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全員机に顔を伏せて目を閉じて

作者: aoi


 1


 放課後、緊急の学年集会が開かれた。新年度で学年が変わった4月の第3週の中頃である。


 校舎の3階、1組の教室の廊下を挟んだ反対側に学年全員が入る多目的教室がある。


 端にはグランドピアノがあり、合唱コンクールが近くなるとそこへ練習しに行く生徒たちが押し寄せる。広い空間にピアノ。練習に適した場所だった。


 去年、その多目的教室を取り合った事件があったが当時の生徒会副会長、赤佐雅寛あかさまさひろがクラスの間をもって無事解決に導いた。俺の親友である。


 多目的室に3学年の全生徒が集まり、各々体育座りやあぐらをかいて集会の開始を待っていた。俺は後者の方である。


 各クラスの担任が、全生徒を囲うように等間隔で立っていた。遅れてやって来た学年主任の男性教師が神妙な面持ちで前に立った。


「急な呼び出しで申し訳ない」学年主任の教師が生徒たちを見渡しながら言った。

「聞いている人はいると思うが午前中に事件が起きた。ある生徒のジャージが切り裂かれていた」


 ざわざわと生徒たち側から声が聞こえてきた。


「静かにしなさい」後方から男性教師が言った。2組の担任教師、担当は理科だった。普段は優しい彼も今回の事件で口調は冷たかった。


「今回の事件、先生は重く受け止めています」学年主任の教師は穏やかに言った。

「この時間、犯人探しはしませんが何か情報を知っていたら誰でも良いから先生たちに話してほしい」


 堀越先生からもお話がありますと言って、学年主任の教師は一歩引き、彼女の方を見て頷いた。


 堀越先生は女性の教師で担当は家庭科。俺と赤佐のクラスの担任の教師でもある。そう、俺たちのクラスのある女子生徒のジャージが切り裂かれたのだ。


 彼女は、生徒たちの前に立った。縁のない丸メガネで線の様に痩せ細った体型をしていた。年齢は30手前で若かった。女子生徒たちからモデルの様だと憧れの的になっている。


「これから各クラスに戻って考えてみてほしい」堀越先生は、一礼して言った。

「ここには傷付いた人とその犯人がいます。先生たちはいつでも話を聞く体制は出来ています。1人で抱え込まないで」


 彼女は、聖母の様な優しい眼差しで生徒たちを見たあとに深く頭を下げた。


 2


 学年集会は終了し、生徒たちは各々のクラスに帰っていった。他のクラスの連中は、事件の当事者ではないのでどこか他人事のようだった。


 俺たちは1組の教室に帰ると、被害に遭った女子生徒、灰玉平愛美はいだまだいらあみのまわりに数名の女子生徒たちが集まって話している。


 彼女は席に着いて俯いていた。表情が長い髪で隠れているが鼻を啜り肩が震えている。普段はおしとやかで、誰に対しても分け隔てなく接する顔立ちの整ったお嬢様の様な女性だ。


「大丈夫、すぐに犯人が見つけるからね」近くにいた女子生徒が灰玉平愛美の背中を擦っている。


「見つけたらタダじゃ置かない」体育会系の女子生徒が拳を手で包む。


 堀越先生が少し遅れて教室に入ると、1組の生徒たちは席に着いた。


「さっきも言った通り、いつでも話を聞くからね」彼女は、教壇に手を置いて生徒たちを見渡しながら言った。


「犯人を見つけないんですか?」先程、拳を手で包んでいた女子生徒が聞いた。


「犯人探しは良くないわ」担任の女性教師は諭す様に言った。


「顔を伏せて犯人に手を挙げさせて炙り出すというのは?」聞く耳を持たないようだ。手で包んでいた握りこぶしには殺気が籠もっているように見えた。


「うーん」教師は溜息をついた。「そうねぇ」


 堀越先生は、不安そうな表情から決心がついた表情に変わり切り出した。


「全員机に顔を伏せて目を閉じて」


 3

 

 結局、誰も手を挙げることはなかった。なぜわかったかと言えば、後方の席に座っている黒田という男子生徒から聞いたからだった。


 黒田とは中1から同じクラスで、去年の秋から柔道部の新部長を務めている。背は低いが態度がデカい。


「まぁ手は挙げないだろう。俺みたいに見ている人物がいるかもしれないんだぜ。犯人は警戒してる」黒田は腕を組みながら言った。

「山吹は誰だと思う?犯人」


 俺は急なフリに変な間を作ってしまった。


「さぁな、わからねぇよ」俺は首を振った。「誰がやるんだよ。わざわざ他人のジャージ切り裂いて。なにがしたいんだよ」


 俺が立っている位置からちょうど被害者の灰玉平愛美が見えた。彼女を囲うように他の女子たちが集まっている。


 少し経った頃、1つの大きな塊になって教室から出て行った。


「っておい。聞いてんのか?」黒田は俺の方を見て言った。


「わりぃ、聞いてなかった」


「誰が1番怪しいかって話だよ」黒田が言った。「犯行時刻は?」


「刑事ドラマじゃねぇんだから」俺は頭を掻いた。「誰もいない時間じゃないか?ジャージを切り裂いたんだぞ?誰かがいたらすぐバレる」


「だよな」黒田は組んでいた手を顎髭の辺りに持っていった。「誰もいないタイミングっていうと早朝か移動教室ぐらいか」


「早朝はないだろ。ジャージは基本置きっぱにしないし、灰玉平が持ってきてからの犯行だと彼女の目を盗んで実行しないといけねぇ。ほぼ不可能だ」


「だとしたら移動教室か……」黒田が言った。眉間に皺が寄っている。「今日は2時間目に理科室に行ったろ?で、3時間目に体育。理科の授業が終わって教室に戻ってさぁ着替えるぞってときだもんな。切られているのがわかったの」


「あぁ。そうだ」俺は頷いた。「だから、理科室に行って授業を受けている間が犯行時刻ってやつだ」


「鍵掛かってたよな?」


「あぁ。俺がちゃんと最後に鍵を掛けてずっと持ってた。肌見放さずな」俺はポケットから教室の鍵を取り出して黒田に見せた。


 教室は前方と後方に木の引き戸があり、廊下側下部に地窓が2箇所。どちらも内側から鍵を掛けることが出来る。施錠と解錠は前方の引き戸から鍵を使用する。


 スペアやマスターキーはもちろん存在するが、職員室で厳重に管理をしているため生徒が持ち出すことは余程のことがない限り不可能である。


 俺は鍵を掛けていた時のことを思い出していた。後ろの引き戸を内側から鍵を閉めてから誰もいないことを確認して前方から出て施錠した。掛けた後ガタガタと音を立てて引き戸がしっかり閉まったことを確認した。


 友人の赤佐雅寛もいたし、彼に後で確認しようと思った。


「じゃあ、あれか犯人は壁をすり抜けて教室に侵入して、灰玉平のジャージを切り裂いたってことか?」


「なぁ、黒田、本気で言ってるのか」


「なわけねぇだろ」黒田は再び腕を組んだ。「そう言えば授業中に途中で教室から出たやつがいたよな?」


「あぁ」俺は思い出したように言った。「赤佐だよ腹の調子が悪いからってトイレに行ったろ」


「途中から出たのはアイツだけだよな……」


「まさか赤佐のこと疑ってんのか?」俺は言った。「理科室から教室まで戻ってジャージ切り裂いて戻ってくるなんて不可能だぜ」


 3階の教室棟から2階の理科室のある特別教室棟まで、最短距離で走って手際よく犯行して戻って来るにしても4、5分以上掛かる。正確ではないが、赤佐はそれ以下で戻ってきたはずだ。


 実験開始の準備が始まった途端、彼はトイレに走った。戻ってきたのが準備が完了した頃。今日の実験は簡単なものだったから準備から完了まで精々掛かっても1、2分。同じ班だったからよく覚えている。


 “準備手伝えなくてすまなかった”


 赤佐の申し訳なさそうな表情が印象に残っている。


「だよな……アイツはそんなことするようなヤツじゃない」黒田は何度も頷いた。「それにいないやつのこと話して勝手に疑うなんて俺は最低だな」


「そこまで自分を責めるなよ」


 黒田は態度はデカいが、人情にあつい男だ。きっとジャージを切り裂かれた灰玉平のことが心配なのだろう。


 4


 翌日、女子生徒たちの疑いの矛先は、赤佐雅寛に向いていた。根拠は昨日俺と黒田が放課後に話していた内容そのままだった。授業の途中で理科室から出たのは彼だけだ。出てから戻って来る時間を正確に計っている人物など誰もいないため彼女たちは赤佐が犯人だと決めにかかっていた。


 彼と同じ実験の班だったはずの女子生徒もそのグループに入っているのが見えた。表情を見るに多数の力に抗う気はないようだ。


「ねぇ、アンタがやったんでしょ?」体育会系の女子が席に着いていた赤佐の前まで行き、見下ろしながら強気な口調で聞いた。


「俺はやっていない」彼は読みかけの本を閉じて答えた。口調は穏やかだった。

「やっていない証拠を提示することほど難しいものはないけど……」


「なんですって?」彼女の語気が強くなった。「アンタがやったのよ。認めなさいよ」


 教室にいた全生徒の視線が2人に集中した。


「ちょっと、どうしたの?」堀越先生が慌てた様子で教室に入ってきた。怒鳴り声を聞いて只事ではないと察知したような様子だった。


「何でもないです」女子生徒は赤佐の元から離れて行った。


「大丈夫?」堀越先生が赤佐の方を見て聞いた。


 赤佐は気不味そうに頷いた後、「大丈夫です」と答えた。


 5


 1時間目の授業後、赤佐は俺の席までやって来た。


「俺はやってない」彼は小声で言った。


「わかってる。お前にはムリだ」俺もつられて小声で言った。「どうする?お前の言った通り、やっていない証拠をだすなんて難しいぞ」


「真犯人を見つけるしかない。俺が調べたって言ったって信憑性はない。山吹、お前が証人になってくれるか?」


「それはお安い御用だが、どうする?真犯人を見つける手立てを考えねぇと」俺が赤佐とこうして話している間も女子生徒たちはキツイ視線でこちらを見ていた。


「実はおおよその見当はついてる」


「は?」俺は彼の顔を見た。「誰がやったんだよ」


「誰がやったかはわからない。だがどうやって教室に入ったのかは分かる」赤佐は女子生徒たちの視線に気付いたのか、チラッと見てから俺の方へ視線を戻した。


「どうやったんだよ?」


「鍵はずっとお前が持ってた。閉めたとき俺もいた。あの時お前は()()()調()()()()()()」赤佐は言った。


 俺はハッとした。彼は更に続けた。


「地窓は内側からしか鍵を掛けられない。犯人は前もってそこを開けて入れるようにしたんだ。この教室にいれば誰でも地窓の細工は出来る」


「誰がやったかわからないままじゃねぇか」俺は椅子の背もたれに寄りかかった。


「忘れてないか?」赤佐は言った。「昨日、1時間目に体調不良をうったえてそのまま早退したやつ」


國府田こうだか?」


 國府田はサッカー部のエースで風邪知らずなやつだ。色黒で陽気な性格で俺は苦手なタイプだった。昨日、体調不良で保健室に行くって聞いた時はコイツも風邪をひくんだと思っていた。


「アイツがやったっていうのか?」


「おそらく」俺の問いに赤佐は頷いた。


 今日、國府田は学校に登校していない。昨日の体調不良を引きずっているらしい。仮に彼が犯人だとしてもやった証拠もやっていない証拠もない。


 俺たちには警察のように現場を保存して、指紋を採取、照合して犯人をつきとめるような本格的な捜査をする技術と時間がない。一刻も早く真犯人を突き止めなければ女子生徒の軍団が今にも攻め込んできそうな雰囲気をこちらに向けてきている。


「もし」赤佐は言った。力の抜けた半ば諦めたような声だった。

「國府田が登校してきて自分から言うだろうか。自分がやりましたって。俺がやったとクラス中が思っているなら國府田は名乗り出ないだろうな」


「なんだよ。いつになく弱気だな」俺は赤佐の方を見て言った。


「まぁこの教室が世界の全てじゃない。俺がやっていないと信じてくれる友人もいることだし、卒業まで大人しく生活するよ」


 新年度になり、まだ5月にもなっていない4月の中頃。赤佐にとっては絶望でしかない。


「もう一人だけ犯行を行うことが出来る人物がいる。だが1番可能性は低いし、ジャージを切り裂いている姿を想像したくもないし、こんな推理を思いつく自分に嫌気が差す」


 赤佐は自分の席に帰る間際に少しだけ付け加えた。


「これからよろしく頼むよ、相棒」


 6


 堀越先生は職員室にいた。書類仕事をしているがまったく手がつかない。自ら言うのは間違っていると思うが抜け殻の様である。


 右手にある1段目の引き出しを引くと彼女は中をじっと見ていた。


 時は遡る……


 赤佐や山吹たちがまだ2年生の頃、2月に保護者を交えた三者面談を行った。堀越先生は1組の担任だった。


「それでは、どうぞお入りください」堀越先生は、廊下を出て一組の親子に声を掛けた。


「うちの子、受験生っていう自覚がなくて困ってるのよ」母親が笑顔で声が弾んでいた。


 堀越先生は、母親に対しての第1印象は優しそうな笑顔の絶えないお母さんという印象だったが、次に母親の放った言葉でその印象は大きく変わることになる。


「やっぱり若い女性の先生だと緊張感がないのよね。この子が3年生になったら男の威厳のあるベテラン教師に変えてくださらない?」


 弾んだ声に似合わない、堀越先生の心にナイフで何度も差すような言葉の数々。さらに母親は続ける。


「灰玉平家は、由緒正しい家なの。若くて経験のない先生にウチの子の受験についてあれこれ任せるなんてムリだわ。書類を出し忘れたなんてミスされたらたまったもんじゃない」


 堀越先生は、必死で笑顔を作り聞いていた。母親はさらに続けるがそれから先は覚えていない。思い出すと心が壊れてしまうので脳が自身を守るために記憶に蓋をしている。


(大きなお世話よ……)堀越先生は、心の中でそう思いながら母親から見えない机の下で強く握り拳を作っていた。


 堀越先生の怒りの矛先は、母親ではなく娘の灰玉平愛美に向けられていた。娘の方に怒りをぶつけるのは間違っているのはわかっている。だが堀越先生の頭の中はおかしくなりそうな程、怒りでいっぱいだった。


 気が付いたら堀越先生は、職員室にある自身の机の引き出しか布切りバサミを取り出し、担任の教師が持つスペアの鍵で教室に入っていた。


 愛美のジャージをハサミで切り裂いたときに同時に母親の顔を思い浮かべた。堀越先生は、取り憑かれるように愛美のジャージを切り裂いた。


 切り裂くにつれ、自身が笑顔になっていることに気がついた。心が段々と軽くなっていく感覚がたまらなかった。


 ジャージを上下まんべんなく切り裂く頃に我にかえった。慌てて袋に切り裂いたジャージを入れて教室をあとにした。


 その日の放課後、緊急の学年集会が開かれた時は、なるべく顔にださないように必死で神妙な顔を作った。怒りをすべてぶつけて心は晴れ晴れだったので笑顔は自然だったと思う。


 翌日、男子生徒が女子生徒から怒鳴り声で詰められているのを見て自身がしてしまった罪の重さに気がついた。自分がやったことで生徒が責められている。


「すみません。お休みをいただきたいのですが」その日の放課後、堀越先生は、休職届を学年主任の教師に提出した。


 7


 ゴールデンウィーク前の最後の登校日、堀越先生は生徒の前で自身が行ったことを自供した。


 灰玉平愛美は鼻を啜りながら涙を流している。犯人扱いされた赤佐雅寛は浮かない表情をして話を聞いている。


「本当にごめんなさい」堀越先生は、深々と頭を下げた。

「5月から学年主任の今野先生が来てくれます。男性だし、ベテランの先生だからみんな安心して」


 堀越先生の頭の中は、あの日の三者面談で言われた言葉が壊れたラジオの様に繰り返されていた。

こんにちは、aoiです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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