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愛を拒み続けた病弱令嬢が最期に見たのは、孤独ではなく涙と優しさでした  作者: ぱる子


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第14話 穏やかな時間②

 宿屋に戻ると、クレイグ医師が軽く診察を行い、無理をせずすぐに休むようにと注意を促した。夕方までベッドで横になっていたリリアーナは、夜になると少し回復したらしく、部屋で静かに過ごしていた。


 アルベルトはそんな彼女に寄り添い、小さなテーブルにミルクを温めて持ってくる。リリアーナはそれを啜りながら、彼に小さな声で語りかけた。


「昔、ピアノを少し弾いていたのよ。病弱だからと室内で教えてもらっただけで、ほとんど披露する機会はなかったけれど」

「君がピアノを? 知らなかった。もう弾けないのかい?」

「もうずっとやってないから指が動かないわ。でも……もし元気だったら、あなたの前で弾いてみたかったな」

「それなら、王都に戻ったときに練習してみればいい。少しずつ指を慣らせば、また弾けるようになるさ」


 そう励ますアルベルトの顔には、純粋な期待が(にじ)んでいる。リリアーナはやや苦笑して、しかしどこか嬉しそうだ。


「あなたって、本当に希望を捨てないのね。私が死ぬその瞬間まで、いろいろ計画を立てようとするなんて……」

「うん。考えるだけで楽しいだろう? 君の笑顔を見られるなら、無駄とは思わないよ」


 リリアーナはその言葉にほろ苦い想いを抱えながらも、素直に「ありがとう」と(つぶや)いた。死から逃れられないとしても、こうして笑えるひとときがあるのなら、それはそれで大切な時間だと感じられるからだ。


 宿屋の外からは、ときおり夜風が吹き込み、遠くの木々がざわめく音が微かに聞こえる。彼女はアルベルトに寄り添って、少しの会話や小さな手仕事を楽しみながら過ごした。ほんの短い時間だが、心は温かい充実感に包まれている。


 夜も更け、ランプの明かりが部屋を照らす中、リリアーナは急に真面目な顔をしてアルベルトに向き直った。


「こんな生活がずっと続けばいいと思ってしまうわ。あなたの優しさに甘えて、病に(おび)えながらも小さく幸せを感じて……。でも、いつか終わりが来ると思うと、正直苦しいの」

「わかるよ。僕ももっと君をいろんな場所に連れていきたいのに、できないのがもどかしい。でも、その限られた時間だからこそ、一瞬一瞬を大切にすればいいんじゃないか」

「そうよね……。そう思うと、なんだか心が軽くなるの。死に(おび)えることばかりでなく、生きている時間を(いつく)しんでもいい、って。……変かしら?」

「全然変じゃない。むしろ、君がそんなふうに考えてくれるなら、僕はとても嬉しい」


 言葉を交わし合ううちに、二人の間に甘く切ない空気が漂う。リリアーナは戸惑いがちに視線をそらしながら、彼女の本心を少しだけ打ち明ける。


「私……あなたともっと一緒にいたい。でも、長くはないって事実が、私たちを分かつかもしれない。そんなことを考えると、今こうして触れ合っている時間が愛おしくて……苦しいの」


 アルベルトはその言葉を受け止めて、そっとリリアーナの手を握る。弱々しい指先を包みながら、静かな力強さを感じさせる声で答えた。


「僕も君とずっといたい。ここから先、どんな困難があっても、離れる気なんてないよ」


 リリアーナの目にはうっすらと涙が光るが、もうそれを隠そうとはしない。彼がそう誓うなら、それを信じて生きてみよう――そう、思い始めているのだろう。


「ありがとう……私も、精一杯生きるわ。あなたがいれば、少しだけ希望を持てるから」


 部屋の窓の外は静かで、まるで二人だけの世界がそこに存在するかのようだ。けれど、いつまでも続くわけではない幸せな時間。その儚さがかえって二人の絆を深くしていく。死が遠のいたわけではなく、リリアーナはその影を常に背負っている。それでも、今はこうして互いの存在を感じ合いながら、穏やかに微笑んでいる。


「今の私は、不思議と安心してる。あなたの覚悟に支えられてるんだと思う」

「僕は何も特別なことをしているわけじゃない。むしろ、君のほうが強いと思うよ。恐怖と闘いながら、こうして笑顔を見せてくれるんだから」


 言葉を交わすたびに深まる想い。リリアーナはその流れのまま、アルベルトの肩に小さくもたれて目を閉じる。暖炉の火はすでに小さくなっているが、二人の間にはまだ温かさが残っていた。そこに漂うのは、(かす)かな甘い香りと、切なくも幸せな静けさ。


「いつまでも一緒にいたい。私……そう願っていいかしら」

「もちろんだ。僕も同じだよ。いつまでも一緒にいたい。そのために、何だってする」

「そっか……。ありがと」


 リリアーナは小さく息を吐き、肩の力を抜いてアルベルトに身を預ける。どんな未来が待ち受けようとも、今この瞬間だけは二人きりの小さな幸福に身を浸すことを許されている。死の影が忍び寄るのを知りながらも、甘く切ない時の流れが、二人を包み込んでいた。


 こうして一緒に過ごす短い外出や、宿屋の薄暗い部屋での穏やかな会話が、まるで夢のようにリリアーナの心を満たす。けれど同時に、はかない(ほころ)びを含んでいるのも事実だ。遠くに残る病の痛みが、ときどき彼女を(さいな)むたびに「幸せが長く続かないこと」は否応なく思い知らされる。


 それでも、リリアーナは生きている限り、この幸せを抱きしめようと決めたのだ。アルベルトもまた、どんな結末を迎えようと彼女の傍を離れないと心に誓う。それが、二人が選んだ小さくも大きな希望の光だった。

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