第16話 最後の願い①
朝の冷たい光が差し込む窓辺で、リリアーナは静かに瞳を開いた。ここ数日、寝込むことが増えていたとはいえ、今日はいつも以上に身体が重く感じられる。浅い呼吸を繰り返しながら、胸の奥で鈍い痛みがじわりと広がっていくのを意識した。無理に起き上がろうとすると、力が入らず身体が揺れる。かろうじて周囲に気づかれないようにこらえたが、額には嫌な汗が浮かぶ。
「お嬢様、起きられますか?」
控えめなノックとともに侍女が顔を出す。既にアルベルトやクレイグ医師が起き出しているのだろう。彼らはリリアーナの急激な衰弱を案じ、交代でこの部屋を見守っていた。リリアーナは侍女の問いかけに、弱々しい笑みを向ける。
「大丈夫よ。少し……ここで休んでいるだけ」
そう言いながらも、声に張りがないことは自分でもはっきりと自覚している。侍女は心配そうに寄り添い、支度を手伝おうとするが、リリアーナはかすかに首を振った。起き上がれないほどではない、と彼女なりに誇りを示したかった。
一方、廊下の奥ではクレイグ医師がアルベルトと話し込んでいた。先日からリリアーナの容体はじりじりと悪化の兆しを見せており、今朝方はさらに熱が上がっているようだ。痛み止めの効果も薄れてきており、たびたび襲う痛みに耐えきれない場面が増えているという。
「正直、あまり時間は残されていないかもしれません。もし外に出るならば、これが最後の機会になるかも」
「……そうですか」
アルベルトは重々しく頷き、部屋の扉を見つめた。リリアーナが限界に近いことは分かっている。それでも彼女は、まだ少しでも生きていたいと、最近は素直に口にするようになった。彼は心の中で、どうにか奇跡を繋ぎとめられないかと必死に思案しているが、クレイグ医師の声は厳しい。
「お嬢様はこのところ、『最後に何かをしたい』と漏らしているようです。侍女の一人が、お嬢様からそんな言葉を聞いたと言っておりました」
「最後の願い……具体的には何を?」
「詳しくはわかりません。ただ、ふとしたときに『子どもの頃に行った場所を、もう一度見てみたい』と呟いていたとか」
アルベルトの胸がぎゅっと締まる。リリアーナが死の直前に何を望むのか、それは彼女が人生の終わりをどう受け止めるかに直結する。もし本当に彼女が「最後の願い」を抱いているのなら、それを叶えるのが自分の役目ではないだろうか。
「……先生。危険は重々承知していますが、もし彼女が外を望むなら、連れて行きたいんです。後悔させたくない」
「しかし、道中の負担は相当なものになります。寝込む時間が増えている上、このままでは無理をすれば命を縮めるかもしれません」
「わかっています。けれど、彼女が本当に望むなら、無理を止めるのはかえって酷だ。……先生もそう思いませんか」
クレイグ医師は厳しい表情のまま、しかし否定しきれない様子で視線を落とした。医師の立場からすれば止めるのが筋だが、リリアーナが最期のときをどう迎えるか考えれば、彼女の意思を無視することはできない。まもなく伯爵夫妻も到着するはずで、最終的には家族とともに決断を下すことになるだろう。




