第16話 ナルシスト達の脱出劇
俺とシルヴァン、そして動くことができる彼の側近数名を連れて、薄暗い司令室を出た。
計画はこうだ。
まず、この俺の英雄としての圧倒的な超感覚を駆使して、砦内にいるであろうザルガンディア兵の目を掻い潜り、砦の表口から脱出する。
そして、アリュールたちが戦う本軍へと合流し、挟撃作戦を潰して王子を救い、勝利の美酒に酔う!
完璧な計画だ。
「ところで、俺は砦の裏口らしきところから入ってきたが、表口の状況はどうなっているんだ? 敵は?」
俺が尋ねると、シルヴァンは壁に立てかけてあった、装飾過多な儀礼用の剣を手に取りながら、やれやれといった風に答えた。
「裏口からやってきたのかい!? ということは、あの『迷宮の森』を抜けてきたということだろう? よく無事にたどり着けたものだね」
(ふむ、あの森は『迷宮の森』と呼ばれているのか。それを俺は初見で、しかも勘だけで突破したと……! やはり俺は、神に選ばれし道標としての能力も持っているようだな!)
「あの森は、この僕でさえ時々方角を見失うくらいだからね。だから裏口から逃げるのは得策ではないのさ」
(この国の王子でも迷うほどの森だったとは。それを難なく抜けてきた俺は、やはり規格外の存在なのだな)
そう一人悦に入っていると、シルヴァンが続けた。
「表口の方は今、ザルガンディア軍が侵攻している通り道で、おそらく砦の入口近くには敵兵がうろついているかもしれない。だが、それも少数だろう。彼らの主力は、外でアリュールたちが引きつけてくれているはずだからね」
「なるほどな。ならば、俺とお前の英雄的オーラがあれば、その程度の雑兵など赤子の手をひねるようなものだろう?」
俺がニヤリと笑いながら言うと、シルヴァンも輝くような笑みを返した。
「もちろんさ! 僕の美しさと君のその根拠のない自信が合わされば、不可能はないだろう!」
「「じゃあ、行くぞ!!」」
俺たちは、なぜか息ぴったりにそう宣言すると、シルヴァンの動ける側近数名と共に、音を殺して通路へと踏み出した。
(ふむ……右の通路からは、ザルガンディア兵の邪悪で血なまぐさいオーラを微かに感じるな。ここは左へ行くのが正解だろう)
「ここは左だ! 俺の勘がそう告げている!」
俺がそう進言すると、隣のシルヴァンがぴたりと足を止めた。
「いや、僕の本能が、右が栄光への道だと囁いている!」
「貴様の本能など当てになるか! 邪悪な気配がする方へ進んでどうする!」
「おや、僕の神聖なる本能を疑うのかい? 美しさは常に正しいのだよ!」
俺とシルヴァンが小声で言い合っていると、シルヴァンの後ろに控えていた側近の一人、涼しげな目元の女性が、静かに口を開いた。
「シルヴァン様。ここは、優様の意見に従いましょう。彼は、あの迷宮の森を一人で抜けてこられた実績がございますので」
その声は、この切迫した状況においても、不思議なほど落ち着き払っていた。
(ふむ。この女、なかなか鋭いではないか。俺の持つ英雄としての天性の勘の良さを、瞬時に見抜いたと見える。使えるな)
(だが、俺の意見を支持する彼女の瞳の奥に、一瞬だけ、温度のない、まるでガラス玉のような冷たい光が宿ったのを、この俺は見逃さなかったぞ)
(ふっ、これほどの激戦を潜り抜けてきたのだ、感情を殺す術にも長けているのだろう。やはり、ただの側近ではなさそうだ!)
「……アヤメさんがそう言うなら仕方ないか。良かろう、ユウ。君のその野性的な直感とやらに一度賭けてみよう」
「だが、もしこの選択で僕のこの芸術品のような顔に1つでも傷がついたら……その時は、君を僕の専属道化師として生涯そばに置くことになるから、覚悟しておくんだね」
シルヴァンはそう言うと、優雅に髪をかきあげ、俺が指し示した左の通路へと静かに歩き出した。
俺たちは、砦の内部通路の影や、崩れた瓦礫の陰に身を隠しながら、慎重に進んでいた。
俺は、壁に張り付きながら、究極の隠密スキル『影渡り(シャドウムーブ)』をシルヴァンに小声で解説してやることにした。
「(ふっ、見ろシルヴァン。これが俺の編み出した、気配を完全に消し、闇に溶け込む究極の歩法……。まるで忍者のようだろう?)」
シルヴァンは、優雅な手つきで口元を覆い、囁くように答える。
「(優、君の動きは少々泥臭くて野性的だね。真に高貴な隠密行動とは、気配を消すのではなく、自らの圧倒的な美しさで、風景そのものと一体化することなのだよ。僕のようにね)」
(シルヴァンは中々痛いところを突いてくる)
「(なっ……! あれはただ、瓦礫に足を取られてコケそうになっただけだろうが!)」
俺は、そう小声で反論する。
「(おや、嫉妬かい? 美しい動きというのは、時に常人には理解しがたいものなのさ)」
「(何を……!)」
「シルヴァン様、優様。お静かにお願いします。敵に察知されます」
俺たちの不毛な言い争いを遮ったのは、アヤメの冷たく、感情の乗らない囁き声だった。
その声には、呆れや焦りといった色は一切なく、ただ淡々と、任務を遂行する機械のような正確さだけが感じられた。
その時だった。
前方の通路の角から、二人のザルガンディア兵がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
俺たちは慌てて物陰に息を殺して隠れる。
敵の足音が、心臓の音と重なるように、すぐ近くまで迫ってくる。
すると、シルヴァンが俺の耳に吐息がかかるほどの小声で、とんでもないことを聞いてきた。
「(ねえ、優。この絶体絶命の状況……極度の緊張感によって、僕の瞳が普段より潤み、儚げな輝きを増していることに気づいているかい?)」
(知るかーーーっ!! このナルシスト王子! 今それを言うか!?)
(敵に殺されるのと、こいつの言動にイラついて叫び出しそうになるのと、どっちが先に俺の命を奪うか、究極の二択だぞ!)
俺は心の中でそう絶叫していた。
俺の背後にいるアヤメとかいう女は、もう何も言うまいと固く決心したのか、無言で天を仰いでいた。
幸いにも、敵兵はこちらに気づくことなく通り過ぎていった。
シルヴァンの奇行に肝を冷やし、アヤメの無言の圧力に背中を焼かれながらも、俺たちはなんとか砦の表口近くまで辿り着くことができたのだった。




