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第2話 弱みとポンコツ計画

 

 神鳴町役場、地域振興課。

 俺の目の前には、高校時代の天敵。

 そして彼女――清川紬の目の前には、彼女の高校時代の天敵がいる。

 あまりの衝撃に、俺たちは言葉を失い、ただただ互いの顔を見つめていた。時が止まる、とはこのことか。フロアの喧騒が、やけに遠くに聞こえる。

「おお、そうかそうか!二人とも知り合いだったか!奇遇だなぁ!」

 沈黙を破ったのは、俺たちをここに連れてきた初老の課長だった。呑気な声が、やけに頭に響く。

 奇遇、だと? こんな悪夢のような偶然があってたまるか。

「……八神宗介です。今日からお世話になります」

「……清川紬です。よろしく、お願いします」

 ぎこちなく自己紹介を交わす。だが、その視線は一度も合わせなかった。彼女の横顔から、ありありと「信じられない」という感情が伝わってくる。わかるぜ、その気持ち。俺だって、なぜあの「鉄の女」がこんな田舎の役場でのうのうと働いているのか、理解が追いつかない。

「じゃあ清川くん、八神くんに仕事のこと、教えてあげてくれ。同級生なら話も早いだろう」

 課長はそう言って、人の良さそうな笑みを浮かべて自分のデスクに戻っていった。残された俺たち。バチバチと、見えない火花が散る音が聞こえるようだ。

 クソ、よりにもよってコイツと一緒の職場とか、何の罰ゲームだ。

 ◇

「……少し、よろしいでしょうか」

 俺が自分のデスクに荷物を置くと、背後から氷のように冷たい声がかけられた。振り返ると、そこには能面のような顔をした清川が立っていた。彼女は無言で顎をしゃくり、給湯室の方を指し示す。有無を言わさぬ、その態度。高校時代と何も変わっちゃいねぇ。

 誰もいない給湯室。二人きりになった途端、清川は表情を一変させた。まるで獲物を追い詰める肉食獣のように、俺を壁際に追い詰める。

「なぜ、あなたがここにいるんですか? あの『神鳴の鬼』が、公務員に? しかも、よりにもよってこの神鳴町に?」

「そりゃこっちのセリフだ。てめぇこそ、都会の大学に行ったんじゃなかったのかよ」

 一歩も引かずに睨み返すと、彼女はふっと鼻で笑った。そして、どこからか取り出した一冊の古びた大学ノートを、俺の目の前に突きつけた。

 その黄ばんだ表紙には、見覚えのある、クソ丁寧な明朝体の文字が並んでいた。

『八神宗介 観察日誌(生徒会秘蔵)』

 背筋が凍った。なんだ、それは。

 俺の疑問を読み取ったように、清川はノートをパラパラと開いて見せる。

「×月×日 14時15分。体育館裏にて喫煙の疑い。目撃者、生徒会書記・田中」

「×月×日 9時30分。一限の授業をサボタージュし、屋上にて昼寝。目撃者、風紀委員長・鈴木」

「×月×日 放課後。隣町の不良グループ『赤蛇』との抗争事件。詳細、別紙参照のこと」

 そこには、俺が高校時代に行った数々の悪行が、日付、時間、目撃者、さらには詳細な状況証拠付きで、克明に記録されていた。

「これを、人事部に匿名で送ったら……どうなるでしょうね?」

 悪魔が、そこにいた。聖母のような顔をした、悪魔が。

 俺の公務員生命は、完全にこの女の手に握られている。

「てめぇ……!」

 反射的に掴みかかろうとした俺の手を、彼女は冷静に見つめた。

「暴力沙汰、ですか? 記録が一つ、増えてしまいますね。現役公務員の、ね」

 俺は、振り上げた拳をゆっくりと下ろすしかなかった。

 この瞬間、俺と清川紬の間に、絶対に覆ることのない絶対的な力関係が成立したのだった。

 ◇

「さあ、こちらへどうぞ」

 完全に主導権を握った清川は、意気揚々と俺を自分のデスクへと案内した。その足取りは、まるで凱旋将軍のようだ。

 彼女はパソコンを起動させると、俺に向き直り、満面の笑みを浮かべた。

「私がこの三年間、魂を込めて作り上げた、神鳴町再生のための完璧な計画書です! ご覧ください!」

 自信満々に彼女が映し出したモニターを見て、俺は卒倒しかけた。

 画面を埋め尽くす、虹色に輝くワードアート。意味不明に回転する星印の図形。背景には、なぜか神鳴町のゆるキャラ(モチーフはこんにゃく)の画像が透かしで入っている。芸術的に、見づらい。

 そして、その中央に鎮座するタイトル。

『eスポーツによる地域活性化計画 ~目指せ、神鳴シルバーズ日本一!~』

「……は?」

「町の活力あるご老人たちでeスポーツチーム『神鳴シルバーズ』を結成します! そしてオンラインの大会で無双し、賞金で町の財政を潤すのです! やがて神鳴町はeスポーツの聖地となり、世界中から若者が集まってくるでしょう!」

 こいつ、正気か?

 その現実を完全無視した夢物語に、俺はこめかみがズキズキと痛むのを感じた。

「おい、正気か。まず、予算はどうする。機材は? 大体、この町に光回線なんて通ってんのか?」

「……!」

 俺の的確すぎるツッコミに、清川はカッと目を見開いた。しまった、地雷を踏んだか、と身構える俺。だが、彼女から返ってきたのは、予想の斜め上を行く言葉だった。

「す、素晴らしい! 八神さん、なんて的確なご指摘! 問題点の洗い出し、完璧です! さすが! 都会の空気を吸ってきただけのことはありますね!」

 なぜか、猛烈に感動されている。

 俺の呆れや皮肉を、すべて「プロジェクトへの熱意」や「鋭い指摘」だと、彼女の脳内は超ポジティブに変換してしまったらしい。

「これなら、この計画は絶対に成功します!」

 そう確信した清川は、俺の返事も待たずに課長の元へと走り寄った。

「課長! このeスポーツ計画のプロジェクト責任者は、八神さんにお願いしようと思います! ご覧ください、この熱意! 彼ほどの適任者はいません!」

「おお、そうか! 八神くん、やる気満々じゃないか! それは頼もしい!」

 おい、待て。話が違う。俺は一言もやるとは言ってねぇぞ。

 俺の悲痛な心の叫びは、清川の暴走する情熱と、課長の呑気な激励の声にかき消された。

 こうして、俺の意思とは全く無関係に、ポンコツ町おこし計画の責任者という名の生贄になることが、正式に決定してしまった。

 自分のデスクに戻り、俺は突っ伏した。

 その隣で、清川は「さっそく始めましょう!」と、またもや極彩色のチラシ『神鳴シルバーズ メンバー大募集!』を作り始めている。

 ああ、クソ。俺の平穏な生活は、今日、完全に、終わった。

 地獄の釜の蓋が開く音が、確かに聞こえた。

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