情を説明すると、
「そうですか」
とだけ言い残し、医者は帰って行った。
最後に、軽蔑の視線をナオシゲに向けて。
その瞬間、ナオシゲのメンタルは完全に折れた。
男性の言葉のおかげで無視できていた現実を、完全に理解してしまった。
ナオシゲは、あらゆる傷を癒す異能を持っている。
ナオシゲは、一人の体を癒した。しかしその心までは癒すことができなかった。
ナオシゲは、一人の体すらをも癒せなかった。自分のせいで、殺してしまった。
多くの医者は、彼のことを認めない。
『全治』