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愛を拒み続けた病弱令嬢が最期に見たのは、孤独ではなく涙と優しさでした  作者: ぱる子


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第12話 小さな奇跡①

 翌朝、昨夜の雨とは打って変わって、空は透き通るような青空に覆われていた。宿屋の小さな窓から差し込む光が、リリアーナの寝顔をかすかに照らす。疲労や寒さで衰弱していたはずの彼女は、暖炉と布団の温かさに守られて、静かな寝息を立てていた。


 早朝から目覚めたアルベルトは、床に並べた簡易な寝具から身を起こし、リリアーナの状態を確かめる。彼女の容態は依然として予断を許さないが、血色が少しだけ戻っているようにも見える。手のひらに触れてみると、昨夜のような氷のような冷たさはだいぶ和らいでいた。


「昨日は本当に、間に合ってよかった……」


 そんな安堵を噛みしめながら、彼は静かにその手を離す。もし今リリアーナが目を覚ましたら、また厳しい言葉をぶつけられるのかもしれないが、それでも彼女の本心を聞いた以上、もう恐れることはない。たとえ最後の最後まで、彼女が遠ざけようとしても、自分は離れないと決めている。


 宿屋の主夫婦が気をきかせてくれたおかげで、部屋は暖炉の火が絶えず燃やされ、薄手の毛布も几帳面に整えられていた。加えて、アルベルトはほとんど一睡もしないまま、リリアーナを見守り続けていた。しかし、不思議と眠気は感じない。むしろ彼女の体温がわずかでも上がってくれたことが嬉しくて、ひと時も目を離す気になれないのだ。


 ほどなくして、扉を控えめにノックする音が響く。宿屋の主の妻が、温かい粥と薬草を煎じた茶を持って現れた。彼女はリリアーナを心配そうに一瞥し、アルベルトに小声で尋ねる。


「お嬢さんの容態は、どうですか。少しは落ち着かれましたか」

「ええ。随分と、楽になったように見えます。ありがとうございます。助かりました」

「いいえ、私たちは何も。ともかく、このお茶を飲ませてあげてくださいな。少しでも身体が温まるといいのですが」


 そう言ってから、彼女は身支度をして出ていく。おそらく朝の仕込みや客の対応に戻るのだろう。アルベルトは粥と薬草茶をそっと机に置き、リリアーナが目を覚ますのを待ちながら、手紙をしたため始めた。


 内容は、クレイグ医師やエヴァンス伯爵家への連絡である。リリアーナを連れて王都へ戻るつもりだが、万全の治療環境を整えたいと考えている。それには彼女の体調次第で移動が難しい可能性もあるし、何より伯爵夫妻の同意も必要だ。彼女が望むかは別としても、家族に知らせずにこそこそと療養するわけにはいかない。


「伯爵家には、僕から話そう。リリアーナがどう思っても、もう手遅れだ。彼女を一人で死なせるなんて、誰も望んでないんだから」


 心中でそう決意を固め、アルベルトは一気に手紙を書き終えると、宿の主に急ぎの使いを頼み込んだ。昨夜は大雨で道が封鎖され気味だったが、朝になって雨が上がったため、王都までの道も難なく進めそうだという。彼は改めて謝礼を渡し、使いに丁寧な言葉を添えて手紙を持たせる。これでクレイグ医師や伯爵夫妻が動いてくれるはずだ。



 それからしばらくして、リリアーナが浅い呼吸とともに目を開けた。寝返りを打とうとして、身体のだるさに小さく(うめ)く。薄手の毛布をのぞいた彼女の顔には、まだ倦怠感が残るものの、昨夜のような危機的状況ではなさそうだ。アルベルトは粥の器を手に、彼女の顔を覗き込む。


「おはよう、リリアーナ。体調はどう?」

「……うん、少し落ち着いたみたい……」

「無理しないで。まずは温かいものを口にして落ち着こう」

「……ありがとう。うん、少しだけでも食べてみる」


 彼女がスプーンを持つ手は弱々しいが、どうにか自力で粥をすくい、ゆっくりと口元へ運ぶ。ほんのり塩気の利いた温かさが喉を通り、胃袋に()みわたる。思わずほっとした息がこぼれ、リリアーナは眉を下げるようにして少しだけ笑った。


「おいしい……こんなに穏やかに食事できるの、いつ以来かしら」

「体が辛いときは、まずこれで十分だ。薬草茶もあるから、無理せず少しずつ飲んでくれ」


 リリアーナはうなずき、数口ずつ粥を味わう。それを見届けるアルベルトの胸には、わずかな希望が芽生え始めている。昨夜のままなら、彼女は死に瀕しても不思議じゃなかったのに、こうして少しでも回復の兆しを見せている。完治は難しいと言われていても、短い間にここまで持ち直す「奇跡」が起こるなら、今後も望みはあるのではないか――。


「でも……まだ気を緩められないわ。私は、いつまた具合が悪くなるか……」

「それでも、一瞬でもこうして落ち着けたなら、きっと意味がある。僕はそう信じてる」


 リリアーナはアルベルトの目を見据え、軽く首を振る。その目に宿るのは、自分が抱える死への意識と、彼の優しさにほだされる不安定な感情だ。それでも、彼女はスプーンを握る手をしっかりと持ち直し、さらに数口を口に運んだ。


「ねえ、アルベルト……こうして周りにいろいろ支えられると、いつも思うの。私って、幸せな人間だったのかしらって」

「そりゃそうだ。君は昔から、何だかんだ言って人に好かれる性質だったはず。偽りの仮面を被っても、結局本質は隠しきれないんだから」

「……そう、だといいけど」


 淡々と口にするリリアーナの声には、かすかな後ろめたさが混じる。周囲を騙すように高慢な態度をとってきた自分が、本当に好かれるに値するのか――そんな疑念が彼女の内に渦巻いているのだろう。アルベルトはそれを察しながらも、「大丈夫だ」ときっぱり言い切る。


「君がどれだけ周囲を遠ざけようと、気づいている人はいた。君の本当の優しさを知る人は少なくない。それに、君の家族も……決して見捨ててなんかいない」

「伯爵家のこと……?」

「君がこれ以上姿を隠していたら、伯爵夫妻はどうなっていただろう。君の父も母も、ほんとうに心から君を案じている。僕は、君が回復したら一緒に謝りに行こうと思ってる」


 リリアーナは思わず反論しかけたが、布団の上で膝を抱えてうつむく。彼女自身も、家族への想いがまったくないわけではない。その気持ちを押し殺してきたのは、自分の死にともなう悲しみを避けるため。けれど、今こうして小さな奇跡――一時的な回復――を体感すると、家族と再会する意義を否定しきれなくなっている。


「私は、まだ心の整理がつかないわ。でも……少し考えてみる」

「ああ、それでいい。焦らなくていいから、まずは身体を休めてほしい」


 粥を食べ終えたリリアーナは少し呼吸が苦しそうだったが、治まらないというほどではないようだ。薬草茶を飲ませてもらうと、胸の奥が少し熱くなるのを感じ、そのまま枕に頭を沈める。アルベルトは彼女が落ち着くよう、背中を軽くさすってやる。


「クレイグ医師を呼ぶ準備はしてある。伯爵家からも何人か協力してくれる人が来るだろう。君のために、最善の環境を整えられるようにね」

「私一人じゃ、こんなこと、到底できなかったわね……」

「そうだよ。だから、今は素直に甘えてくれ。君だって、少しは生きることをあきらめてないんだろう?」


 リリアーナは応えずに瞼を閉じる。けれど、その表情はどこか穏やかな笑みを(たた)えているようにも見えた。彼女の中で、生きることへの思いと死を望む気持ちがせめぎ合っている。それでも、周囲が惜しみなく手を差し伸べる姿を見れば、完全には拒めなくなっているのだ。

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