第3話 胃痛まみれの船出
神鳴町のメインストリートは、死んでいた。
俺、八神宗介は、死んだ魚のような目で、錆びついたシャッターが並ぶ商店街の掲示板に、一枚のチラシを画鋲で留めた。
『第一回 神鳴シルバーズ メンバー募集説明会!』
極彩色で踊る文字。虹色の星印。こんにゃくのゆるキャラ。清川紬が、昨夜ハイテンションで作り上げた悪夢のようなチラシだ。
人っ子一人いない商店街に、虚しく風が吹き抜ける。こんなもんで、人が集まるわけねぇだろ。
そして数日後。俺の予想は、良くも悪くも的中した。
「――というわけで、皆さんでeスポーツの世界を目指し、この神鳴町を日本一、いえ、世界一の町にしましょう!」
公民館の会議室。紬が熱弁を振るうその先には、十数名の老人たちがポカンとした顔で座っていた。集まったのは、駄菓子屋のキヨさんや、町の長老である権爺など、顔見知りの面々だけ。俺の心は、早くも無に帰していた。
「いーすぽーつ…? なんだそりゃ、食えるんか?」
「紬ちゃん、わしらはもう年じゃて」
eスポーツがビデオゲームのことだとわかった途端、会場の空気は一変した。
「なんだ、子供の遊びか!」「目が疲れるわい!」「そんな暇があったら畑仕事するわ!」
あちこちから不満の声が上がり、説明会は開始わずか十分で、空中分解の危機に瀕していた。
その時だった。
「――若造が、町の恥になるような下らんことはやめんか!」
入り口に立っていたのは、この町の農協を牛耳る、田畑組合長だった。恰幅のいい身体に、日に焼けた顔。保守派のドンである彼の一声で、帰り支度をしかけていた老人たちの動きが、完全に止まる。
「また清川くんの思いつきか。こんな馬鹿げたことで、町が良くなると思っとるのか!」
「町の未来のためなんです! 新しいことに挑戦しないと、この町は本当に…!」
「口答えか!」
組合長の一喝に、紬はぐっと唇を噛みしめた。正論だけでは、この凝り固まった老人たちには通用しない。なすすべなく立ち尽くす彼女の横で、俺は「ほら、無理だって言っただろ」と冷ややかに呟いた。
◇
帰り道。俺の隣を歩く紬は、すっかりしょげ返って無言だった。
ああ、クソ。このままじゃ、コイツにどんな弱みをばらされるか分かったもんじゃない。俺は心の中で大きく舌打ちをすると、重い腰を上げた。
「チッ、めんどくせぇ…」
俺が向かったのは、町の長老、権爺の家だった。説明会の時、一人だけニヤニヤと面白そうに様子を窺っていたのを、俺は見逃さなかった。
「権爺さん、さっきの話だが」
「おお、誠か。なんだ、わしはもう年じゃ。そんなハイカラなもんは、よう分からん」
囲炉裏の前で茶をすすりながら、権爺はとぼけた顔で言う。
だが、俺は知っている。この爺さん、元猟師で、若い頃は喧嘩も滅法強かったという武闘派だ。こういう手合いの扱いは、俺の得意分野だった。
「へぇ、そうかい。まあ、最近のガキの喧嘩は、撃ち合いも反射神経も、昔とはレベルが違うからな。権爺さんには、もうついていけねぇか」
ハッタリと、煽り。封印していた、元ヤンスキルだ。
途端に、権爺の眉がピクリと動いた。
「……なんだと、小僧」
「いや、別に。ただ、神鳴町最強も、年貢の納め時かなって思っただけだ」
プライドを的確に刺激された権爺は、湯呑をカッと置くと、不敵な笑みを浮かべた。
「よかろう。その『いーすぽーつ』とやら、わしが一番になってやるわい! 若いモンには、まだ負けんわ!」
よし、かかった。
俺は心の中でガッツポーズをした。
◇
権爺が参加すると聞いた途端、町の空気は少し変わった。
「権爺がやるなら、ちいと見てみるか…」
数人の老人たちが、おそるおそる公民館に戻ってきたのだ。
勢いに乗った俺は、次に町の情報通、駄菓子屋のキヨさんの元を訪れた。
「キヨさんよ。このプロジェクトが成功したら、都会から来た可愛い孫みたいな若者が、キヨさんの店の駄菓子を買いに来るかもよ」
孫、という一言に、キヨさんの目はきらりと光った。
「ま、誠ちゃんがそう言うなら、一肌脱いでやるかねぇ!」
彼女の口コミは絶大で、さらに数人の「孫シック」な婆さんたちが集まった。
俺は、なんとか集まった五、六人の老人たちを前に、口を開いた。
「いいか、爺さん婆さん。難しく考えるな。格ゲーは、昔懐かしいメンコみてぇなもんだ。反射神経でどつき合う、デジタル化した喧嘩だ。パズルゲームは、陣取り合戦。頭を使った縄張り争いだと思え」
俺の適当な説明に、老人たちは意外にも「おお、それなら面白そうじゃないか」「わし、メンコは得意だったぞ」と乗り気になった。
こうして、なんとか初期メンバーが確保された。その一部始終を、紬は口を半開きにして、ただただ唖然と見つめていた。
「八神さん……すごい……。まるで魔法みたいです」
「うるせぇ。胃が痛ぇんだよ」
俺は悪態をつきながら、地獄の船出を覚悟した。
夕暮れの公民館。その一室で、モニターを前にコントローラーを握った老人たちが、やいのやいのと騒いでいる。
「おお!動いたぞ!」「そっちじゃない、右じゃ!」「ワシの番じゃ!」
その混沌とした光景を遠巻きに眺めながら、俺はそっとポケットから胃薬を取り出し、水無しで喉の奥に流し込んだ。
隣に立つ紬が、キラキラとした尊敬の眼差しで俺を見つめている。
やめてくれ。そんな目で見られると、胃の痛みが、さらに増すだろうが。