共和国統合参謀本部(通称KTS)
日本共和国が徴兵制度を復活したのには、勿論理由がある。少子高齢化が進み、子供が減った事により生産年齢人口(15歳~65歳)の人間が志願制度では、充分に集まらなくなった事がその理由であった。それに伴い、共和国陸海空軍は待遇改善を図った。それにより、兵力の低下を避け兵力の維持を画策した。
かつての国の借金は大胆な経済対策と好景気によりほとんど無くなって行った。これは、第二次世界大戦後の奇跡の経済復興に次ぐ"ミラクル"と言われていた。
だが、秀星の様な若くして大量の月収や年収を得ていた人間達からすれば、共和国陸海空軍の待遇改善等、全く魅力的ではなかった。しかも、陸海空軍の配属先を決めるのは、共和国統合参謀本部(通称KTS)の人事部がプロファイリング(個人情報を国家権力を行使して調べ上げる事)して、勝手に配属先を割り振っていたのである。
最早民主主義とは言えない程遠くずさんな徴兵制度が横行していたのである。当然、日本共和国中から、二十歳になった人間が集まって来る訳だから、その数だけ境遇も異なるし、起こるドラマも異なる。秀星は、決して人当たりが良い方ではないが、自分とうまが合いそうな人間をかぎ分ける能力には優れていた。
陸軍同期で隊が同じ、志真岡龍彦と背尾則行は、第一印象でうまが合いそうな独特な臭いがした。志真岡龍彦は、青森県出身の漁師の息子であった。中学を卒業すると龍彦も父のもとで漁師になった。ぶっきらぼうではあったが、海の男らしく爽やかで嫌味の無い人間である。本当は海軍の方に進みたかったが、KTSの判断で陸軍歩兵科に回された。とは言え漁師の息子だけあり、スタミナと根性は自信があった。
背尾則行は、広島県呉市の出身で瀬戸物屋の三代目主人候補であったが、徴兵される事となり、不服は無かったが、背尾も志真岡と同じで海軍志望であった。陸軍の歩兵科は戦死率が高いのか?どう考えても、KTSの判断には誤りがあると言えた。とは言え、最新のAIが導き出した判断はそれなりに科学的で合理的な判断を下すと軍幹部からは信頼されていたのであった。




