第10話 雨の中の対峙①
しとしとと降り続ける雨が、王都の石畳をしんと冷やしていた。薄暗い雲が空を覆い、人々は足早に傘やフードを頼りに通りを急ぐ。遠くでは雷鳴が低く轟き、やがて稲妻の閃光が一瞬だけ夜空を切り裂く。そんな荒れ模様の夕刻、アルベルトは雨に濡れるまま街道の端を駆け抜けていた。
きっかけは、クレイグ医師からの知らせだった。つい先ほど、リリアーナの居場所をほのめかす新たな情報が入ったという。前夜に彼女が目撃された場所を辿っていくうち、どうやら王都郊外へと足を伸ばしたらしい、というのだ。弱った身体で今も外を歩いているなら、雨の降るこの状況は危険極まりない。アルベルトは胸をかきむしられる思いで馬を走らせ、ついに彼女の姿を捕らえた。
街外れの並木道。雨脚が強まる中、黒いマントを羽織ったリリアーナが草むらのような場所にうずくまるように佇んでいる。まるで立っているのがやっと、といった様子だ。アルベルトは馬を止めると、ずぶ濡れのまま地面へ飛び降り、リリアーナに駆け寄った。
「リリアーナ!」
雨音がうるさく、彼の声は掻き消されそうになる。しかし、リリアーナが振り返った刹那、その瞳には明らかな動揺と警戒が浮かんだ。彼女が驚いたように目を見開いたのは一瞬だけで、すぐに強い拒絶の色を帯びる。
「どうして、あなたがここに……。今さら何の用なの」
マントの下でかすかに身を縮めながら、リリアーナは冷ややかな声を放つ。しかしアルベルトは退かない。雨水を払いもせず、彼女の前で膝を突くようにかがみ込み、その顔を覗き込んだ。
「こんな所で一人で何をしているんだ。体調も悪いって、みんなが心配している。戻ってくれないか」
「戻る? 私がどこへ戻るというの。伯爵家に? それともあなたのもと? ……どちらも無用だわ」
凍るような口調で言い放つリリアーナの声に、アルベルトは心の奥が鋭く疼く。それでもここで引くわけにはいかない。どれほど拒まれても、彼女を救うと決めたのだ。
「こんな雨の中、放っておいたら体がもたないだろう。自分がどんな状況か分かっているのか」
「ええ、わかっているわ。私には時間がない。それだけのことよ。だから、一刻も早く……誰もいないところへ行きたいの」
「誰もいない場所に行って、どうする。そんなことをしたら、本当に倒れてしまうぞ」
アルベルトの問いかけに、リリアーナは短く息をついた。マントの裾から見える腕は細く、頬はさらに痩せていて、以前より明らかに体力が落ちている。にもかかわらず、その瞳には強い意志が宿り、彼を拒絶しようとしているのが分かる。
「倒れたって構わない。私は……人に見取られたりしたくないの。大げさに騒がれて、憐れまれて……そんなの、うんざり」
「憐れまれる? そんなこと、誰も望んでなんかしない。ただ、君を救いたいだけなんだ」
雨音が容赦なく二人を叩き、ローブや制服はすっかり水を吸って重くなっていた。アルベルトは彼女の手を取りたい衝動に駆られるが、リリアーナがそれを許すはずもない。まるで凶器を見るかのように彼の腕を払いのけ、体をよじって距離を取ろうとする。
「やめて。あなたまで道連れにするのが嫌なの。分からないの……? 私はいずれ死ぬ。余命など、たかが知れているのよ。あなたが私を想ってくれればくれるほど……そのとき、あなたがどれほど苦しむか考えたことがある?」
その言葉は刃のように鋭く、アルベルトの心を抉る。しかし同時に、彼女が必死で遠ざけようとする理由がはっきりと浮かぶ。自分が死ぬとき、愛する者が悲しむ姿を見たくない。それが、リリアーナの歪んだ優しさだ。
「君の気持ちは、もう痛いほど分かっている。けれど、だからといって君を一人にするるわけにはいかないんだ」
「……それは、あなたの身勝手よ。私の気持ちを少しでも考えているの?」
「考えてる。だから、こんな土砂降りの中でも君を探して来た。放っておけるなら、こんな必死にならない。だけど、僕は逃げられないんだ。君をこのまま見捨てるなんてできるはずがない!」
喉が痛くなるほど声を張り上げたアルベルトを、リリアーナは険しいまなざしで睨むように見つめる。肩で息をする様子からは、限界を超えているのが明白だ。それでも彼女は、凛とした態度を崩さない。
「……あなたがそう言うほど、私は特別な存在じゃないわ。偽善はやめて。私なんかより、もっと元気で幸せになれる女性はいくらでもいるでしょう。あなたは、公爵家の嫡男なんですものね」
「誰が偽善だ! お前がどう思おうと、僕はお前を放り出せない。いくら望んでも、僕の心を切り離すことはできない!」
雨の勢いがさらに増し、二人の声は自然と大きくなる。稲妻の閃光が走り、わずかの間だけ周囲の木々や草むらがはっきりと浮かび上がる。その白い閃光の中で、リリアーナの顔が青白く照らされ、アルベルトは改めて彼女の疲弊を痛感した。




