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第11話 祭りのあとの名前のない関係

 

 祭りの熱狂が過ぎ去った神鳴町役場は、奇妙な空気に包まれていた。

 俺、八神宗介と、清川紬。俺たち二人が言葉を交わすたびに、周囲の職員たちが、ニヤニヤしながらこちらを見ているのが分かる。俺が彼女に書類を渡せば、なぜか近くにいた同僚が「おっと、失礼!」とわざとらしく席を外す。

 原因は、分かっている。祭りの夜の、あの花火だ。

 だが、当の俺たちは、あの夜以来、互いをどう意識していいのか分からず、極度にぎこちない状態に陥っていた。

「や、八神さん! この間の、報告書ですが…」

「あ、ああ、清川…さん。そこに、置いといてくれ」

 不自然な敬語。一メートル以上のソーシャルディスタンス。

 傍から見れば、ただのよそよそしい同僚だ。だが、俺の心臓は、彼女と話すたびにうるさく脈打っていた。

 (あの夜、肩、抱き寄せちまったけど…これって、付き合ってんのか? いや、でも言葉にはしてねぇし…)

 向かいのデスクの紬も、頬を赤らめながらパソコンの画面を睨んでいる。

 (あの夜、八神さんの胸に…! でも、これは恋人、なのでしょうか? 確認するなんて、恥ずかしくてできません…!)

 そんな俺たちの、もどかしくて甘酸っぱい葛藤を知ってか知らずか、課長だけが呑気な声を上げた。

「おや? 君たち、また喧嘩でもしたのかね? 仲良くしなさいよ」

 その超鈍感な爆弾発言に、地域振興課の空気が、カチンと凍りついた。

 ◇

 そんな平和な(?)日常の裏で、見えざる敵の陰湿な反撃は、静かに始まっていた。

 ネットの匿名掲示板に、『神鳴町の危険性について』と題されたスレッドが立てられたのだ。

『あの町は過去に大規模な土砂災害があった。役場は情報を隠蔽している』

『いつ土砂に埋もれてもおかしくない場所に、リゾートなんて正気か?』

 悪意のあるデマ情報が、瞬く間に拡散されていく。役場には、クラウドファンディングで支援してくれた人たちから、不安を問い合わせる電話が数件かかってきた。

 さらに、キヨさんの店で井戸端会議に参加していた俺たちの耳に、不穏な噂が飛び込んできた。

「黒川さんがねぇ、うちの土地だけに、こっそり手付金を払うから、仮契約だけでもどうかって言ってきたんだよ」

 あの野郎、町民たちに個別に接触し、金の力で分断を図ろうとしているらしい。

 ◇

「このままじゃジリ貧だ。敵の本拠地(グランフォート社)の情報を、もっと集めるぞ」

 俺の提案に、紬も頷いた。

「調査だ」という、もっともらしい名目で、俺は紬を隣町のファミレスに連れ出した。休日、私服で会うのは、これが初めてだった。

「わっ…!」

 紬が、ドリンクバーの操作が分からず、メロンソーダを盛大に溢れさせていた。俺は呆れながらも、何も言わずに駆け寄り、布巾でテーブルを拭いてやる。

「す、すみません…」

「……別に」

 ノートパソコンを開き、グランフォート社について調べる。だが、どうにも集中できない。

 俺は意を決して、都会の役所に勤める同期に電話をかけた。

「おう、俺だ。…いや、別にデートじゃねぇよ!仕事だっつーの!隣にいるのは…同僚だ、同僚!」

 必死に言い訳をする俺の声を、紬が俯きながら、少しだけ寂しそうに聞いていた。

 気まずい沈黙が流れる。

「あの…私たち、なんでしょう…この、関係は」

「……さあな」

 お互いに、核心に触れることができないまま、時間が過ぎていく。

 だが、その空気を破ったのは、やはり共通の敵の存在だった。

 俺は、同期からの情報で、グランフォート社が過去に手がけた開発事業のいくつかが、「水源地の確保」が目的だったのではないか、という疑惑にたどり着いた。

 同時に、紬が図書館で調べてきた古文書の写しを広げた。

「この文献に、『神鳴の水は、不老の霊水として都に献上されし』という記述が…」

 二つの情報が、一つの線で繋がった。

 黒川の真の狙いが、この町の命とも言える、あの水源地にあることが、ほぼ確定したのだ。

 帰りのバスの中。夕日が、俺たち二人を照らしていた。

 ぎこちない空気は、いつの間にか消えていた。共通の敵を前に、俺たちは再び、ただの「共犯者」に戻っていた。

「絶対に、渡さない」

 紬が、決意を込めて呟く。

 俺は黙って、隣に座る彼女の、少し冷えた手に、自分の手をそっと重ねた。

「……風邪ひくぞ」

 ぶっきらぼうに、それだけ言う。

 紬は驚いたように肩を揺らしたが、今度はその手を振り払わなかった。

「……ありがとうございます」

 小さな声でそう答え、そっと、俺の手を握り返してきた。

 恋人ではない。でも、ただの同僚でもない。

 そんな、名前のない特別な関係のまま、俺たちの新たな戦いが始まる。バスが神鳴町に着くまで、俺たちは、ずっとそうして手を繋いでいた。

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