第13話 二つの戦線
俺たちの反撃は、二つの戦線で同時に開始された。
表の戦線を担当するのは、清川紬だ。
「土砂災害の危険性があると、外部の方々はご心配です。ならば、今こそ私たち自身の手で、この町の防災対策を徹底的に見直しましょう!」
公民館で、彼女はそう宣言した。デマを逆手に取り、町民の不安を「団結」の力へと変える作戦だ。権爺が持つ昔の山の知識を元に、ハザードマップ作りや、子供からお年寄りまで参加できる避難訓練を企画する。彼女の真っ直ぐな訴えは、揺れていた町民たちの心を、再び一つにまとめ上げていった。
そして、裏の戦線は、俺の担当だ。
「龍二。黒川と、奴に唆されてる連中の金の流れを、金の出所から金の使い道まで、金の関わる全てを徹底的に洗え」
龍神建設の事務所で、俺は静かに命令を下す。俺の隣には、紬が託してくれた、中傷の手紙の束があった。
紬が光なら、俺は影だ。光が届かぬ場所に巣食う悪を、俺は影として、静かに、だが確実に潰す。
◇
最初の標的は、紬を執拗にいじめていた、推進派の主婦リーダーだった。
俺は龍二を伴い、彼女の家の前に立った。
「何の用よ! あんたたちのせいで、この町はめちゃくちゃよ!」
玄関先でヒステリックに叫ぶ彼女に、俺は静かに一枚の紙を差し出した。
「あんたの息子さん、都会の大学で、奨学金の返済に苦労してるんだってな」
それは、龍二が調べ上げた、彼女の息子が抱える借金の督促状のコピーだった。主婦の顔が、さっと青ざめる。
「な、なんでそれを…」
「黒川から受け取ったそのした金で、息子の未来が救えるのか?」
俺は、黒川から主婦へ金が渡った証拠――銀行の振込記録のコピーを、さらに突きつけた。
「黒川は、あんたを利用してるだけだ。奴がこの町からいなくなったら、あんたに残るのは、町中の人間からの軽蔑と、黒川への借金だけだ。それでもいいのか?」
主婦は、わなわなと震えている。俺は、最後のカードを切った。
「今なら、まだ間に合う。この件から手を引け。息子さんの奨学金は…俺たちがなんとかしてやる」
クラウドファンディングで集まった余剰金の一部を、町の未来への投資として、彼女の息子のために使う。それは、昨夜、紬も賛成してくれたことだった。
アメと、ムチ。絶望と、希望。
主婦は、その場にへなへなと崩れ落ちた。推進派は、これで牙を一本、失った。
◇
いよいよ、本丸との直接対決だ。
俺は一人で、黒川が宿泊している隣町の高級ホテルのスイートルームを訪ねた。
「やあ、役場のチンピラくん。私に何か用かね?」
黒川は、高級そうなガウンを羽織り、余裕の態度で俺を迎える。
俺は何も言わず、持ってきた資料をテーブルの上に一枚、また一枚と並べていった。
グランフォート社の過去の悪質な地上げの資料。
黒川が推進派住民に金を渡していた証拠。
そして――。
「……これは、なんだね?」
黒川の顔から、初めて余裕の笑みが消えた。
それは、都会の役所の同期と、IT企業に勤める元ヤン仲間の協力で掴んだ、グランフォート・リゾーツ社の、完璧な脱税(裏金作り)の証拠だった。
「リゾート開発、水源地、どっちでもいい。あんたの好きにすればいいさ。だが、その代わり、この資料は東京の国税局と、俺が懇意にしてる週刊誌に送らせてもらう」
俺は、静かに、しかし絶対的な圧力で、黒川を追い詰める。
「あんたの会社、潰れるかもな。あんたの経歴にも、デカい傷がつく」
「き、さまぁっ!」
激昂した黒川が、俺に掴みかかろうとする。だが、俺がゆっくりと立ち上がり、ただ静かに睨み返すと、その動きはピタリと止まった。俺の瞳の奥に、かつての「鬼」を見たのだろう。
黒川は、まるで糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
「……わかった。手を、引く。この町からは、完全に、手を引く……」
完全勝利の瞬間だった。
俺は、何も言わずに部屋を後にした。
役場に戻ると、紬が、心配そうに入り口で俺を待っていた。俺の顔を見るなり、彼女は駆け寄ってきた。
「八神さん…!」
「ああ、終わった。もう、何も心配いらねぇよ」
俺がそう告げると、彼女の大きな瞳から、安堵の涙が堰を切ったように溢れ出した。
そして。
彼女は、人目もはばからず、俺の胸に、強く、強く飛び込んできた。
「ありがとうございます…! 本当に……ありがとうございます…っ!」
俺は、抱きついてくる彼女の、震える頭を、照れながらも、優しく撫でた。
二人の長く、厳しい戦いが、ついに終わったのだ。
あとは、最後の仕上げを残すのみだった。