第7話 甘い話の裏側
神鳴町が、浮かれていた。
eスポーツ大会の成功で生まれた小さな熱は、今、巨大な期待感となって町全体を包み込んでいた。原因は、数日前に役場にかかってきた一本の電話。
「――皆様! 本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます!」
公民館の壇上で、一人の男がマイクを握り、にこやかに微笑んでいる。
仕立ての良いスーツに、完璧にセットされた髪。物腰は柔らかいが、その目の奥だけは、作り物のように一切笑っていない。
大手リゾート開発会社「グランフォート・リゾーツ」の担当コンサルタント、黒川と名乗った男だ。
「我々は、この素晴らしい自然に囲まれた神鳴町に、国内最大級の高齢者向け高級リゾート施設を建設したいと考えております! 雇用を生み、税収を上げ、この町を未来永劫安泰な場所にしてみせます!」
甘い言葉が、会場に響き渡る。
集まった町民たちは、熱狂していた。若者の流出に悩む親世代は、新たな雇用に期待し、固定資産税に苦しむ人々は、町の財政が潤う未来を夢見る。俺の上司である課長に至っては、最前列で目を潤ませながら、誰よりも激しく頷いていた。
俺、八神宗介だけが、その熱狂の渦の中で、冷めた目で壇上の男を見つめていた。
違和感があった。話が、美味すぎるのだ。
採算度外視の好条件。そもそも、なぜよりにもよって、こんな陸の孤島のような限界集落を選ぶのか。普通の企業なら、絶対にやらない。
「八神さん…すごい話ですね!」
隣に座る清川紬が、興奮した様子で俺に囁く。彼女も、最初は町民たちと同じように、この話を信じきっているようだった。
「……お前、本気でそう思うのか」
「え?」
「あの男、一度でもこの町の歴史や文化の話をしたか? 権爺さんやキヨさんの顔を見て、一度でも心から笑ったか?」
「それは……」
俺の指摘に、紬の顔から興奮の色がすっと引いていく。
そうだ。あの黒川という男は、町民たちを「人間」として見ていない。ただの「説得すべきオブジェクト」としてしか見ていないのだ。
「少し、調べてみる必要があるな。あの会社のこと」
「……はい」
俺たちの、新たな戦いが始まった。
◇
その日の夜から、俺と紬の密かな調査が始まった。
紬は、図書館で過去の新聞記事を漁り、俺は、都会の役所に勤めていた頃の数少ないコネに電話をかけた。相手は、企業調査などを担当する部署にいる、少しだけ貸しのある同期だ。
『宗介? お前、生きてたのか。なんでまた、グランフォートなんて調べてるんだ?』
電話口の同期の声は、呆れたような響きを帯びていた。
「何か知ってんのか」
『知ってるも何も、その界隈じゃ有名だよ。聞こえのいい開発話を持ちかけては、地価を吊り上げ、計画が頓挫したと見せかけて安く買い叩く。悪質な地上げや、計画倒産を繰り返してる、いわくつきの企業さ。関わらない方が身のためだぞ』
やっぱりか。俺の直感は正しかった。
同期は、さらに衝撃的な情報を付け加えた。
『連中の最近のやり口は、もっとタチが悪い。狙いは土地そのものじゃない。その土地が持つ『権利』だ。例えば……水源地とかな』
水源地。その言葉に、俺はハッとした。神鳴町には、かつて銘酒の仕込み水として使われたという、良質な湧き水が出る水源地があったはずだ。
「……わかった。恩に着る」
『おい、宗介! まさか、お前の地元が狙われてるんじゃ…』
同期の声を遮り、俺は電話を切った。
パズルのピースが、カチリと音を立ててはまった。
リゾート開発など、真っ赤な嘘だ。奴らの真の目的は、この町の命とも言える、あの水源地。あるいは、その地下に眠る、俺たちがまだ知らない何か。
俺は、隣で息を詰めていた紬に向き直る。
「敵の正体が、見えたぞ」
俺の言葉に、彼女はゴクリと喉を鳴らした。その瞳には、もはや浮かれた熱はなく、この町を守る者としての、強い決意の色が宿っていた。
見えざる敵との戦いの火蓋が、今、切って落とされた。