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第15話 祭りの灯火

 

 神鳴祭の準備が始まってから、町はまるで、長い眠りから覚めた巨人のように、ゆっくりと、しかし確実に活気を取り戻していった。

 龍神建設の広い倉庫は、いつしか「神輿修復工房」と化していた。そこでは、龍二たち建設業の屈強な若者たちが、権爺たち老人の指導を受けながら、埃をかぶっていた神輿の修繕に汗を流していた。

「龍二、そこの彫り物はな、昔からの職人技なんじゃ。もっと優しく磨かんか」「へい、権爺師匠!」

 最初はぎこちなかった世代間の交流は、共通の目標を前に、いつしか本物の師弟関係のような温かいものへと変わっていた。

 キヨさんの駄菓子屋では、町の主婦たちが祭りの屋台で出す「神鳴こんにゃくの味噌田楽」の試作会を開いていた。

「あら、この味噌、もうちょっと甘い方が子供は喜ぶかねぇ」「そうねぇ」

 その輪の中には、かつて清川紬を責め立てた、あの主婦リーダーの姿もあった。彼女は今、誰よりも楽しそうに笑いながら、紬に「紬ちゃん、味見してみて!」と串を差し出している。紬が「美味しいです!」と微笑むと、輪の中にぱっと明るい花が咲いた。

 俺、八神宗介はと言えば、役場で裏方仕事に徹していた。クラウドファンディングで支援してくれた全国の人々へ、町民たちの手書きのメッセージを添えたお礼状を発送する。祭りの情報をSNSで発信し、地元の新聞社にも記事を書いてもらえるよう交渉する。その手際の良さに、今や役場の職員たちは、全幅の信頼を置いてくれていた。

 そして、紬もまた、一つの大きな一歩を踏み出していた。

 ある日の昼休み。彼女は震える手で、自分のスマホを握りしめ、何年も連絡を取っていなかった番号を呼び出した。

「……もしもし、お母さん? 私、紬。あのね、今度、町でお祭りがあるの。もし、よかったら……」

 その小さな勇気が、未来にどんな奇跡を呼び込むのか、この時の彼女はまだ知らなかった。

 ◇

 祭り当日。神鳴町は、青空に祝福されていた。

 十年ぶりに開催される神鳴祭。その熱気は、eスポーツ大会の時とは比べ物にならないほど、町全体を、そこに住む全ての人々の心を、鮮やかに染め上げていた。

 昼間のハイライトは、神輿の渡御だ。

「わっしょい! わっしょい!」

 修繕され、美しい輝きを取り戻した神輿が、男たちの力強い担ぎ声と共に、山道を下ってくる。先頭で音頭を取るのは、法被姿の権爺だ。その後ろを、龍二や俺たち若者、そして町の男たちが続く。重い。だが、それ以上に、魂が震えるような高揚感があった。

 商店街にたどり着くと、道には溢れんばかりの町民たち。その万雷の拍手と歓声に、担ぎ手たちの声は、さらに熱を帯びた。

 世話役として走り回る紬が、人混みの中で、こちらを見ていた。その瞳は、嬉し涙で潤んでいた。俺は、そんな彼女の姿を、神輿を担ぎながら、誇らしい気持ちで見守った。

 この笑顔が見たかった。ただ、それだけのために、俺はここまで走ってきたのかもしれない。

 ◇

 夜。祭りの舞台は、神鳴神社へと移った。

 境内に組まれた舞台の周りには、無数の提灯と篝火が灯され、辺りは荘厳で、幻想的な雰囲気に包まれている。祭りのクライマックス、「神楽舞」の始まりだ。

 静まり返った境内に、凛とした鈴の音が響き渡る。

 舞台に現れたのは、白と緋色の美しい巫女装束に身を包んだ、清川紬だった。

 月明かりと篝火に照らされたその姿は、神々しいまでに美しく、会場の誰もが息を呑んだ。

 彼女が、厳かに舞い始める。

 しなやかな手足が宙を切り、清らかな鈴の音が夜気に響く。それは、ただ美しいだけの舞ではなかった。町の再生を祈り、ここに住む人々の幸せを願う、力強くも優しい、魂の舞だった。

 俺は、その姿から、一瞬たりとも目が離せなかった。

 平穏だけを望んでいたはずの俺の心を、こいつがかき乱した。面倒なことに巻き込み、俺の胃を何度も痛めつけた。だが、その度に、俺の世界は色鮮やかになっていった。

 舞い踊る彼女を見ながら、俺は静かに、しかし固く、決意した。

「……決めた」

 この祭りが終わったら、伝えよう。俺の、本当の気持ちを。言葉にして、彼女に。

 ◇

 舞を終え、人々の喧騒から離れて、一人で夜風にあたっている紬の元へ、俺は向かった。

「紬」

 初めて、彼女を名前で呼んだ。紬は驚いたように肩を揺らし、そして、はにかむように微笑んだ。

 俺たちは、自然と、町の水源地へと続く、神社の裏の静かな小道を歩き始めた。月明かりが、まるでスポットライトのように、俺たち二人だけを照らしている。

 小道の先、小さな泉が見える場所で、俺は立ち止まり、彼女に向き直った。

「紬。俺は、お前が好きだ」

 心臓が、飛び出しそうだった。だが、言葉は、不思議なほど真っ直ぐに出た。

「平穏な生活だけが望みだった俺に、生きる意味をくれたのは、お前だ。面倒なことに首突っ込んで、いつも俺を振り回しやがるけど、お前が笑ってると、俺も嬉しい。お前が泣いてると、胸が張り裂けそうになる。だから……これからも、俺の隣にいてほしい」

 不器用で、格好悪くて、ありきたりな、俺の精一杯の告白。

 紬の大きな瞳から、涙が、一筋、また一筋とこぼれ落ちた。

 だが、その顔は、俺がこれまで見た中で、最高の笑顔だった。

「はい……! 私も、八神さんが……宗介さんが、好きです!」

 その答えを聞いた瞬間、俺は、たまらず彼女を強く抱きしめた。

 もう、何もいらない。こいつさえいれば、それでいい。

 その時だった。

 突如、夜空に、大輪の花火が咲いた。龍二の野郎が、また粋な真似をしやがったらしい。

 花火の光に照らされた俺たちの前に、二つの人影が現れた。

 見慣れない、中年の夫婦だった。

「……紬?」

 女性の方が、信じられないという顔で、娘の名前を呼んだ。

 紬の、お母さん…?

 あまりに劇的な状況に、俺と紬は、抱き合ったまま、カチンと固まった。

 どうやら、俺の平穏な日々は、まだ当分、訪れそうにないらしい。

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