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第18話 光と影、それぞれの正義

 

 橘圭吾が神鳴町に帰ってきてから数日後。「神鳴の水」プロジェクトの公式な第一回会議が、役場の会議室で開かれた。

 その場で、圭吾は、俺たち全員を圧倒した。

「――以上が、本プロジェクトの事業計画の概要です。初年度の売上目標は三千万円。三年後には黒字化させ、町への利益還元を目指します」

 スクリーンに映し出された、完璧なプレゼンテーション資料。緻密な市場分析データ、競合他社の動向、揺るぎない収支計画、そして明確なロードマップ。その内容は、誰もが納得する、非の打ち所のないものだった。

「す、素晴らしい!」「これなら成功間違いなしだ!」

 課長や役場の職員たちは、手放しで圭吾を絶賛する。田畑組合長さえも、「ふむ…これなら、ワシも安心して協力できる」と、完全に彼のペースに呑まれていた。

「すごいわ、圭吾くん……」

 隣に座る紬が、感心したように呟く。

「私たちが漠然と考えていたことが、全部、形になっている……」

 その横顔に、俺は何も言えなかった。悔しいが、これがプロの仕事というやつなのだろう。

 ◇

 だが、その完璧な計画には、効率化という名の、冷たい「棘」がいくつも隠されていた。

「まず、bottling、つまり瓶詰めの作業ですが、コストを最優先するため、町内ではなく、隣県の最新鋭の工場に委託します。残念ながら、地元の雇用には繋がりません」

「次に、ブランディングです。商品のイメージを統一するため、ラベルデザインや広報戦略は、私が契約している東京の専門業者に一任します。申し訳ありませんが、町の皆さんのご意見は、今回は反映できません」

「そして、プロジェクトの推進体制ですが、主要メンバーは私と、私が都会から招聘する専門家チームで進めます。皆さんは、我々の決定事項に従い、ご協力をお願いします」

 にこやかに、しかし一切の反論を許さない口調で、圭吾はそう言い放った。

 会議室の空気が、変わる。

 権爺やキヨさんたちが、戸惑いの表情を浮かべていた。

「……わしらの出番は、ないのか…?」

「なんだか、前の黒川の旦那が来た時と、変わらんのう……」

 そう、これでは、ただの外部企業が進める事業だ。俺たちが守りたかったものは、これじゃない。

 ◇

 俺は、組んでいた腕を解き、ゆっくりと口を開いた。

「おい、圭吾」

 会議室の視線が、一斉に俺に集まる。

「てめぇの計画は、数字の上では完璧かもしれねぇ。だが、そこには、一番大事なもんが抜け落ちてる」

「何が言いたい、八神」

 圭吾の、涼やかな目が俺を射抜く。

「俺たちがやろうとしてんのは、ただの商売じゃねぇ。『町おこし』だ。このジジイやババアたちが、『自分たちの手で、この町を良くしてるんだ』って、胸を張れることじゃなきゃ、意味がねぇんだよ」

「甘いな、八神」

 圭吾は、ふっと息を吐いて俺を諭すように言った。

「ビジネスは、結果が全てだ。中途半端な自己満足でやって、事業が失敗すれば、この町は今度こそ立ち直れなくなる。成功のためには、時に非情な決断も必要なんだ。それが、本当の意味で町を守ることだと、俺は思うがね」

 俺が守りたいのは、過程と、人の心。

 圭吾が守りたいのは、結果と、町の未来。

 どちらも、間違ってはいない。だからこそ、俺たちの「正義」は、決して交わることがなかった。

 凍り付いたような空気の中、板挟みになった紬が、必死に声を上げた。

「ど、どちらの言うことも、分かります…! だから、二人で協力して、もっと良い方法を…!」

 だが、その声は、俺と圭吾の間にできた深い溝に、虚しく吸い込まれていった。

 ◇

 会議が完全に紛糾する中、最終的な判断は、プロジェクトの発起人である紬に委ねられた。

 彼女は、唇を強く噛みしめ、俺と圭吾の顔を交互に見た後、覚悟を決めたように顔を上げた。

「圭吾くんの計画は、素晴らしいと思います。でも、八神さんの言う通り、町のみんなが主役になれない町おこしは、したくありません」

 そして、彼女は一つの「賭け」を提案した。

「bottlingは、圭吾くんの言う通り、最初は工場に頼みましょう。でも、その後のラベル貼りは、この町の、みんなの手でやらせてください! そして、どちらのやり方が、より人の心を動かし、商品を『売れる』のか、試してみませんか?」

 それは、圭吾のビジネスロジックと、俺の人間ドラマを、なんとか融合させようとする、彼女ならではの、不器用で、しかし懸命な折衷案だった。

 圭吾は、「……非効率極まりないな」と呆れながらも、その瞳の奥に、面白いものを見つけた子供のような光を宿した。

「いいだろう。だが、それで売れなかった場合は、俺のやり方に全面的に従ってもらう。それでいいな?」

 こうして、俺たちの新たな挑戦は、二つの「正義」の競争という、奇妙な形で幕を開けることになった。

 会議の後、俺は紬に尋ねた。

「なんで、あんな賭けみたいなことを言ったんだ」

 紬は、少し不安そうな顔で、しかし、強い意志を込めて答えた。

「私は、どちらの『正義』も、間違っていないと思うからです。そして、何より……」

 彼女は、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「宗介さんと圭吾くん、二人の力が合わされば、もっとすごいことができるって、信じているからです」

 その言葉に、俺は何も言い返せなかった。

 俺の恋人は、俺が思っている以上に、ずっと強く、そして、したたかなのかもしれない。

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