火事場の馬鹿力
イカロスで秀星が築き上げたものが、どれほど薄いものであったかという事を秀星は強く感じていった。1日でいくら売り上げたか、どれだけの嘘をついたのか?売り上げなどその集合体でしかない。結局、ホストなど社会の底辺の処世術に過ぎないのだと。ホストを否定するつもりは毛頭無い。ホストという人種でも幸せになっている人もいる事は確かだ。
だからビジネスになる。しかし共和国陸軍の一等陸兵として生きるか、死ぬかの狭間に身を置くと生きている実感と言うものを体感する事が出来る。ホストとしてNO.1に成った事など秀星にしてみれば、それはもう過去の栄光になっていた。共和国陸軍で必要なのは、体力と技術さえあれば後は言われた事をやるだけ。それが酷く難しいのだが、秀星にしてみれば、それはひどく簡単な事の様に思えた。
もしかすると、自分は軍人適性があるのかもしれない。そう思っても不思議がない位に陸軍軍人と言う仕事が肌にあっていた。ホストに向いているなど一度も思った事は無かったが、充実した日々を送れていると確信出来るのは、少なくとも適性がある証拠なのかもしれない。
酒に強くてイケメンならばごり押し出来るホストと、体力と技術を求められる兵士では似て非なるものがある。命がけか否かと言う差もある。しかし、陸軍に限らず軍隊の構成員である兵士ならば、常に命がけである。この差は天と地の差がある。そう言う状況下の人間と言うのは、火事場の馬鹿力を発揮できる。兵士としてその力をコントロールして引き出す事が出来るならば、戦場で生き残る事等容易い。
そこを訓練で引き出すのが目的であり、実戦を想定していない訓練の為の訓練ではまるで、意味がない。例え末端の階級の兵士であっても、戦場で生き残る為の努力を怠ってはならない。怠れば死にダイレクトに影響する事は、火を見るよりも明らかである。有事にあって、短期間の訓練だからこそしっかりやる必要はある。