第42話 王都の暗部と、星の巫女の決意
「というわけでな、俺の熱狂的な信者の一人が、スラムの地下から異臭がすると言っていた。明日にでも俺が散歩がてら、神聖なオーラで地下水道を一掃してやろうと思う」
ラファルの研究室で、俺は特別製の椅子(俺が勝手に持ち込んだふかふかのソファ)に深く腰掛けながら、優雅に茶を啜った。
「下水掃除っすか? 英雄様も意外と庶民的というか、働き者なんですねー」
非番で遊びに来ていたルルが、セレスの淹れた紅茶を飲みながらケラケラと笑う。
「馬鹿者。ただの掃除ではない、浄化だ。俺の治める予定の国に、淀んだ空気が漂っているのは美学に反するからな」
「はいはい、浄化浄化。……ほら、セレスが焼いたクッキー食べるか?」
テオが呆れたように皿を押しやってくる。俺はそれを優雅に齧りながら、鼻で笑った。でもユウ、一人で行くのはやめとけよ? スラムの地下なんて、ならず者の溜まり場になってることも多いんだからさ」
テオが呆れたように肩をすくめた。
「ふん。ならず者など、俺の覇気でチリと化すわ」
俺が鼻で笑うと、実験台で書類を読んでいたラファルが、眼鏡を押し上げながら振り返った。
「スラムの地下、か……。アリュールにも調査を頼んでいるが、先日大猪を狂わせた『凶化薬』の残滓が、地下水脈から流れ出た可能性は高い。決して油断するなよ、ユウ。君のその無根拠な自信が、命取りになることもある」
「相変わらず頭の固い男だ。俺の辞書に『命取り』という文字はない。俺が行けばすべて解決だ、案ずるな」
俺は余裕たっぷりに笑ってみせた。
(いざとなれば地下のネズミ共に案内させればいい。明日の午後あたりにでも、ルナリアの顔を見るついでに寄ってやるとしよう)
俺は、彼女の純粋な笑顔を思い出し、少しだけ口角を上げた。
***
その頃。
王都の下町、スラムの奥深くにある廃教会。
ルナリアは、祭壇の裏に隠された古い木製の扉の前に立っていた。
王家から異端として迫害されてきた『星を祀る一族』が、かつて身を隠すために使っていた、地下水道への抜け道だ。扉の隙間からは、冷たく、そして吐き気を催すような淀んだ空気が漏れ出している。
『俺の圧倒的な神の光で、近いうちに地下ごと浄化してやろう』
数時間前、ユウが自信に満ちた顔でそう言ってくれたことを思い出す。
「……だめです。ユウ様のような尊いお方を、あんな臭くて汚い場所に行かせるわけにはいきません」
ルナリアは、小さな両手をきゅっと胸の前で握りしめた。
彼女の右腕には、ユウからもらった『星屑のタルト』の箱に結ばれていた、綺麗な銀色のリボンがしっかりと巻き付けられていた。
「少しでも、私がお役に立たなければ。神様の世界を汚す原因を、私が見つけてお知らせするのです」
ルナリアは深呼吸をし、重い扉をギィッと押し開けた。
むせ返るようなヘドロの臭い。だが、スラムで泥水をすすって生きてきた彼女にとって、その程度の悪臭は我慢できるものだった。
問題なのは、それに混じって漂ってくる『別の臭い』だ。
鉄錆のような、生臭い血の匂い。そして、星々が悲鳴を上げているような、ぞっとするほど冷たい魔力の気配。
「……怖く、ありません。私には、ユウ様がついていてくださいます」
彼女は右腕のリボンにそっと口付けをすると、薄暗い階段を一人で降りていった。
地下水道は、迷路のように入り組んでいた。
足首まで浸かる汚水を、音を立てないように慎重に歩く。時折、巨大なドブネズミが水面を泳いで横切るが、ルナリアは小さな悲鳴を噛み殺し、壁の影に張り付いてやり過ごした。
(神様は、こんなに暗くて寒いところをお歩きになる必要なんてないわ。私が、全部調べるんだから……)
ただその一心だけで、華奢な少女は漆黒の迷宮を奥へ奥へと進んでいく。
どれくらい歩いただろうか。
冷え切った体が震え始めた頃、前方の通路の奥から、ぼんやりとした灯りが漏れているのが見えた。
同時に、ゴウン……ゴウン……という、機械が重く駆動するような異音が微かに響いてくる。
(あそこから……臭いが、強くなっている……)
ルナリアは心臓の鼓動を抑えつけながら、気配を殺して灯りの方へと近づいた。
角からそっと身を乗り出し、奥の広場を覗き込む。
「あっ……」
ルナリアは、思わず両手で自分の口を塞いだ。
広場の中央には、見たこともない巨大な黒い金属の装置が置かれていた。装置には無数の管が繋がれ、ドロドロとした赤黒い液体が、絶え間なく地下水路へと垂れ流されていた。
だが、彼女が絶句したのは、その装置のせいではない。
装置の傍らに、いくつもの大きな麻袋が無造作に積まれており、そこから赤黒い血が滲み出していたからだ。
「おい、ジン。次のが要る」
ふと、低く冷たい男の声が広場に響いた。
ルナリアは息を呑み、さらに壁の影へと身を縮めた。
そこにいたのは、黒い装束に身を包んだ、恐ろしい気迫を放つ二人の男だった。
ニヴェアの王都の真下で、静かに、そして確実に、国を滅ぼすための悪意が牙を研いでいたのだ。




