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第3話 婚約者との邂逅②

 彼を遠ざければ遠ざけるほど、いずれ自分がいなくなったとき、彼は悲しまなくても済むはず。そう思えば、こうして冷たい言葉を浴びせるのも「必要な行為」だと自分を納得させている。とはいえ、相手の戸惑いや哀しげなまなざしを見ると、胸が締めつけられるのはどうしようもなかった。


「僕は……ただ、本当のリリアーナを知りたいだけなんだ。昔の面影が、嘘だったとは思えない。どうして、こうなってしまったのか」

「どうしてか、ですって? そんなもの、私の気まぐれよ。理解しようとするだけ無駄だわ」


 わざと投げやりに言い放つが、アルベルトの眉間には更なる苦悩が刻まれる。二人の間には微妙な沈黙が落ちた。時計の秒針がかすかに動く音だけが聞こえるほどの静けさだ。リリアーナはこの場をしのげればいいと考えているが、アルベルトはここで何かを(つか)もうと必死に言葉を探しているようだった。


「……リリアーナ」


 アルベルトが(ふる)える声で彼女の名を呼んだ。その声音に、彼女はかすかに目を伏せる。思いがけず心を揺さぶられそうになり、すぐに表情を引き締めて彼を見ると、彼はまっすぐにこちらを見つめ返してきた。


「どうせ私からは何も出てこないわよ。あなたがそれほど執着する理由が分からない」

「執着というより、婚約者として当然の責任だと考えている。君の周囲から聞こえてくる噂が、真実とは思えないから……その誤解を解きたいと思っているんだ」

「誤解かどうかはあなたの勝手な想像でしょう。周囲の噂に踊らされている時点で、私を知ると言われても滑稽(こっけい)なものね」


 リリアーナは再び冷ややかな笑みを浮かべながら、内心では焦りにも似た感覚を抱いていた。これ以上、彼が踏み込んでくると困る。それだけは避けたい。噂に惑わされるならまだしも、自分の言動や表情の奥にあるものを本当に探られたらどうなるか――自分の身体の事情を知れば、彼がどういう行動をとるか想像もつかない。苦しむのは彼だけではなく、周囲もまた混乱に陥るだろう。


「今は、もうあまり時間が取れないわ。要件があるなら早めにお願いできる?」

「要件……そうだな。実は、数日後に僕の家で開く夜会に招待したいと思っていたんだ。父も、君との縁を深めたいと考えている。社交界の一員としてではなく、僕らの婚約を正式に広く認めてもらうための場にしたいらしい」

「ふふ。それはご丁寧に。公爵家がわざわざ動くとは大がかりね。あなたの父上は、私の評判を聞いてどう思っているのかしら?」

「それは……少なくとも、君を拒むとは言っていない。むしろ真実を確かめたいと。だからこそ、この夜会で正式に紹介する形を取りたいんだ」

「ご立派なご判断ね。まあ、面白そうではあるわ。行って差し上げましょう」


 リリアーナは意外なほど素直に承諾するが、その瞳には冷めた光が揺れている。アルベルトはほっとしたような、それでもなお不安を拭いきれないような表情を浮かべた。まるで、これで何かが解決すると信じたいのに、裏切られるのではないかと(おび)えているかのようだ。


「ありがとう。きっと……君が来てくれたら、父も喜ぶと思う」

「別に喜ばせるためではないわ。私にとって有益かどうかを考えてのことよ」


 せっかくのアルベルトの感謝を切り捨てる言葉に、彼は再び暗い目をする。リリアーナはそれを見ても一切取り合おうとせず、軽くうなずいて立ち上がった。椅子を出る際、ふっとぐらつきそうになるが、なんとか両足に力を入れて体勢を立て直す。心臓に痛みが走り、胸の奥が(きし)むが、顔に出さないのが彼女の流儀だ。


 それにも気づかず、アルベルトは名残惜しそうに彼女を見上げる。


「君がそうするなら、それで構わない。……また、その夜会の前に話をする機会を作ってもいいだろうか?」

「さあ、どうかしら。私の予定次第ね」


 曖昧(あいまい)な返事を残して背を向けると、アルベルトが起立して彼女を見送ろうとした。リリアーナはドアの取っ手に手をかけたまま、小さく(つぶや)くように最後の一言を落とす。


「……あなたの思い通りにはならないわよ」


 どこか悲しげにも聞こえる声色だったが、アルベルトがそれに返事をする間もなく、扉は無情にも閉ざされる。応接室に取り残された彼は、深く息をついて一人思案に沈んだ。彼女の変貌を知りたいと強く願いながら、彼女を傷つけることになるのではという恐れも同時に感じているのだ。


 廊下を足早に進むリリアーナは、自分の胸元を押さえる。先ほどから感じる痛みが絶えず、呼吸がどこか苦しい。アルベルトの言葉を聞くたびに、幼い頃の記憶が蘇りそうになるのを必死に押し止め、心を閉ざす。しかし、昔の彼女は確かに優しさを持っていたし、彼との間にわずかな交流があったことも忘れ去ってはいない。


「……ほら、やっぱり面倒になるだけじゃない」


 誰に向けるわけでもなく、小さく吐き捨てるようにつぶやく。病を抱え、時限があることを自覚している以上、誰かを巻き込むわけにはいかない。特にアルベルトのように真っ直ぐな人間であればあるほど、自分の弱さや苦しみを見られたくないと強く思ってしまう。


 やがて自室に戻り、扉を閉める。中には誰もいない。昨日の夜会から感じていた空虚さと、先ほどの胸の痛みが二重に重なり、リリアーナは深い溜息をついて壁にもたれた。これまで幾度となく噂を受け流してきたが、婚約者であるアルベルトから直接「昔の君は違った」と言われると、どうにも言い返しようがない。実際、自分でも今の姿が(ゆが)んでいるのは承知しているからだ。


「だけど、仕方ない。誰にも悟られずに、いつか……いなくなるだけ」


 心の奥底に沈めた思いを無理やり捨て去るようにしながら、彼女はドレッサーの前に座る。鏡に映る自分の顔は、どこかやつれて見える気がしたが、やがて扇を手に取って口元を覆い隠すと、いつもの冷たげな笑みが蘇ってきた。


「今は、このまま進むしかない。それが一番……誰も苦しまなくて済むのだから」


 けれど、幼い頃の自分を覚えているというアルベルトが、この先どんな行動をとるのか。冷淡な仕草の裏に隠された気持ちを見抜かれないだろうか――そんな不安がほんのわずかによぎり、胸の痛みを増幅させた。扇を(つか)んだ手が、少しだけ(ふる)えているのを止めることができないまま、リリアーナは鏡越しにそっと瞳を伏せる。


 こうして再び対面した婚約者との間には、幼い頃の思い出をかすかに残しながらも、複雑な溝が横たわっていた。リリアーナは自分から遠ざけようとする。アルベルトはかつての彼女に戻ってほしいと望む。互いに真意を押し隠したまま、二人は同じ場所にいるはずなのに、違う道を歩んでいるかのようだった。彼女の仮面が崩されるのか、あるいはさらに固められるのか――その行方は、まだ誰にも分からない。

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