第6話 壊れゆく絆①
数日後の午後、気だるさを帯びた空気が王都を包み込んでいた。大通りは馬車や人で混雑しているが、どこか落ち着かない雰囲気が漂っている。エヴァンス伯爵家に関して新たな噂が流れたらしい、という小声の囁きが広がり、通りすがりの人々が屋敷の方向をちらりと見やる者もいる。その視線に気づかないふりをしながら、リリアーナ・フォン・エヴァンスは淡々と日々を過ごしていた。
このところ、屋敷内の侍女や執事たちですら、彼女に必要以上に近づこうとしない。リリアーナはあからさまに高慢な態度を取り続け、ちょっとした失敗にも容赦なく叱責を飛ばす。それでもまだ自分の世話を買って出てくれる者には、より強い罵声を浴びせることさえある。さらに周囲を遠ざけようという思いが一層強まっているかのように見えた。
その日、彼女のもとに公爵家から使いが来た。差し出された手紙はアルベルト・レオンハルト直筆のもので、できれば近いうちに会って話をしたいと記されていた。リリアーナはその一文を読んだあと、使いを前にしてため息をつく。まるで、煩わしい連絡を受け取ったと言わんばかりの表情だ。
「わざわざご足労いただいたのはありがたいのだけれど、そうね……。お断りして差し上げるのが私のためかしら」
しかし、使いの表情を見ると、どうやらアルベルトの口添えもあって、何としてもリリアーナに来てほしいという強い意向があるらしい。使いは平伏するように頭を下げ、「どうか伯爵令嬢のお越しをお待ちしております」と繰り返すのみ。リリアーナは腕を組んで一瞬考え込んだ。
もし婚約破棄に至るなら、いずれ公爵家との対面は避けられない。むしろ「きっぱり終わりにする」には、彼の言葉をじかに聞き、こちらの決断を伝える機会が必要だろう。半ば自嘲の混じった思いで、リリアーナは苦々しく口を開く。
「わかったわ。会って差し上げる。けれど、わざわざ盛大に迎えてくださらなくて構いません。私は長居する気はないし、余計なお世話は無用よ」
その言葉に、使いはほっとしたように再び頭を下げる。リリアーナは呆れたように目をそらして手紙を折り畳みながら、小声で何事かを呟いた。彼女が心に抱える重圧は、周囲には到底うかがい知れない。だが、その決意だけははっきりと固めているように見えた。
翌日、公爵家の屋敷へ馬車で向かったリリアーナを待ち受けていたのは、拍子抜けするほど質素な応接だった。広い庭を抜け、案内された一室にはアルベルトただ一人が立っている。大仰な出迎えどころか、使用人ですら最低限の挨拶をするだけで、すぐに下がってしまう。
部屋に入るなり、リリアーナは真っ先にアルベルトの姿を確認した。彼は胸の前で手を組み、リリアーナを迎えようとして微笑みかけたが、その笑みにはどこか苦しそうな色が浮かんでいる。先日のやりとり以来、疑念と不安が渦巻いているのが見て取れた。
「来てくれてありがとう。急に呼び出してしまってすまない」
「いいのよ。どうせ長く話すこともないでしょうし。要件を手短にお願い」
リリアーナは冷え切った声でそう返事をする。アルベルトは少し言葉に詰まったが、意を決したように深呼吸すると、彼女をソファに促した。どうやら座って話すことを望んでいるらしいが、リリアーナは動こうとしない。そんな彼女を前に、アルベルトは静かに口火を切った。
「……君が最近、ますます周囲から誤解を受けているのは分かっている。だけど、僕はどうしても納得できないんだ。あのときもそうだった。君はわざと人を遠ざけているとしか思えない」
「それはあなたが勝手に思っているだけでしょう。私がどう振る舞おうと私の自由よ」
「自由だとしても、君自身が苦しんでいるんじゃないのか? 僕には、君がこうやって自分を傷つけているように見える」
アルベルトの声が震え、まっすぐな瞳がリリアーナの表情を探る。だが、彼女の顔には冷酷な仮面がこびりついて離れない。リリアーナはわざと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「面白いわね。私は好きなようにしているだけ。それを苦しいと感じるのは、あなたの幻想でしょう?」
「リリアーナ、頼むから本当の気持ちを話してくれ。君がそんなことを言うはずがないんだ。昔は……あんなに優しかった」
「いい加減にして! あの頃はあの頃、今は今よ。私はもう、あなたが思っているような人間じゃないの」
抑えようとしても声が荒くなる。アルベルトの「かつての優しさ」への言及は、リリアーナにとってもっとも触れられたくない部分だった。あの頃の弱く温かい自分を認めたら、今の「演技」が揺らいでしまう。
アルベルトは悲痛な面持ちで言葉を失う。しかし、その瞳の奥には捨てきれない希望が宿っているのがリリアーナにも分かった。ここで何か決定的に嫌われる行動をしなければ、きっと彼は最後まであきらめないだろう――その思いが、彼女の胸の奥に冷たい痛みを走らせる。




