1 『“誰癒”』
“誰癒”のナオシゲは、医者である。
『医者』を『傷に苦しむ人々を癒し助ける存在』と定義するならば、彼は間違いなく医者だ。
しかし、多くの医者は彼を認めない。彼が医者としてあまりにも秀でた才を持つからだ。
魂を持つ存在の、その中で一部のみが生まれながらに与えられる異能、天恵。彼はそれを持っていた。
〈全傷完治〉。「どんな傷も触れるだけで完治させる」、それが彼の天恵。ナオシゲは、『どんな傷に苦しむ人も容易く癒す存在』であった。
神聖暦191年。ジャミトンの森の中心部に、その病院は在った。
二つの病室と一つの居住用の部屋だけで成る、小さな病院だ。
「本当にありがとうございました。もう助からないかと思っていたのに……」
「いえいえ。お元気になられたようで何よりです。お大事になさってください」
深々と頭を下げ礼を言う老婆に、ナオシゲは笑顔でいつもと変わらない決まった言葉を返す。
先程の老婆は、散歩をしていて石に躓き、上手く受身を取れず下半身が動かなくなったのだという。世界の終わりのような表情を浮かべ、孫に背負われやってきてから約30分。無事に下半身は動くようになり、さらに幾分か足腰の調子が良くなったようだ。孫と歩いて病院を去っていく。
「お次の方どうぞ~」
そうして診療所に入ってきたのは老人と、その娘と思われる女性の二人組。腹部を手で押さえる老人を女性が支えるようにして歩いている。
椅子に座るよう促し、話を聞く。
「傷状を教えてください」
「昨晩から、お腹の調子が悪いみたいで。いつもはそれなりにご飯を食べるのですが、今は水を飲む気にもなれないそうです」
「なるほど。では治しますね。お腹、失礼します」
女性が語る傷状を聞き終え、老人の腹に手を当てる。
「〈全傷完治〉」
すると、老人の腹部周辺に黄緑色の光が現れた。急に柔らかい光に包まれ、少し驚く老人。
数十秒の間手を当てていると、光がだんだんと弱くなり、消えた。
「はい。これで大丈夫です」
「え? 本当ですか!? お父さん、どう……?」
「先生。水か何か、飲み物がもらえますかな」
「構いませんよ」
井戸から水を汲み、コップに入れて老人に手渡す。
すると老人は、一息で水を飲み干してしまった。
「……本当じゃ! すんなりと飲めるぞ! 腹も苦しゅうない!」
「それは良かった」
「ありがとうございます、先生! 父に死んでしもらうと困るので、本当に助かりました!」
「いえいえ。お元気になられたようで何よりです」
部屋を出ようと椅子から立つ二人。
「これでまた酒が呑めるのお」
「ちょっと父さん!」
「お酒も良いですが、ほどほどにしておいてくださいね。」
そんなことを言いながら部屋を出る二人を、笑顔で見送りながら一応の注意をしておく。
「ふう。今日はもう、誰も来そうにないな」
木でできた椅子の背にもたれかかる。目を閉じてゆっくりと息を吸う。部屋の中を漂う静けさが心地いい。
非常に簡素な部屋である。特に何も置かれていない机と、自分が座る用の椅子、3つの客用椅子。それがあるだけだ。使うものがほとんどいないベッドはもう一つの病室に3つだけあり、極稀に混雑したときはそこを待機室にしている。
「はあああああ…………」
大きなため息をつき、天井を見上げる。
“誰癒”のナオシゲ。どんな傷も癒してしまう、超常の医者。
多くの医者は、彼を認めない。それは彼が、全治の異能を持っているからだ。
なんでも治せるのだから、医療の知識が必要ない。患者の病が再発しても再び治せばいいだけなのだから、記録が必要ない。
彼はただ、患者から話を聞き、患者に触れて天恵を行使するだけだ。それだけで、幾多の人々を助けられる。
同業者がそれを快く思わないのは当然だろう。案の定、街中にて活動を始めて僅か半年で周辺の医者は仕事が激減し、ナオシゲは強い妬みの視線を受けるようになった。
しかし、彼のおかげで多くの人が救われていることは確かだ。何の努力も工夫もなく人々の役に立つ彼に腹を立てながらも、不満を声に出すことはなかった。ましてや、どこかへ追いやってしまおうなど、するはずもなかった。
ではなぜ、今のナオシゲは森の中の病院で、ひっそりと医者をしながら暮らしているのだろう。それは、彼が周囲の視線を気にしたからである。ポッと出の新人に仕事を奪われた医者たちの嫉妬の視線は、彼の心を苛んだ。
彼は、メンタルが弱かった。
大量の人が押しかけてくるので忙しく、しばらくの間は気にしないでいられた。しかし、1年が経つ頃、ふとそのことを考えてしまい、仕事を奪ってしまった罪悪感といつか訪れるかもしれない報復への恐れがどっと押し寄せ、彼を僻地へと追いやってしまったのだ。
幸い、スローライフを送るには十分な金が稼げていた。なので、森の中にあった小屋を買い取り、少し改造して小さな病院にした。近くにあった小さな村に顔を出して「ケガや病気で困ったときは頼ってください」と知らせておいた。ナオシゲも、自分一人では集めきれない食料や人手が必要な時は村を頼るようにした。
「今日も、平和だ」
そうして、全治の異能を持った医者は、小さな村の専属医になった。
『“誰癒”』