素敵な片想い〜振られた相手から告白されました
よろしくお願いします。
すぅと、大きく息を吸い込み、エマは気持ちを落ち着かせた。これが最後の機会なのだ。
「リーバイ・キャナダイン様、好きです」
声を掛けられた男は驚いたように目を見開いたが、首をゆるく振って何も言わずに立ち去ろうとする。隣には美少女がいて、男の腕を取って少し待つようにと小声で伝える。
「貴女ね、何度告白しても無駄なのよ。リーバイ様は貴女の事なんて相手にしていないの。それを待ち伏せして告白して、貴女のやっている事は付き纏い、立派な犯罪行為よ。次に姿を現したら警備隊を呼ぶわよ?」
「ご忠告ありがとうございます。でも今日で最後ですので、ご容赦くださいませ。リーバイ様、わたくしの言葉に耳を傾けてくださりありがとうございました。どうぞお幸せに」
ぺこりと頭を下げて、エマは来た時同様小走りで立ち去った。残された美少女は、何あれ?という表情をしていたが、
「リーバイ様、さあ参りましょう。すっかり無駄な時間を取られましたわね」と、先ほどあった事をまるで無かったかのように言い捨てた。
エマが先程の男に告白した回数は、この9ヶ月で3回だ。よく頑張ったと自分を褒めてやっても良いのでは?と思う。勝算は無し、そもそも告白する事が目的でそれから先の事は考えていない。最後は笑顔で彼の幸せを祈る事が出来たのだから良しとしよう。
リーバイ・キャナダイン侯爵子息との出会いは、初めて訪れた貴族学院で迷子になっていた時だ。学院長室まで案内してくれたのが彼だった。辺境の地で若い男といえば、騎士か使用人しか知らなかったエマは、洗練された王都の貴族に親切にされて舞い上がってしまった。
エマの地元では強さこそが正義なところがあって、男性には筋肉質で鍛えた身体が求められる。女性だからといって大切に守られているだけではない、いざとならば戦う気概を持っていなければならない。それゆえ、領主の家では幼い頃から文武ともに鍛えられる。そうやって厳しく育てられたエマは、レディのように扱ってくれる、まるで王子様のような上品なお貴族様に、心を鷲掴みにされたのだった。
そんなリーバイ様をこっそり見るのも今日が最後だ。勿論、告白するのも最後になる。
いつも反応なく無視されていたのに、今日は首を横に振るという意思表示をしてくれた。それだけで奇跡のようだ。
でも、言葉できっぱり拒絶してくれたら、叶うことのないこの不毛な恋心を終わらせる事が出来たのに、と少し残念に思う。
そう、エマは、恋を終わらせる為にきちんと振られたかったのである。
*
エマ・ベレスフォードは18歳、辺境伯家の令嬢である。彼女は昨日貴族学院を早期に卒業した。異例な事だが、第3学年に編入して、特例の認定試験を受け無事卒業したのである。
もともと1年しか通えない予定だったが、卒業式を待たなかったのは父親の意向だ。雪になる前に戻って来させるよう、父が貴族学院に圧力を掛けたのだった。
実家の親を説得してもぎ取った通学の権利の1年にはまだ猶予があるが、卒業してしまえばもう王都に留まる理由はない。荷物も既に纏めてある。明後日には実家から迎えがやってきて、辺境の地へ戻る事になっている。だからこそ、最後の告白をして、きちんと振られたかった。
いつもはわざと地味に装っている姿も、今日だけはと着飾ることを自分に許した。纏めている髪を下ろし、年相応の可愛いピンクのドレスを着たのは王都に来て初めての事だった。
最後の告白は、少しでも可愛く見られたかった。
父であるベレスフォード辺境伯から、婚約者が決まったという知らせがあったのは3ヶ月前の事。どこのどなた?と尋ねたが、それはお楽しみにとっておきなさい、悪いようにはしないからと、相手の素性を知らされていない。
見知らぬ婚約者と結ばれて、長女の自分の婿になる人が次期辺境伯となり、ふたりで領地を守っていくことになるのだが。
果たして顔も名前も知らない相手と、うまくやっていけるのだろうか?
そもそもお相手はそれで良いのか?大して美しくもない辺境の田舎娘を見てきっとガッカリするだろうし、結婚しても浮気されるのではないか?などと考えてしまう。
それに何よりも、力ある強者が頂点に立つ辺境の地で、どこの子息か知らないが、剛気で知られる辺境騎士団を率いて纏め、他国からの侵入を防ぎ、いざとなれば戦う事が出来るのだろうか。
*
「エマ、王都から離れるのに最後の挨拶はいいのか?」
逗留していた親戚の子爵家へ迎えに来たのは、実家の騎士であり幼馴染のロイだ。親戚の伯爵家の息子で剣技に優れており、20歳にして既に辺境騎士団の中隊を任されている。すらりと伸びた背筋に鍛えられた身体、いつもは鋭く周囲を警戒する目つきも、久しぶりに会う幼馴染に向ける視線は柔らかいものだ。
ロイは、自ら率いる精鋭の3名と道中の世話をする侍女を連れて、はるばる迎えにやってきてくれた。
ロイとは兄と妹のように育ってきたので嬉しい再会である。思わず飛びつくと、エマをしっかりと抱き止めてくれる。お行儀の悪いその行為を、護衛も侍女も微笑ましく見ていた。
「おいおい。王都で少しはお姫様っぽくなったかと思えば、うちのお嬢様は相変わらずのお転婆娘だな」
ああ、辺境の、ロイの香りがする。この腕の中は故郷に繋がって、無条件で安心できる場所だとエマは思う。
「いいの。昨日済ませたから。ロイ兄、みんな、お迎えありがとう。さっさと我が家へ帰りましょう」
「はいはい。辺境ではみんなエマの帰りを楽しみに待ってるからな。飛ばすぞ」
ロイは周りの護衛騎士達にも檄を飛ばす。我らが故郷、辺境の地まで一気に駆け抜けるぞ、と。
子爵家の面々に見送られて、エマは王都を後にした。気持ちはもう懐かしい故郷へと向かっていた。
エマは貴族学院へ入学するにあたり、父から条件を出されていた。
まずは優秀な成績を収める事、辺境伯令嬢という身分を隠し縁戚の子爵家の娘として振る舞う事、期限は1年、そして父が決めた人と婚約する事。
父の辺境伯は何を考えて身分を隠すよう指示したのか。娘が辺境の田舎者と蔑まれる事を哀れんだのか、或いは政治的利用に巻き込まれる事を危惧したのだろうか。
現在、この国の貴族は国王派と貴族派に分かれている。現王家に取って代わろうとする公爵家が、虎視眈々と狙っているのだ。
緊張感のある中で、辺境伯は中立の立場を貫いている。強いて言えば国への忠誠を誓っているので、王家が入れ替わろうと、私利に走る事のないまともな人物ならばそれで良い。
長女のエマは初めから王都の貴族学院へ通わせる予定はなかった。中立派の辺境伯家を取り込もうと考える者達から、エマを守る為でもある。
彼女はずっと家庭教師達に教わっていたが、お嬢様にはもう教える事はないと褒められた。だからエマは自分の実力がどれほどのものか、単純に知りたいと思った。
王都に行くチャンスだったデビュタントパーティは、16歳の年に参加出来るのだが、政治的背景を理由にエマは行くことが出来なかった。それもあって一度王都を訪れたいと思ったのだ。どうせなら貴族学院も通ってみたい。
幸い、王都でのデビュタントパーティは義務ではないので、エマを始め辺境の若者達は、辺境伯家の居城大広間で優雅に踊った。その時のパートナーはロイだった。
そんな事もあって、王都への憧れを拗らせていた娘のささやかな願いは叶えられる事となったが、条件が付けられた。
その内のひとつが婚約なのだが、貴族の義務だと理解しているし、相手は誰だとしても父が選んだ人なら間違いはないだろうとは信じているけれど、あの父の選ぶ相手だから若干心配でもある。
ひょっとすると相手はロイだろうかと考えた時期もあったが、妹のような自分を相手にするわけがないと考え直した。
何と言ってもロイはもてる男だし、主家の娘とは言っても自分のような平凡な娘は願い下げだろう。
実のところエマの初恋の相手はロイなのだ。
10歳の時にロイ兄のお嫁さんになると告白したのだが、お前みたいなチビでお転婆なガキはお断りだと即答された。それが小さな棘のように胸に残っている。それ以来エマはロイへの気持ちを封印して、妹でいることを選んだ。
ロイは初恋の人であると同時に、自分にとっても辺境にとっても大切な存在だけに、今の関係を悪くすることを恐れて、違う誰かに恋をして失恋の上書きをしたかったのだが、結局二度目の恋も破れてしまった。
これは相手が悪かったという事もある。リーバイの実家、キャナダイン侯爵家は貴族派閥だ。そして同じ派閥のファナック公爵令嬢と縁組がなされるだろうと、貴族学院ではもっぱらの噂だった。
2人はいつも一緒にいたし、何より美男美女でお似合いだったのである。最後の告白の時に寄り添っていた美少女はこの公爵令嬢だ。ちなみに王位簒奪を目論んでいるのは、この令嬢の父親のファナック公爵で国王の実弟でもある。
そういう事情を考慮しても、王家のお家騒動に巻き込まれかねないキャナダイン家と、中立を貫くベレスフォード家とが縁を結ぶのは難しかった。つまり、エマの恋は失恋が前提だったのである。
政略結婚をするにしても、貴族社会はパワーバランスもあってややこしいのである。
「貴族学院はどうだった?友達は出来たのか?」
「教室と図書館と子爵家の往復だったわ。そのおかげで卒業認定試験は楽々合格したわよ。クラスメイトとは挨拶くらいはしていたかしらね」
「そうか、王都にはいい男は居なかったのか?」
「居てもロイには関係ないわよね」
何だか腹が立つのでツンと澄まし顔をしていたら、頬をロイに摘まれた。
「大切な妹分だからな、悪い男に引っかかってはいないかと心配してたんだぞ」
「はいはい、心配性のお兄様、誰も田舎者のわたしなんて相手にしないから大丈夫よ」
世話になっていた子爵家の人々は、最後の日に目を赤くして帰ってきたエマに、お嬢様が学院で不遇な目に遭ったのではないかとオロオロしていたが、これは完全なる失恋の証しなのだとは言えず心配をかけてしまった。
王都で過ごした時間は決して無駄ではない。勉強も楽しかったし、恋をした胸のときめきは宝物みたいに感じる。それでも楽しむには短すぎたかもしれない。
「短い期間だったけど通えてよかったと心から思っているわ」
「なら、いい。良かったと思えるなら、送り出した俺も嬉しい」
保護者みたいね、などと軽口を言いながら、ロイや護衛騎士達と共に帰る2週間は楽しかった。すっかり失恋の傷も癒せたと感じられる頃、懐かしい辺境の城へと戻ってきた。両親や妹、家臣団や使用人からの大歓迎を受けて、エマは無事に帰ってきた事を実感した。
そして月日が流れ、辺境に戻ってきて3ヶ月が過ぎた。貴族学院では本来の卒業式を終えた頃だろう。辺境の雪も山々に残る程度で、平地の雪はほぼ溶けた。春が訪れようとしていた。
*
「え、明日ですか?」
名前も顔も知らない婚約者が明日やってくると言う。母がやたら張り切っているのは新しいドレスを作ったからだろう。戻ってすぐに採寸されたのはそういう事情だったのか。
「エマをとびきりの美女にするわ。大丈夫よ、わたくしに似ているのですもの、磨けば光るから!」
と言うわけで磨き上げられたエマを見て、お姉様綺麗よ!と12歳になった妹がはしゃぐ。
「久しぶりに王都の話も聞けるだろうし、エマにとっては懐かしく感じられるかもしれんな」
「と言う事は、お相手は王都の貴族という事?お父様は我が家が政治に利用されるのを避けたいと、お考えになっておられたのでは?」
「そうだ。しかしいつまでも国王派と貴族派に分かれて対立していても国益には繋がらんし疲弊する一方だ。下手をすると内戦となり他国からの干渉があるかもしれん。
近々、両派閥は解体されるだろう。そして老害達は一掃される。新たな国作りの為に次世代の縁を結ぶのだよ」
父は国の行く末を憂い、どこかの有力貴族と辺境との縁を結ぶつもりなのだろう。
貴族の娘は家と家を繋ぐための駒だ。それでも貴族として生まれたからには、それは務めなのだ。
さて、いよいよ到着の先触れがあり、居城の入り口まで迎えに出たエマは、思わぬ再会を果たし混乱してしまった。
何故なら馬車から降りてきたのは……
「リーバイ・キャナダイン様が何故こちらに?お父様、これは一体どういう事ですの?」
「驚かせるために内緒にしていたのだよ。リーバイ殿がエマの婚約者だ。お前は彼に惚れていると聞いている。どうだ、父はいい仕事をしただろう?」
父の揶揄うような笑みにエマは固まってしまった。そうだ、父はこういうお茶目な人だった。
そのエマを目にしてやはり驚きで目を丸くするリーバイ。そしてロイは騎士団員達の中にあったが、彼らの様子を不審そうに見つめていた。
*
穴があったら入りたいとはこの事だろう。貴族学院で一方的に好きになって告白した相手が、実は婚約者だったとは誰が想像しただろうか。
貴族学院では出自を隠し子爵家の娘として過ごしていたので、エマが辺境伯令嬢だとは知らなかっただろうとは言え、リーバイにとっては三度の告白はさぞかし迷惑だった事だろうと思う。
きっと困ってる筈。エマは自分の失恋はいいとして、リーバイの失望を想像すると胸が痛くなった。
貴族派閥の中でも高位のキャナダイン侯爵家の次男が、中立派の辺境伯へと婿入りする事が辛くはないだろうか?いやきっと辛いはずだ。だってあの公爵令嬢様と恋仲だったのだから。
自分が逆の立場なら怒ってるかもしれない。婚約者である事を隠して告白してきて、揶揄って面白がっているのかと怒鳴られても仕方ない。
いやもう、申し訳なさで胸が痛い。これはひたすら謝るしかない。
「ごめんなさい。本当に申し訳ありませんでした。まさか貴方様が婚約者だなんて知らなかったのです。決して揶揄って告白した訳ではありません。
子爵家の者と偽っていた事もお詫びいたします」
「何を謝るのです。謝るべきは私の方です。貴女が本当は辺境伯令嬢で、しかも婚約者だとは知らなかったから、随分と酷い態度を取ってしまいました。申し訳なかった」
「いえ、嫌われて当然ですわ。誰ともわからない不審な者に一方的に気持ちを告げられただけでなく、結果的に騙していたわけですから。無礼な態度の数々、お許しくださいませ。
この婚約、なんとか解消出来るように父を説得いたします。リーバイ様が本当に愛する方と結ばれるよう、わたくし頑張りますわ」
エマは床に頭がつきそうなほど深く頭を下げていたが、顔を上げると困り顔のリーバイがこちらを見ていた。
「エマ嬢、私は貴女と結婚してこの辺境を、そしてこの国を守る覚悟を持ってこちらに来ました。腕に覚えはありませんが、これから鍛えれば何とか、見かけくらいは格好つけられるのではないかと。だから婚約解消などと悲しい事を言わないで欲しい。貴女の婚約者で居させてくれませんか?」
リーバイは跪きエマの手を取り、唇を寄せた。
「美しい婚約者殿に漸く会えて私の心がどれほど喜びに震えているかおわかりでしょうか?この胸の動悸が貴女に伝わると良いのだけれど」
いや、そういう所だろう?その絶対的にモテそうな行動が、世の令嬢達を虜にして、わたしも虜になってしまったのよねとエマは思った。
もし、学院での片思いからの失恋がなく、この日初めて出会ったいたら、エマは一気に恋に落ちていただろうと思う。しかし、既に失恋した後では今更なのだ。
リーバイの言葉に偽りはないようだが、一方でエマはわかっている。
同じ派閥とは言え後継ぎではない侯爵家の次男に、ファナック公爵令嬢を嫁がせるか否か。
両家が持っている爵位のひとつを譲り与えて独立させたとして、リーバイに嫁がせるには旨みがないと判断されたから、彼はここにいるのだ。
イザベラ・ファナック公爵令嬢の美貌と家柄なら、他国の王族との婚姻も考えられるし、現王家の第一王子の妃になる可能性だってある。むしろ王位簒奪を狙うファナック公爵にとっては、リーバイでは物足りないだろう。
その一方で、キャナダイン侯爵家にすれば願ってもない縁談となった。爵位を継げない次男の婿入り先として、中立派の辺境伯は大金星だ。そして辺境を貴族派閥に引き込めるかもしれない好機でもあった。
*
「あいつでいいのか?」
様子がおかしい事をロイに問い詰められて、エマは貴族学院でリーバイに片思いをして、諦めるために三度も告白した話を白状した。黙って聞いていたロイは、呆れ顔だ。
「失恋した相手が実は婚約者でしたって、笑い話にしても酷いわよね。お父様は娘の好きな男を婚約者にと考えたみたいだけど、わたしの中では終わった恋なの。他の女性を思っている方と結婚するなんて不毛だわ」
「やはり、王都なんぞに行かなければ良かったんじゃないのか。辺境でも良い男は大勢いるぞ、例えば俺とかどうだ?」
貴方がそれを言う?冗談でもやめて欲しい。エマは心の中で悪態をついたが、素知らぬ顔で「揶揄わないでよね」と答えるに留めた。未だに、失恋した初恋を引き摺っている事に、自分でも驚いた。
*
「お父様は、派閥は解体されると仰っていましたが、それは実現可能なのですか?」
「有力と言われている貴族達の、不正や悪事が既に暴かれ始めている。もうじき、立太子の告知があり、その際に貴族派閥の中の不穏な者達は一斉摘発される。もちろん国王派の中にも不穏分子は介在するのでそちらもな。まさに一網打尽といったところだな」
政治的な事に、今は関わらないでいたい。将来、夫とともに辺境伯としてこの領地を守る時には全力で臨むけれど。
「貴族派閥が解体されていくのなら、わたくしのお相手は、キャナダイン侯爵子息でなくても良かったのではありませんか?」
「おや、エマはリーバイ殿に惚れているのだろう?彼が婚約者で嬉しいだろう。一体何故そんな事を言い出すのだ?」
「お父様、わたくしは政略結婚を受け入れるつもりですが、貴族派の誰でも良いのなら、リーバイ様を解放して差し上げたいと思っています。あの方には想う方がいらっしゃって、わたしは既に振られているのです。わたくしの事を好きになってくれない方との婚姻なんて辛いだけですもの」
「しかしリーバイ殿は、万が一エマとの婚約が解消されても、侯爵家へは戻らず、この辺境へ置いて欲しいと懇願された。実家とは縁を切り、家臣として働くと言ってるぞ。事務能力には自信があるし、これから体も鍛えると、売り込んで来た。
己の立場を理解した上で身の振り方を考えているし、先を見据える計算高さも備わっている。
そういう所が中々気に入っているのだがな。
結婚は恋愛感情だけではうまくいかないものだ。置かれた立場を正しく理解して、その立場に相応しく振る舞える人間こそが、真の統治者になれるのだよ」
なるほど。リーバイは、ただ婿入り先にちょうど良いからとやってきたわけじゃないのだ。少しだけ嬉しい気持ちになった。どんな相手でも辺境を田舎だと見下す人だけは嫌だから。何はともあれ、リーバイの本心を知らねばならない。
*
エマはリーバイをお茶に招いた。お互いの本音をじっくり話しませんかと誘ったのだ。側から見ると婚約者同士の語らいだが、護衛のロイが控えているので緊張感は否めない。ロイは鋭い目つきでまるで睨みつけるかのようにリーバイを見ていた。
「それではリーバイ様は、見知らぬ辺境伯の娘と婚約をして、来てみればあの無礼な女がその娘で、実は下位だと見ていた子爵家の娘ではなかったと知って、色々と後悔されているのですか?」
「それについては弁解の余地もない。自分が権威主義者だと思っていなかったが、無意識に下位貴族は受け入れ難かったのだと思う。
僕は爵位の継げない次男で、優秀な兄と弟に挟まれた凡人なんだ。ちょっと顔が女性に好まれるだけでね。だから兄弟を見返してやりたいという気持ちもあった。
イザベラ嬢は僕が好きだと言ってくれたし、結婚する時はファナック家の持つ爵位のひとつを譲り受ければ良いと言うものだからその言葉を信じていたんだ」
リーバイの言葉に嘘は無さそうだ。ではイザベラの方はリーバイに対する気持ちはどれほどのものだったのだろうか。
「イザベラ嬢は優秀な君の事が気に入らなかったようで、子爵家風情がと馬鹿にして嫌っていた。だから僕は君に害が及ばないように、ずっと無視を決め込んでいたんだ。僕が少しでも相手にすると、ファナック公爵家の力で潰すだろうからね。彼女は、なんというか情熱的な人だからね。
辺境伯令嬢との婚約が決まったことを知った時も、イザベラ嬢が何とかしてくれると考えていた」
何しろ辺境伯家は秘密主義で、本当にご令嬢が存在するのかも謎だったからね、絵姿もなかったしと、リーバイは弱く笑った。
「イザベラ嬢はどこからか君との婚約を聞きつけたらしい。
国王派と貴族派の対立融和の為に、それぞれが中立派と縁を結ぶ方策を進めている中で、王位を狙っている公爵家としては後ろ盾になり得る、より強い権力を持つ婿を求めていたらしい。僕はあっさりとイザベラ嬢に見捨てられた。ベレスフォード辺境伯令嬢とお幸せにねと笑いながら言われたよ。
それにイザベラ嬢は最後にこう言ったんだ。本当は鍛え上げられた筋肉を持ち、男らしい容姿の騎士のような人が好きなのだと。
僕の容姿が好きと言うより、見栄えが良くて連れて歩くのにちょうどよかったと。情けないことに、僕はそれに気が付かなかった」
黙って話を聞いていたエマは、俯いていたのでその顔が見えかなったが、肩が震えているようだ。
泣いているのかと、リーバイが困惑していると、いきなり顔を上げたエマは怒っていた。
「それで諦めたと仰るの?しかしなんて外道なのでしょう、ファナック家のやり口を許せませんわ。見返してやりましょう」
「え?」
「簡単な事ですわ。リーバイ様が体を鍛えれば良いのです。わたくしが責任を持ってリーバイ様を立派な体に仕上げますわ。それで次の社交シーズンには王都の舞踏会に2人で乗り込みましょう。イザベラ様を見返して後悔させるのです。
わたくし、貴族学院ではおとなしくしていましたが、売られた喧嘩は買いますわ、辺境の女ですからね」
こらは辺境伯家に対する悪意で、自分自身だけならともかく、婚約者まで馬鹿にされては黙ってはいられませんわと、鼻息荒く語るエマに、リーバイは若干引いていたが、
「僕は、身体を鍛えたらこの辺境で認められるだろうか?そして君の夫に相応しい男になれるだろうか」とおずおずと切り出した。
「ええ、その代わり覚悟してくださいませ。厳しく参りますからね」
「望む所だよ」
リーバイは安堵した穏やかな表情をしていた。エマへの態度、自分の置かれた立場、そんなものは一旦忘れてこの辺境で目指すべき目的が出来たのだった。
その後、話を聞いていたロイは心配してエマに確認した。
「いいのか、そんな安請け合いして。あのひょろひょろが万が一立派な筋肉になったとして、その公爵令嬢との恋に再び火がついたら?
確かファナック家のご令嬢はなかなか縁談が進まないと噂で聞いているぞ」
「いいのよ。聞いていたでしょう?あの方はイザベラ様に未練があると思うの。だけど彼女とは結ばれない、それなら婿入り出来る辺境伯家の娘でいいか、という程度の話なのよ。
誰だって自分が一途に慕われていると嬉しいものよ。わたしはあの方に三回も告白して振られているの。だからわたしに望まれてここにいると、リーバイ様が勘違いしても無理ないわ」
相手が打算で婿入りするのを許す事は治りかけの瘡蓋を剥がすように痛い。本心を言うとこれ以上傷付きたくない。
「父が望む結婚を覆せないかもしれないけど、わたしは白い結婚を続けてリーバイ様を解放してあげるつもりなの。妹に子どもが生まれたら後を継がせれば良いと思うし。
わたしだって愛してくれる人と結ばれたい。公爵令嬢がダメだからって、その代わりなんてお断りよ」
心なしかエマの言葉は投げやりに聞こえた。
「なんだか、リーバイが不憫だな。あいつは覚悟を決めて来たのだろう。辺境の男になろうとしている。
寧ろエマはあいつを切り捨てられるのか?あいつがエマを本気で好きになったらどうするんだ?」
「それは無いと思う。わたしの事を好きになる人なんていないのよ。勉強大好きな頭でっかちで、しかも剣も持つし馬に乗って辺境を走り回る女よ。しかも、昔もある人に言われたわ、貧相なチビってね。
とにかく、リーバイ様との事はロイには関係ないからほっといて」
「関係ないなんて言うな!俺はエマを大切に……大事に思っているんだ。エマだけが我慢して不幸になるなんて認めないぞ。リーバイについては俺も協力する。頼むから俺には関係ないなんて言うなよ」
「妹を心配してくれるというわけね。ありがとう、ロイが手伝ってくれるのは心強いわ。公爵令嬢が泣いて復縁を縋るくらいの立派な騎士に育てましょう」
翌日から、リーバイ・キャナダインは辺境騎士団でロイの下に付き、厳しい訓練と身体作りを始めた。へなちょこの都会の貴族が厳しい訓練について来れるのか、すぐに音を上げるのではないかと周囲は考えていたが、彼らの予想を大きく裏切って、リーバイは死ぬ気で鍛錬を続けたのである。
これには父の辺境伯も大いにリーバイを見直して、たとえエマの婚約者で無くなったとしても、ここ辺境で受け入れ何がしかの立場を与えようと、心に決めたのだった。
*
季節は過ぎて秋になった。社交シーズン開幕である。
昨シーズンは、せっかく王都で過ごしていたのにお茶会にもパーティにも出なかったエマは、王城からの招待状を手にわくわくした気持ちを隠せない。そんなエマを呆れたように、しかし優しい目で見ている保護者枠のロイも、今日ばかりは辺境騎士団の正装を身に纏っていた。
エマは、リーバイの瞳の色に合わせたブルーのドレスで、金髪を結い上げてそこにも小粒の青い宝石を贅沢に散らした。胸元にはリーバイから贈られたダイヤのネックレスを着けている。
彼らは今、王都の辺境伯のタウンハウスからキャナダイン侯爵家へと向かっている。王城でのパーティは夜だが、まずは侯爵家へとご挨拶だ。
王都の侯爵家へ一旦帰宅したリーバイは、驚きの目で迎えられた。何しろ半年前とは別人のような見た目になっているのだから。
まだ細いが一目で鍛えられているのがわかる体つき、そして貴公子然とした甘い顔立ちには精悍さと凛々しさが加わった。
クローゼットの中の今までの衣装は全て着られなくなっていたが、そこは辺境伯家で拵えてもらった正装がある。それがまた非常に似合っているのである。
それは鍛えた身体を持つ男にしか着こなせない衣装だった。
出迎えた侯爵家一同は、噂で聞く辺境伯令嬢が、山猿のような娘ではなく、小柄だが均整の取れた女らしい体つきの美少女と、後ろに控える精悍な護衛騎士に目を瞠った。
「お初にお目に掛かります。ベレスフォード辺境伯の娘、エマでございます。ご挨拶が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます。よろしくお願いいたします」
見事な淑女の礼をこなすエマに、田舎の山猿と小馬鹿にしていたキャナダイン侯爵は嘆息した。
既に辺境伯家からは鉱山から出た貴重な宝石類と伯自らが仕留めた狐の毛皮をなめしたマント数枚が贈られてきている。
宝石もマントも、侯爵家の女性達が大喜びしたのは言うまでも無い。
貴族派の隆盛の為に仕組んだ政略の婚約であったが、これは思いがけず良縁であったなと、侯爵はほくそ笑んだ。
あのひょろひょろで見目が麗しいだけだった次男が、見事な体格となって精悍な顔つきをして戻ってきたのも驚きだっだが、婿入り予定の辺境伯家は想像以上に豊かな土地らしいと顔がにやけてしまう。
そして、優秀な兄と弟は、凡人の次男の身に一体何が起こったのか不思議がると共に嫉妬した。それぞれの婚約者の令嬢達も、リーバイと、辺境伯の名代としてやってきたロイの美丈夫っぷりに見惚れていた。
「リーバイ、随分と見かけが変わったものだ。王都の優男が形無しだな。なんだそのみっともない身体は」
「本当に。兄上と言えば女のように綺麗な顔だけが取り柄だったというのに。エマ様、本当にこの兄でよろしいのですか?」
兄弟達の負け惜しみにもリーバイは眉ひとつ動かなさい。この半年の厳しい鍛錬は彼の精神力も鍛え上げていた。
「まあ、面白い事を仰いますのね。我が辺境に必要なのは屈強な身体と鋼の精神力でございますわ。リーバイ様は我が家に馴染まれるために血を吐くような努力をなさいました。その結果が今のリーバイ様です。
わたくしにとって誇らしく、自慢の婚約者様ですわ!」
それは暗に、お前達は一体何をしていたのだ?という皮肉に聞こえて、兄と弟はおし黙った。その姿を見てエマは溜飲を下げた。
リーバイ様を顔だけの凡人次男と侮ってきた侯爵家の人たちに、まずは一矢報いたわ、さて次はいよいよ王城のパーティへ乗り込むわよと、エマは上機嫌で侯爵家を後にした。
*
その日のパーティは、王都の社交シーズン開幕を告げるもので、国内の有力貴族はもれなく招待されていた。
王家の第一王子が立太子する事になり、婚約者のお披露目もある。未だ婚約者がおらず、第一王子に嫁いでそのまま王太子妃の有力候補だと思われていたファナック公爵令嬢はその争いに負けたようである。
そんな中、謎に包まれていた辺境伯令嬢と、その婚約者でマッチョに変身した侯爵子息、辺境騎士団の正装に身を包んだ伯爵子息のロイの3人が登場すると、会場は一瞬シーンとしたがその後は嘆息と歓声に包まれた。それほど3人は目を引いていた。
貴族学院の同級生達(ほとんど交流がなかったが)は、あの地味な子爵令嬢が実は辺境伯の後継娘であり、その上美少女だったとわかり、驚くやら後悔するやら。今からでも遅くないと、エマは令息達に囲まれた。それをさりげなく救い出す辺境騎士団の正装を纏った長身の騎士に、令嬢達は熱い視線を送った。
顔が綺麗なだけだと思われていた侯爵家次男が、鍛え上げられた体を持つ凛々しい男に変わっていた事も、人々の話題を攫っている。彼もまた令嬢達に囲まれていた。
エマとロイは近付いてくる人々を適当に相手をしながら、少しずつ人の群れから抜け出して庭園に出た。リーバイは既に庭園にいるはず。彼とは四阿で落ち合う予定になっている。
「どうやら作戦成功ね。あら、あれは公爵令嬢。予想通りだわ」
四阿に立つリーバイと彼に近付く令嬢の姿が見える。
「あらら、人目もあると言うのにしなだれかかる勇気、見上げたものね」
「あの女、俺にも色目を使ってきたぞ」
「ロイは公爵令嬢の好みのど真ん中だもの。ロイが誰を選んでも貴方の自由だけど、あの人だけはダメよ。リーバイ様の想い人なのだから。あら、もう良いのかしら?」
憮然とするロイを従えて、エマはこっそりと近付いた。
顔を覆って公爵令嬢が飛び出してきて、驚いた2人はさっと身を隠す。間一髪だった。そして令嬢の立ち去る後ろ姿を見送っていると、リーバイが2人の隠れる植え込みにやってきた。
「待たせたね、終わったよ」
満足したエマ達は辺境伯のタウンハウスに戻り、翌日リーバイから報告を聞く事にした。
*
エマが食堂に行くと、リーバイとロイは既に談笑中だっま。
「あら、ふたりとも早いですね。昨夜は本当にお疲れ様でした」
「ああ、ロイ殿に今後についての相談に乗ってもらったんだ」
リーバイは憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしていた。
「おう、リーバイ殿はこれからの伸び代も期待できるし、充分辺境の男としてやっていけるぞ」
「そうなの、良かったわ。ところでリーバイ様、昨日の話を聞かせてくださいます?」
*
「この半年間、ベレスフォード辺境伯家で世話になりわかった事があるよ。エマ嬢は、既に僕に恋心なんて無くて、ただ義務として受け入れようとしているんだね。
僕は君の告白を無視したのに、辺境伯家へ婿入り出来るならとのこのこやってきた情けない男だ。
それなのに君はこんな僕を鍛えた。その理由が見返す為だと言って笑ってくれた。
気高く優しく強い君を、好きにならない筈がないだろう?
僕はエマ嬢が好きだ。貴女と共にこの地で生きていきたいと思う。
改めてエマ嬢に結婚を申し込みます。貴女が好きです。どうかと僕と結婚してください」
リーバイの真剣な眼差しに、エマは直視が出来ない。やはり顔がいいので思わず照れてしまう、しかしエマの心は決まっている。
「……ごめんなさい。お断りします」
「うん、そうだろうと思った。だって君の視線はいつもロイ殿を追っていたからね。寧ろ安心したよ。
イザベラ嬢がね、泣きながら謝ってきたんだ。貴方を諦めるために酷い事を言ったわってね。それで、まだ僕の事が好きだと言うんだ。もし少しでも気持ちが残っているなら許して欲しい、やり直したいと懇願された」
「まあ!素敵な話ね。ファナック公爵令嬢は再びリーバイ様に恋をされたのですわね……ってその言葉を信じてらっしゃるの?」
「うーん、そうだね。信じたいけど流石に無理だな。
僕は告白してくれた君を振って、好きだったイザベラ嬢に振られた。そして今度は僕が君を好きになって君に振られ、それで僕を振ったイザベラ嬢から今も本当は好きなのだと告白された。
僕には好きな人がいる、片思いだけどと言ってイザベラ嬢を拒んだよ。そうしたら、あの田舎者の辺境伯令嬢を本気で好きなのか?と詰め寄られたんだ。だから、そうだと答えたんだ」
「それはまた、予想外の展開です」
「イザベラ嬢は、後悔しても知らないと捨て台詞を残して、泣きながら去っていったよ。
なんだか、自分の事をろくでなしだと感じたさ」
「そんな事ありません…とは言いません。
ええ、リーバイ様は酷い方です。女心を弄ぶと言われても仕方ありません。わたくしは三回も貴方に振られましたもの」
エマは2人の声が聞こえない位置に立っているロイをちらりと見た。気がついたロイが片眉を上げたが、それは無視する。
「学院の最後の告白の時に、リーバイ様が今の気持ちでいてくださったら、私は一も二もなく貴方の胸に飛び込んでいました。
でもわたしが飛び込んだのは、王都まで迎えに来てくれたロイの胸でした。
勿論ロイにとっては従妹で妹同然の存在ですから、じゃじゃ馬娘に飛びつかれたくらいではびくともしない体幹も相まって、やれやれ迷惑だという感じだったでしょうけどね」
「僕が思うに、貴女達は両思いなのに何故そんなに焦ったいんだ?エマ嬢と次期辺境伯に相応しいロイ殿が結ばれるのが、皆にとっても一番望ましい形だと思うのだが」
「そう見えるとしたらわたくしの不覚です。ロイには既に振られていますし、彼にとってはいい迷惑でしょう。
片思いを続けるのが苦しくなって、ロイを忘れる為にリーバイ様に恋をした失礼な女なのです、わたしは。
今だって、リーバイ様の手を取れば幸せになれるかもって考えてる。
でもわたしを幸せにしてくれるのは、リーバイ様じゃないのもわかってるの」
エマ自身もわからない感情に突き動かされていた。
貴族学院に通いたいと父に懇願した理由のひとつは、新しい恋をしてロイに少しは残念だと思って欲しいという、邪な事を考えだったりする。
「それよりもリーバイ様、結局どうなさるの?まさか侯爵家へ戻るおつもりなのかしら?」
「いや、僕は辺境伯家の家臣になる。伯から許可も得ている。
エマ嬢とは残念ながら縁はなかったけど、妹君がいるからと、伯はおっしゃってくれてね。ジェーン嬢が、お義兄様って慕ってくれて、それが結構嬉しいんだ」
とは言え、ベレスフォード辺境伯閣下の思い通りに行くかは、わからないけどねと、リーバイは微笑む。
「ええっ、まさかジェーンと?あの子まだ12歳ですよ。お父様は何を考えてらっしゃるのかしら。
……あら、でも6歳違いは有りね、ええ、大有りかも」
どうやらエマの知らぬ間に、妹とリーバイの間には絆が芽生えつつあるらしい。
「僕のことを心配するより、君とロイ殿だよ。ちゃんと話し合った方がいい。そうだろう、ロイ殿?」
ロイが近付いてくるのが目に入った。リーバイは会釈をするとロイと場所を変わって、一礼をしてタウンハウスの方は戻っていった。
*
「話がある」
「一体なにかしら?」
「その何だ、調子はどうだ?昨日は色々あったから疲れているのだろう?」
「わたし?何ともないわよ。リーバイ様はこのまま辺境にいてくれることになったし、良かったと思うわ。あの方、女運が悪そうだから、ジェーンにしっかり手綱を引かせなくては」
「既に身内扱いなんだな。まあ、あいつの頑張りは俺も認めてるよ。王都にいるよりずっといいさ。
それより、伝えたい事がある。俺達の結婚の話なんだが」
エマはぴくりと身構えた。まさか、ロイからそんな言葉が飛び出すとは。
「聞きたくない。一度失恋してるのにこれ以上惨めにさせないで」
逃げ出したい、聞きたくない。ロイが結婚するなんて。相手は一体誰なの……
「昔、好きな子に素直になれなかった。せっかくその子が俺の嫁になるって言ったのに、チビでガキはお断りだなんて、馬鹿みたいに格好つけようとして、好きな子を悲しませた。
俺自身が生意気なガキでそれゆえの照れ隠しの発言だったから、早く訂正して謝らないとって必死だった。
ところがその女の子、お前は暫くするとそんな事全く無かったかのように平然として、以前のようにロイ兄とまとわりついてきたから、あれは冗談だったのかと思ったんだ」
「それは、そうするしかなかったじゃない。嫌われたらお終いだけど、妹なら側にいられるのだから」
「だけどお前がどうせチビで子どもだからなんて自虐する度に、後悔だけが残った。本当はエマが好きなんだと言いたかったのに、お前はいつも避けるから、俺の発言のせいで傷ついているのだろうと思うと、情けなかった。
謝っても信じてもらえないので、エマに愛想を尽かされたのだと心が痛んださ」
少しずつ距離をつめるロイが隣に座って、エマの瞳を覗き込む。エマは息が止まりそうだ。
嘘だ、嘘に決まってる、きっと夢なんだこれは……
「俺は子どもの頃からずっとエマの事が好きだ。あんな酷い事を言ったけど、お前は変わらず俺の事が好きで、いつかは結婚するものだと思っていた。だけど王都は行くのを止められなかった」
「ロイが止めていても行ったわよ?貴方が責任を感じる必要はないわ」
「違うんだ。
王都でリーバイ殿に失恋した話を聞いた時も、誰とも結婚しないと言い出した時も本当に辛かったんだ。
自惚れだとしてもそれが俺のあの発言が原因かもしれないと思ったら、情けなくて悔しくて。何度もあの時に戻ってやり直せたらと願ったんだ。
だからずっと、もうずっと俺はエマに片思いをしている。この片思いを終わらせてくれ」
「な、何よ、今更そんな事を言われても困る。狡いわ」
「わかってる。それも承知で言う。エマ、俺と結婚してください」
ロイは跪いてエマの手を取った。
*
そして。
懸念の派閥問題は、王弟ファナック公爵による税金の不正流用による横領が発覚し、貴族派の結束が崩れたことで一気に解決。公爵家は子爵家へ落とされ、横領した金の返済に追われている。
キャナダイン侯爵は、そもそも横領問題には関わっておらず、尚且つ辺境伯からの指示でその前に派閥を抜けていたので、なんとか生き残った。侯爵はベレスフォード辺境伯に感謝して、リーバイの兄と弟を鍛錬のため辺境に送り出した。1、2年は辺境の猛者達によって揉まれる予定だ。
リーバイはエマとの婚約を白紙に戻し、改めて妹のジェーンとの婚約を結び直した。6歳の歳の差があるが、ジェーンはリーバイに首ったけだし、リーバイも満更ではなさそうだ。
そして今日は、次期辺境伯となるロイとエマの結婚式である。落ち着くべきところに落ち着いた2人に、父も母も、辺境の人々も喜びを隠せない。
エマは晴れ晴れとした気分で隣に立つ新郎のロイを見上げた。
回り道をしたけれど、初恋の相手と結ばれるのだ。必ず幸せになるわ、と微笑む。
そんなエマの頬に、ロイが優しくキスをした。
終
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