第19話 それぞれの戦い
清川紬が提案した、無謀な「賭け」により、「神鳴の水」プロジェクトは、二つのチームに分かれて進められることになった。
一方は、橘圭吾が率いる「チームA」。
役場の一室に陣取った彼らは、まさにエリート集団だった。圭吾が都会から呼んだという、マーケティングやデザインの専門家たちが、MacBookを駆使して、効率的かつクールに仕事を進めていく。彼らが担当するのは、プロの業者に発注した、洗練されたデザインの「通常版ラベル」だ。
そしてもう一方は、俺と紬が率いる「チームB」。
公民館を拠点とする俺たちは、権爺やキヨさん、龍二に町の主婦たちを加えた、良く言えばアットホーム、悪く言えばただの「寄せ集めチーム」だった。
時折、圭吾が視察と称して公民館にやってきては、腕を組んでこう言い放った。
「無駄が多いな。その動線では、作業効率が三割は落ちるぞ」
「八神。おしゃべりをやめさせろ。そんなやり方では、納期に間に合わなくても知らんぞ」
その正論すぎる指摘に、俺は苛立ちを募らせながらも、ぐっと堪えるしかなかった。
◇
チームBのラベル貼り作業は、案の定、問題が続出した。
「おお、いかん。曲がっちまったわい」
「龍二!あんた、またラベルを破ったのかい!」
「まあ、お隣さん、聞いてよ。うちの孫がねぇ…」
手が震えてしまうお年寄り。おしゃべりに夢中な主婦たち。絶望的に不器用な龍二。
俺は、イライラを抑え込み、持ち前の面倒見の良さ(と、元ヤンのドス)を駆使して、一人一人に根気よく教えて回った。
そんな中、紬が素晴らしいアイデアを出した。
「ただ貼るだけじゃなくて、一枚一枚に、皆さんの手書きのメッセージとサインを入れませんか?」
その一言で、公民館の空気は一変した。
「おお、わしの達筆を見せてやるわい!」と権爺が墨と筆を持ち出し、「あら、素敵!買った人が幸せになりますように、って書こうかしら」と主婦たちが色とりどりのペンを握る。
作業効率は、さらに地の底まで落ちた。
だが、公民館には、これまでで一番の笑顔と活気が満ち溢れていた。その温かい光景を見ながら、俺は、これこそが「俺たちがやりたかった町おこしだ」と、確信していた。
◇
とはいえ、日中の作業だけでは、到底納期には間に合わない。
俺と紬は、毎晩のように役場に残り、二人きりでラベル貼りの内職作業をするのが日課になっていた。
「宗介さん、お疲れ様です。夜食、作ってきました」
紬が差し出してくれたのは、綺麗に握られたおにぎりだった。俺は恐る恐る口に入れる。……うまい。今回は、ちゃんと塩味の、美味いおにぎりだ。
「よかった…。今回は、プロテインも、クエン酸も入れてませんから」
そう言って、悪戯っぽく笑う紬。その笑顔に、俺の心臓がうるさく鳴る。
静かなオフィス。隣り合って、黙々と作業を進める。
疲れてうたた寝を始めた彼女の寝顔を、そっと眺める。無防備なその顔が、愛おしくてたまらない。俺は、自分の上着を、彼女の肩にそっとかけた。
ふとした瞬間に目が合い、お互いに照れてしまい、慌てて手元に視線を戻す。
こんな時間が、永遠に続けばいいのに。
圭吾への対抗心だけじゃない。「紬をがっかりさせたくない」という強い想いが、今の俺の、一番の原動力になっていた。
◇
納期ギリギリの最終日。俺たちは、なんとか「特別版ラベル」のボトルを完成させた。
一本一本、ラベルの貼り方は少し不格好で、曲がったり、シワが寄ったりしている。だが、そこには温かい手書きのメッセージが添えられており、明らかに「人の手」が作ったものだと分かる、唯一無二の商品が出来上がっていた。
「おお!わしらの水が、できたぞ!」
完成したボトルを前に、権爺たちが我が子のように喜んでいる。
そこへ、圭吾がやってきた。
彼は、プロが仕上げた、完璧で、寸分の狂いもない「通常版ラベル」のボトルを、誇らしげに掲げてみせた。
「やはり、美しいな。商品とは、こうでなくては」
そして、俺たちの不格好なボトルを一瞥すると、ふっと鼻で笑った。
「お疲れ様、八神。お遊戯会は、楽しかったか?」
その、あまりに人を食った挑発に、俺の堪忍袋の緒が切れかかった。掴みかかろうとした、その瞬間。
「――見ていてください、圭吾くん」
俺と圭吾の間に、紬が静かに割って入った。
「どちらの商品が、本当に人の心を掴むのか。私たちの『賭け』は、ここからです」
対照的な二種類の「神鳴の水」。
ネットでの販売開始時刻が、刻一刻と迫っていた。