第16話 ご両親とエンカウントする
夜空に咲いた大輪の花火が、俺と紬、そして、その向こうに立つ二つの人影を、くっきりと照らし出していた。
俺は、紬を抱きしめたまま、カチンと固まる。紬も、俺の腕の中で、石のように硬直している。
目の前には、唖然とした表情の中年夫婦。どう見ても、カタギには見えない、目つきの鋭いオッサンと、心配そうに眉を寄せた人の良さそうなオバさん。
「つ、紬…? あなた、その男の子は…一体、誰なの…?」
母親と思しき女性が、震える声で言った。
その声に、紬はパニックのあまり、俺の胸からバッと飛びのくと、意味不明な奇声を上げた。
「ち、違います! これは、その、お祭りハイというかなんというか、山の神様のお導きというか、不可抗力で…!」
お前は一体何を言っているんだ。
俺は、頭をフル回転させ、とりあえず最高の笑顔(この人生で一番引きつっていた自信がある)を貼り付けた。
「は、はじめまして! 八神宗介と申します! 娘さんとは、その、健全なお付き合いを前提とした、未来を見据えた関係と言いますか、決してやましいことは断じて…!」
しかし、汗だくの法被姿で、今しがた娘をがっちりホールドしていた男の挨拶に、説得力などあるはずもなかった。
父親と思しきオッサンは、俺の頭のてっぺんから爪先までを、値踏みするように、じろりと睨みつけてくる。
史上最悪のファーストコンタクト。
気まずい沈黙の中、最後の花火が、まるで俺たちの前途を祝うかのように、虚しく夜空に消えていった。
◇
舞台は、紬の実家である「清川酒店」の居間に移っていた。
俺は、父親――清川巌さんの前に正座させられ、緊急の家族会議という名の尋問の真っ最中にいた。テーブルの上には、なぜか麦茶と一緒に、てんこ盛りのカツ丼が置かれている。「食ってけ」という、無言の圧がすごい。
「……で、君は何者なんだ」
巌さんが、低い声で切り出した。元教師だというその眼光は、ヤンキー時代の担任よりよっぽど鋭い。
「うちの紬の、どこがいいんだ。答えによっては、許さん」
「公務員だそうだが、その髪型と目つきはなんだ。本当に公務員か?」
一方、母親の恵子さんは、心配そうに俺と娘の顔を交互に見ている。
「本当に、うちの紬でいいんですか? この子、昔から頑固で、一度決めたら人の話を聞かなくて…料理もその…見た目は綺麗なんですけど、味が個性的で…」
頼むからやめてくれ。俺の知らない紬の情報を、今ここでインプットしないでくれ。
当の紬はと言えば、二人の間でオロオロするばかりだ。
「お父さん、宗介さんは悪い人じゃ…!」「お母さん、私の悪口はやめてください!」
その空回りっぷりが、さらに場を混乱させていた。
俺は、カツ丼を一口かっこむと、覚悟を決めた。
ここで、筋を通す。それが、鬼と呼ばれた俺の、唯一の流儀だ。
「昔は、道を踏み外しかけたこともありました。でも、今は違います。この町と、紬さんを、本気で守りたいと思っています」
俺の真っ直ぐな言葉に、巌さんは、ただ黙って俺を見つめ返していた。
◇
翌日、町に滞在することになった清川夫妻は、娘を任せる男がどんな人間か、徹底的に調査し始めたようだった。だが、その調査は、予想外の展開を迎える。
「あら、巌さんに恵子さん! 誠ちゃんのことかい? あいつぁ、ぶっきらぼうだけど、誰よりも情に厚い、いい男だよ。紬ちゃんを任せるなら、あいつしかいないねぇ」
キヨさんの店で、恵子さんは開口一番、そう太鼓判を押されたらしい。
「誠がいなけりゃ、わしらはただの年寄りじゃった。あいつは、この町に火をつけた男じゃ。わしが保証する」
公民館では、権爺にそう絶賛されたと聞いた。
極めつけは、龍二だった。巌さんが龍神建設を訪ねると、龍二はこう熱く語ったという。
「宗介さんは、俺たちみてぇなもんにも、筋を通してくれた最高の兄貴です!押忍!紬さんとお付き合いされてるって聞いて、俺も自分のことみてぇに嬉しいです!」
……龍二、お前、余計なことまで。
清川夫妻は、娘が愛した町の住民たちが、こぞって俺を信頼しているという事実に、驚きと戸惑いを隠せないようだった。
◇
その日の夕方。俺は、巌さんに神鳴神社へと呼び出された。二人きりの、最後の面談だ。
石段に並んで座り、夕日に染まる町を見下ろす。
「君が、町の皆から信頼されているのは分かった。だが、親としては、それだけでは娘を任せられん」
巌さんは、厳しい顔で切り出した。
「紬は、一度決めたら聞かん、頑固な娘だ。町を想うあまり、自分の身を削ってでも突っ走る。そんなあいつが、本当に辛い時、壁にぶち当たった時……君は、あいつをどう支える? 私に、君の覚悟を見せてみろ」
それは、娘の幸せを心から願う、父親としての、切実な問いだった。
俺は、少し黙って息を吸い込み、そして、真っ直ぐに巌さんの目を見て答えた。
「俺は、あいつを無理に止めたりはしません。あいつが走りたいなら、走らせてやる。でも、もしあいつが転びそうになったら、俺が先に回り込んで、受け止めてやります。あいつが道に迷ったら、俺が隣で、一緒に悩んでやります。あいつが泣いてたら……俺は、ただ、そばにいます。それしか、できねぇけど。それだけは、絶対にやります」
俺の言葉に、巌さんは、長い、長い沈黙の後、ふっと息を吐いた。
「……ふん。口だけは、達者なようだな」
憎まれ口を叩きながらも、その横顔は、ほんの少しだけ、和らいで見えた。
最大の難関を、どうやら突破できたらしい。
だが、安堵した俺の胃が、きゅう、と痛んだ。
俺の胃痛の日々は、また別の意味で、まだ始まったばかりなのかもしれない。