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愛を拒み続けた病弱令嬢が最期に見たのは、孤独ではなく涙と優しさでした  作者: ぱる子


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第17話 切なる想い①

 馬車の車輪が砂利道をきしませながら進んでいく。窓の外には、小さな村や視界を(さえぎ)る森が次々と通り過ぎ、道が開けたかと思うと、ぐんと視界の先に青い水面が広がるのが見え始めた。透き通った湖面が夕暮れの光を受けて淡く輝き、岸辺のほうからは穏やかな波音がかすかに聞こえてくる。


 リリアーナは馬車の揺れに耐えながらも、その景色を見届けるとゆっくり息を吐いた。何度か車内で耐えきれない痛みが襲ったが、みんなの支えのおかげでここまでたどり着けたのだと思うと、胸にこみ上げるものがあった。伯爵夫人は娘が無事に到着したことを確認し、少し離れたところへ馬車を止めてくれている。クレイグ医師や侍女たちは静かに控え、最小限のサポートだけを残して二人だけの時間を用意してくれた。


「やっと、着いたわね……」


 リリアーナはアルベルトの腕を借りて、じりじりと馬車から足を下ろした。周囲は夕日に染まり始めた湖畔で、昔と変わらずどこか幻想的な雰囲気を(かも)し出している。草むらの上をほんのわずかに風が走り、水面をかすかに揺らす。


「ここなんだな。君がもう一度見たいと望んだ場所は……」

「ええ。子どものころ、父様がここに連れてきてくれたの。あのときは、まだ私の身体もそこまで辛くなかったから……ずいぶんはしゃいで走り回ったのを覚えているわ」


 アルベルトは、彼女の体をしっかりと支えながら、そっと湖面へ目を向ける。透明感のある水が水平に広がり、まるで空を抱き込むように輝いている。どこか儚げなこの景色は、リリアーナの姿と重なるようで胸が締めつけられた。


「ありがとう、アルベルト。こんな無茶を通してくれて……本当に、感謝してるわ」

「無茶なんかじゃない。君の願いを叶えられるなら、どんな困難でも乗り越えたかった。それに、君もよく耐えてくれたと思う」

「ふふ、何だか不思議ね。昔は、自分のために人がこんなに動いてくれるのが申し訳なくて、耐えられなかったのに。今は、嬉しい……」


 リリアーナは彼に体を預けながら、少しずつ砂利道を進む。足元は心もとないが、アルベルトがしっかりと手を添えてくれている。数歩進むたびに心臓がきしむような痛みが走るが、それでも湖のそばへ行きたいと気持ちが急かした。


「苦しかったら言ってくれ。座って休もう」

「大丈夫。もう少し先、あの木陰のほうに行きたいの」


 湖岸に沿うように一本の木が立っており、まるで子どもの頃の記憶そのままに枝を広げている。あの頃は、この木の根元に腰を下ろして父と一緒に湖を眺めたのだ――リリアーナはそう懐かしむように思い出していた。周囲には野花が咲き、かすかな香りが鼻孔をくすぐる。


 やがて二人は木陰に腰を下ろした。夕日の赤みが湖面に映り、金色と朱色が溶け合う景色が眼前に広がる。リリアーナは息を乱しながらも、しばし言葉を忘れたかのように見とれていた。短い余命の中、こうして美しい瞬間を味わえるなんて、まるで夢を見ているようだと思った。


「本当に……綺麗。変わらないのね、昔と。私がいなくなっても、この湖はずっとこのままなんだろうな」

「…………」


 アルベルトは一瞬言葉に詰まりながらも、リリアーナの手を握りしめる。彼女の口から「いなくなる」などと聞くと、どうしても胸が痛むが、これが今の彼女のリアルな心情なのだろう。


「ねえ、アルベルト。私……あなたと、ずっと一緒にいたかったわ。あなたが来てくれてから、私の世界はすごく明るくなったの。病に(おび)えてばかりだったのが、嘘みたいに」

「僕だって、もっと早く気づくべきだった。君の優しさや孤独を知ったとき、何て自分は鈍感だったんだろうと思った。ごめん」

「いいの。あの頃の私も、あなたを遠ざけることが愛だと思い込んでいたから……」


 リリアーナは苦しそうに咳き込みかけて息を整えながら、再び景色に目をやる。動悸が止まらない。無理を押してここまで来た以上、自分の身体はもう限界に近いかもしれない。それでも、彼女にとっては何より大切な時間だった。


「アルベルト、あなたに……ひとつだけ伝えたいことがあるの」

「……聞かせて。どんなことでも」

「あなたを……愛しているわ。あなたが私の隣にいてくれるだけで、私、こんなにも生きたいと思えるなんて……知らなかった」


 その言葉を聞いた瞬間、アルベルトの瞳が(うる)む。彼はまっすぐにリリアーナを見据えながら、強くうなずいた。これまで何度も、似たような感情を言い表してきたかもしれないが、彼女の口から「愛している」と告げられたのは初めてだった。


「ありがとう……僕も、心から君を愛してるよ。どんなに時間が短くても、君のすべてが大切なんだ」


 そのままアルベルトはリリアーナの手を引き寄せて、そっと唇を重ねようとした。彼女は少し戸惑いながらも、目を閉じる。夕日を浴びる湖の光が二人を包み込み、木陰に静かな陰が落ちる。その瞬間だけは、死の恐怖さえ遠のいたかのように感じられた。


「……あなたともっと一緒にいたかった。死ぬなんて嫌よ。こんなに幸せを感じることができるのに、あと少しで終わってしまうなんて」

「終わらせたくない。どんな手を尽くしてでも、君を守りたい。でも……」

「うん。知ってる。病には勝てないかもしれない。それでも……最後のひとときまで、こうしてあなたと一緒に笑って、泣いて……いたいの」


 リリアーナはそう言い終わると、急に強い痛みに襲われたのか、苦しげに胸を押さえ込む。ごく短い会話の中でも、体力は限界を訴えているようだ。アルベルトはぎょっとして、彼女の背中を支える。


「大丈夫か、しっかり……」

「ごめん……少し……息が……」


 みるみるうちにリリアーナの顔色が青ざめ、呼吸が浅くなっていく。さっきまで笑っていたはずなのに、ほんの一瞬で死の影が迫り来るような恐怖が二人を包む。アルベルトは慌てて薬袋を探り、クレイグ医師が用意した緊急用の鎮痛薬を取り出す。


「落ち着いて飲んで。少しは痛みがおさまるはずだから!」

「……苦しい……けど……湖を見られて、よかった……」


 そう(つぶや)きながら、リリアーナの意識が薄れるのではないかと、アルベルトは息を詰まらせる。なんとか薬を口に含ませ、彼女の背をさすりながら必死に呼びかける。辺りにいた侍女やクレイグ医師も駆け寄り、体をささえるように支援した。


「リリアーナ! しっかりして……! 君はまだ、僕の傍にいるんだろう?」

「ええ、いるわ……いたいの。……あなたの隣に、まだいたいの」


 かすれた声がかろうじて答えを返す。アルベルトの胸にしがみつくように、彼女は必死に呼吸を求める。湖の美しい夕景がまるで遠ざかっていくかのように視界が揺れ、苦しみに涙が(にじ)む。それでもアルベルトの体温だけははっきりと感じられるのが救いだった。

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