第14話 平穏の兆しと進む準備
黒川という嵐が去った神鳴町には、祭りの後のような、心地よい静けさと高揚感が入り混じった空気が流れていた。
役場の廊下を歩けば、すれ違う職員たちが、俺に向かって「八神さん、お疲れ様です」と、ぎこちないながらも敬意のこもった挨拶をしてくる。
「この前のあれ、大したもんだったよ!」「次はいつやるんだい?」
町を歩けば、老人たちから気さくに声をかけられる。「神鳴シルバーズ」も存続が決まり、今では権爺たちが「次は格ゲーじゃ!若者に負けてられん!」と、公民館で日々コントローラーを握っているらしい。
俺が望んだはずの「平穏な生活」とは、似ても似つかない。
だが、今のこの賑やかな毎日も、悪くない。そう感じ始めている自分に、俺は少し戸惑っていた。
◇
問題は、俺と清川紬の関係だった。
あの夜、俺の胸で泣きじゃくった彼女。そして、俺は彼女を抱きしめた。
あれは、どういう意味だったのか。俺たちは、一体どういう関係になったのか。
お互いに、その核心に触れられないまま、数日が過ぎていた。
「あの……八神さん」
その日、残業で二人きりになったオフィスで、紬がおずおずと口を開いた。
「私たちの…その、関係って、これから、どうなるんでしょうか……?」
来たか。俺はゴクリと喉を鳴らし、必死に言葉を探した。
「……まあ、その、色々、あったしな。一蓮托生っつーか、共犯者っつーか…」
俺の歯切れの悪い言葉に、紬は少しだけ、寂しそうに俯いた。
「……そう、ですよね。これからも、良き同僚、として…」
その顔を見て、俺の中で何かがカチリと音を立てた。
違う。そんな言葉で、俺たちの関係を終わらせてたまるか。
「友達とか、同僚とか、そういうんじゃねぇだろ、俺たちは」
「え……?」
俺は、彼女のデスクの前に立ち、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「俺は、お前と組んで、この町でやってく。これからも、だ。……それじゃ、ダメか?」
それは、告白とも呼べない、あまりに不器用な言葉だった。
だが、俺の想いは、確かに彼女に届いたようだった。
紬の顔が、夕陽のように、ぱっと明るくなる。
「ダメじゃ、ありません! 私も、です! 八神さんと一緒に、この町で!」
彼女の満面の笑みに、俺の心臓が、またしても煩く鳴り始めた。
◇
二人の関係が、確かなものになったことで、町おこしへの熱意は、より一層高まった。
「次に私たちがやるべきことは、神鳴祭の復活です!」
翌日、紬は早速、次の目標を高らかに掲げた。
彼女が広げた町の古文書には、かつてこの町で行われていたという、壮大な祭りの姿が描かれていた。
雷神を祀り、勇壮な神輿が町を練り歩き、夜には花火まで打ち上がったという、伝説の祭り。
「この祭りを、もう一度、この町に呼び戻したいんです!」
権爺や龍二も、その計画に二つ返事で協力を約束した。町は、新たな目標に向かって、再び一つになろうとしていた。
祭りの準備が始まった数日後の夕暮れ時。俺と紬は、神鳴神社で、祭りの計画について話し合っていた。
「古文書によると、この拝殿で、町中の人が夜通し語り明かしたそうです。きっと、すごく綺麗な祭りだったんだと思います。この景色を、もう一度みんなで見たいんです」
夕日に照らされた彼女の横顔は、希望に満ちて輝いていた。
その純粋な顔を見ながら、俺は心に誓う。
黒川のような連中から、この町と、こいつの笑顔を、絶対に守り抜かなければならない、と。
俺は、カバンから調査を続けていたグランフォート社の資料を取り出し、その隅に、小さなメモを書き加えた。
『水源地、及び地下資源の可能性。継続調査要す』
脅威が完全になくなったわけではない。そのことは、俺だけが知っていればいい。今、彼女に不安を与える必要はない。
「……しょうがねぇな。そこまで言うなら、付き合ってやるよ」
俺は資料をしまい、彼女に向き直ってニヤリと笑った。
「最高の祭りに、してやろうぜ」
俺の言葉に、紬は、これまでで一番の笑顔で頷いた。
「はい!」
夕日に照らされた神社の境内で、俺たちは固く握手を交わした。