第12話 黒い噂と信じる心
祭りの後の浮かれた空気は、あっという間に黒い噂に塗り潰されていった。
黒川がネットに仕掛けたデマは、ゴシップ好きの週刊誌系ネットニュースが飛びついたことで、一気に拡散。「神鳴町は土砂災害の危険地帯」「役場は情報を隠蔽」という見出しが、人々の不安を的確に煽った。
役場には、クラウドファンディングで支援してくれた人たちから、「話が違うじゃないか」「寄付金を返してほしい」という苦情の電話が鳴り響いた。
黒川は、その絶好のタイミングで、再び町で説明会を開いた。
「ご覧なさい。これが外部からの客観的な評価です。私の計画なら、防災対策も万全にします。土地を売って、安全な場所に移るのが賢明ですよ」
不安と甘言を巧みに織り交ぜた彼の言葉に、一度は祭りで団結しかけた町民たちの心は、再び揺らぎ始めた。
「だから言わんこっちゃない! 清川さんと八神さんのせいで、町の評判が地に落ちた!」
「開発に反対するから、こんなことになるんだ!」
公民館では、推進派の住民が、俺たちを公然と非難するようになっていた。祭りの成功で生まれた一体感は、もはや見る影もなかった。
◇
そして、黒川の陰湿な攻撃の矛先は、反対派の中心人物である清川紬、個人に向けられた。
役場の彼女のデスクに、差出人不明の手紙が届くようになったのだ。
『お前のせいで町が滅茶苦茶だ』
『お前さえいなければ、この町はもっと良くなる』
心を抉るような、悪意に満ちた言葉の刃。黒川が、推進派の誰かを唆して書かせているのは明らかだった。
さらに、紬の実家である小さな酒屋は、長年の付き合いだったはずの卸問屋から、突然取引の停止を言い渡された。黒川が裏で圧力をかけたのだろう。
紬は、気丈に振る舞っていた。俺の前では、いつも通りに仕事をこなし、笑顔さえ見せていた。だが、その笑顔が、痛々しいほどに脆く見えた。
◇
「何か隠してるだろ」
その日の夜、誰もいなくなった後に、俺は紬に問い詰めた。彼女の目の下に、うっすらと隈ができているのに気づいていた。
「な、何でもありませんよ? 私は大丈夫です」
笑顔で誤魔化す彼女の嘘を、俺はもう見過ごせなかった。
業を煮やした俺は、彼女が帰った後、ゴミ箱の奥に押し込まれていた、くしゃくしゃの便箋を見つけ出した。そこに書かれた、あまりに卑劣な言葉の数々。俺は、静かな怒りで拳を握りしめた。
その足で、神鳴神社へ向かう。予感は的中した。拝殿の縁側で、紬が一人、膝を抱えて座っていた。
俺は、手紙のことは言わなかった。ただ、黙って彼女の隣に座った。
「……一人で抱え込むなっつったろ」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど優しかった。
「俺は、お前のこと、信じてるからな」
その、あまりに不器用な言葉が、彼女の最後の砦を壊した。
「ごめんなさい……っ、私……、私、どうしたら……っ」
紬の肩が震え、堰を切ったように泣きじゃくり始めた。
俺は、その小さな頭を、優しく、何度も撫でた。
「いいから、全部吐き出せ。半分、俺が持ってやる」
言葉にならない嗚咽が、夜の静寂に響く。
恋人ではない。だが、俺たちの間には、それ以上に強い絆が、確かに結ばれていた。
◇
翌日。役場に出勤してきた紬の顔は、完全に吹っ切れていた。
彼女は、慎重派の町民たちを公民館に集めると、これまで役場に届いたデマ記事や、自分への中傷の手紙を、全てテーブルの上に広げてみせた。
「これが、あの人たちのやり方です。人の心を踏みにじり、不安を煽って、この町を乗っ取ろうとしているんです。私たちは、こんな卑劣な脅しに屈するわけにはいきません!」
彼女の覚悟に満ちた宣言に、揺れていた町民たちの心が、再び一つに固まっていくのが分かった。
その様子を静かに見届けた後、俺は龍二を呼び出した。
「黒川と、奴に唆されてる連中の金の流れを洗え。金の出所さえ叩けば、連中は動けなくなる」
俺の目は、再び、あの夜の鋭い光を宿していた。
「正々堂々じゃ、勝てねぇ相手もいる。だったら――」
こっちも、『鬼』になるしかねぇだろ。
次なる幕が、静かに上がろうとしていた。