第5話 親たちの会談①
穏やかな日差しが差し込む朝の王都。人々が通りを行き交い、活気ある声がそこかしこで響いているというのに、公爵家の客間にはどこか重苦しい空気が漂っていた。広い敷地を持つこの屋敷は、格式の高さを示すように厳かな門構えを誇っているが、その内側で行われる会談の様子は実に険しいものになりそうだ。
そこに招かれたのはエヴァンス伯爵。娘リリアーナの婚約相手であるアルベルトの父、レオンハルト公爵から、ぜひ会って話をしたいとの呼び出しを受けたのだ。使者の言葉は穏当だったものの、その裏には現状に対する苦言や疑念が含まれているだろうと伯爵は察していた。実際、伯爵家には近頃リリアーナの行動をめぐる噂が絶え間なく届いており、それが婚約の話に大きく影響しているのは明らかだった。
客間に通されると、公爵はすでに待ち構えるように席についている。飾り気のない簡素な装いだが、それでも醸し出される威厳は圧倒的であり、王都でも一目置かれる存在であることが伝わってくる。伯爵は深く礼をし、声を低めて挨拶を交わした。
「本日はお呼び立ていただき、恐縮でございます」
「いえ、私こそお忙しいところすまない。……少々、話しづらいことを持ち出すが、理解していただきたい」
公爵はなるべく感情を表に出さぬように言葉を選んでいるふうで、それがかえって伯爵の心をざわつかせる。伯爵は静かに相手の言葉を待ちつつ、うつむきがちに姿勢を正した。家の体面や娘の将来を考えると、簡単には返せない一言が次に続くのは確実だ。
「早速、本題に入らせてもらおう。そなたも承知しているだろうが、リリアーナ嬢の振る舞いに関する噂が、日に日に広がっている。夜会での粗暴とも言える態度や、侍女を追い出した話……真偽はともかく、世間にはあまり芳しくない」
伯爵は歯を食いしばる思いだった。彼女がわざと悪名を高めていることを知る伯爵にとって、これほど胸を締めつけられる話題はない。しかし、それを正直に明かすわけにもいかない。伯爵は静かにうなずく。
「ええ、存じております。娘にはそれなりの理由があるのではと考えてはおりますが、あいにく私ども親にも多くを語ろうとせず……。親としては、もどかしい限りです」
「なるほど。アルベルトからも、リリアーナ嬢が冷たい態度を取るばかりで、何を考えているのか分からないと聞いている。ご子息同士のこととはいえ、両家が結び合う以上、ここまで関係が悪化していては何かと問題が多い」
そこまで言うと、公爵はわずかに声を落として言いにくそうな表情を見せた。伯爵もすでに察しているが、やはり言及されるのは、婚約解消の話だろう。伯爵は意を決して相手をまっすぐ見つめる。
「公爵様としては、婚約を解消されたいというご意向でございましょうか」
「断言したわけではない。ただ、これ以上リリアーナ嬢の噂が広まり、アルベルトの将来まで暗い影を落とすことになるとしたら、そなたも同じく辛い立場に立たされよう。今ならば、穏便に解消する手段を探れると考えている」
伯爵は深く息を吐き、拳を硬く握りしめた。胸の内にあるのは娘への愛情と、それを人に知られたくないという娘自身の強い意思の板挟みだ。さらに言えば、リリアーナが病弱で、余命をいくばくも持たない可能性を秘めているという事実を、公爵は知らない。それをここで明かして、どうなるというのか。
「実は……娘は幼い頃から身体が弱く、無理をして社交に出ている節もあるのです」
ほんの少しだけ打ち明けるにとどめ、伯爵は歯切れ悪く言葉を続けた。本当の深刻さは伏せなければならないという思いと、それでも一部は理解を求めたいという葛藤があった。
「なるほど。確かに体調不良から心がささくれることもあるだろうが……どうも、噂に聞くリリアーナ嬢の態度はそれだけでは説明できないように思える。アルベルトも、最初はただの気性の問題かと捉えていたようだが、最近は心中穏やかでないようでな」
「娘は……ああ、何と申し上げてよいか……」
伯爵の苦悩がそのまま声に表れ、公爵は少し顔を曇らせる。伯爵自身も娘の本意をうすうす感じ取っている。リリアーナは周囲に嫌われることで、自らの消え行く未来に他者を巻き込まずに済むようにしている。真実を言葉にすれば、どうにか打開策を模索できるかもしれないが、本人の望みに背くことにもなる。さらに、その重大事を公爵家に知られれば、余計に波紋が広がる可能性も高い。
「ご存知かもしれませんが、私ども伯爵家も決して近年は盤石ではございません。娘が気丈に振る舞うことで、私の不在を補ってくれている面もあります。……それが裏目に出ているのかもしれません」
必死の苦し紛れの言い訳をする伯爵に、公爵は沈黙のまましばし視線を据えた。彼の瞳には、どこか温情を感じさせる光があるが、それはあくまで理性的な立場に立った上でのものだ。
「こちらとしても、アルベルトの幸せを損ねたくはない。リリアーナ嬢を切り捨てるような仕打ちは避けたいとは思っている。だが、王都の声は決して小さくないし、公爵家としての面子もある。あまり長引けば、さらに致命的な事態を招くやもしれぬ」
「……おっしゃる通り、娘の振る舞いを放置するわけにはいかないでしょう。ですが、娘を強引に引き戻したところで、心から改めるとは思えませんし……」
「そうだな。娘さんの性格や身体のことを思えば、強行手段は取れまい。だからこそ、もしも互いに歩み寄れない状況ならば、いずれ一つの選択肢として婚約解消が浮上するのは自然な流れだと思うのだ」
伯爵はその言葉を否定できなかった。親としてリリアーナを守りたい気持ちはあるが、彼女自身が周囲を拒むような行動を積み重ねる以上、父親にも止める術がない。伯爵家の面子は言うまでもなく、公爵家との繋がりを失えば、さらに肩身が狭くなるかもしれない。しかし、リリアーナが望むのはむしろそういった縁の断絶なのだとしたら。
「公爵様。ただ、できれば時間をもう少しいただけませんでしょうか。娘がどのような決断をするか、私なりに説得を試みてみます。もしそれでも何ら改善が見られぬならば……」
伯爵は苦渋に満ちた表情でそう提案した。わずかな可能性にかけ、リリアーナを思いとどまらせたいという思いが、彼の声には滲んでいる。公爵はその懇願ともいえる言葉に対し、少し考え込むように目を伏せた。
「私も、荒立てるつもりはない。アルベルトも悩んでいるし、両家が長年培ってきた関係を一夜にして壊すわけにはいかぬ。いいだろう、しばし様子を見よう。ただし、その間にも噂は広まる一方だ。そなたも覚悟をしておく必要がある」
「痛み入ります。娘がどう考えているのか、できる限り耳を傾け、誤解を解く努力をしてみます」
「頼む。エヴァンス伯爵家にとっても、公爵家にとっても、できれば円満に収めたいものだ。しかし、いかんせん、リリアーナ嬢の言動があまりにも……」
公爵が途中で言葉を切ったのは、あまりに辛辣な表現を使うことで伯爵を追い詰めたくはないという配慮からかもしれない。とはいえ、その表情にははっきりとした戸惑いや苛立ちが浮かんでいた。アルベルトがこれほど悩むような状況を親として放っておくことはできないし、公爵家の体面を考えれば、婚約を白紙に戻すことのほうが理に適っているという現実がある。
さらに、世間ではリリアーナが夜会や領地でどれほど高慢な態度をとったか、あるいは侍女を実際に追放しただの何だのという噂が後を絶たない。どこか作為的に流されているかのように、日増しに話がエスカレートしているのが目に見えている。それを伯爵自身が止められないとなれば、結末はほぼ決まっているようにも思えた。