第5話 神鳴の鬼、再び
隣町の若者チームとの練習試合は、結果だけ見れば俺たちのボロ負けだった。
だが、会場となった龍神建設の倉庫は、奇妙な熱気に包まれていた。
「権爺! いまだ、その技じゃ!」「おおおおおっ!」
権爺が、まぐれで放ったスーパーコンボが奇跡的にヒットし、一矢報いた瞬間、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。若者も老人も関係なく、肩を叩き合って喜んでいる。
「じいちゃんたち、マジすげぇ! またやろうぜ!」
試合後、負かした側の若者チームが、興奮した様子で権爺たちに握手を求めていた。世代を超えた交流が、確かにそこに生まれていた。
その光景に、清川紬はすっかり調子づいてしまったらしい。
「皆さん! この勢いで、町おこしイベントを開催します! その名も『第一回 神鳴こんにゃく杯 eスポーツ大会』です!」
その場で高らかに宣言する彼女を見て、俺はこめかみを押さえた。頼むから、少しは落ち着いてくれ。俺の胃がもたない。
だが、彼女の暴走は、今回は良い方向に転んだようだった。
役場に戻ると、練習試合の成功が口コミで広まり、町の雰囲気が心なしか明るくなっている。すれ違う町民から「八神さん、聞いたよ!」と声をかけられることまであった。
面白くなさそうな顔で俺たちを睨む、田畑組合長の視線だけが、唯一の懸念材料だった。
◇
そして、イベント当日。
空は、朝から最悪の顔つきだった。分厚い雲が空を覆い、激しい雨が地面を叩き、神鳴町特有の湿った雷鳴が、ゴロゴロと鳴り響いている。
それでも、会場の倉庫には、予想以上の町民が集まっていた。傘を差した老人たちが、お祭りでも始まるかのように、わくわくした顔で席を埋めていく。
手作りの進行表を握りしめた紬は、緊張と興奮で顔を赤らめていた。
「それでは、ただいまより、『第一回 神鳴こんにゃく杯』の開催を――」
紬が開会を宣言しようとした、その瞬間だった。
ピカッ!と世界が白く染まり、町全体を揺るがすほどの轟音が響き渡った。巨大な落雷だ。
次の瞬間、会場の照明がすべて落ち、モニターが真っ暗になる。悲鳴と、ざわめき。
「停電だ!」
「やっぱり祟りじゃ…こんなことするからだ!」
会場は、一瞬にしてパニックに陥った。
この町には、予備の発電機なんて気の利いたものはない。復旧の見込みは、全く立っていなかった。
◇
真っ暗な会場の隅で、紬が立ち尽くしていた。
その手から、大事そうに握りしめていた進行表が、はらりと床に落ちる。
「私の、せいだ……。私が、無理ばかり言うから……こんなことに……」
いつも自信満々だった彼女が、初めて見せる弱々しい姿。
その瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちる。これまで一人で抱え込んできたプレッシャーと、孤独と、町への想いが、一気に決壊した瞬間だった。
その涙が、俺の中の最後のタガを、ブチリと引きちぎった。
平穏な公務員・八神宗介の仮面が、音を立てて剥がれ落ちる。
「……うるせぇな。昔から泣き言ばっかだ、お前は」
俺は、高校時代と同じ、鋭く、しかしどこか面倒見のいい「鬼」の顔つきになっていた。
「見てろよ。鬼ってのが、どういうもんか教えてやる」
◇
俺はスマホのライトをつけ、慣れた手つきで電話をかける。
「おう、龍二か? 今すぐ会社のデカい発電機、トラックでここまで持ってこい。5分だ」
『へ!? いや、宗介さん、無茶言わんで…』
「黙ってやれ」
『……押忍ッ!』
次に、会場でうろたえる役場の若手職員や、数少ない町の若者たちに向かって、腹の底から声を張り上げた。ヤンキー時代の檄だ。
「おい、お前ら! 突っ立ってんじゃねぇ! 懐中電灯と延長コード、ありったけかき集めてこい! 婆さんたちが怖がってんだろ! 安心させてやれ!」
普段のやる気のない俺からは想像もできない、圧倒的なリーダーシップ。その気迫に呑まれ、誰もがハッと顔を上げ、一斉に動き出す。
そこに、トラックのヘッドライトが豪雨を突き破ってやってきた。龍二だ。
「宗介さん! 持ってきました!」
「おう!お前らはコードを繋げ!そっちは照明だ!急げ!」
稲光に照らされる中、俺たちは無我夢中で動いた。
そして――。
わずか三十分後。
発電機の轟音と共に、会場の照明が再び灯り、モニターにゲーム画面が鮮やかに映し出された。
「おおっ!」と、歓声が上がる。
その一部始終を、紬は涙を流すのも忘れ、ただ呆然と見つめていた。
発電機の轟音と、まだ鳴りやまぬ雷鳴がBGMとなる中、eスポーツ大会は強行された。
神鳴シルバーズは結局負けたが、もはや勝敗はどうでもよかった。会場は、異常なまでの一体感と熱狂に包まれていた。
イベントの最後に、マイクを握った権爺が、嗄れた声で叫んだ。
「誠! 紬! ようやった!」
その声に、町中から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
鳴りやまぬ拍手の中、俺は「だから、めんどくせぇんだよ…」と悪態をついた。だが、その顔には、自分でも気づかないうちに、少しだけ笑みが浮かんでいた。
その横顔を、清川紬が、熱っぽい潤んだ瞳で見つめていたことを、俺はまだ、知らなかった。