訓練をする意味
「例えそれが理不尽な事であったとしてもですね。」
「軍隊と言う所はもっと大変な事だと思っていました。」
「こんなのはほんの入り口に過ぎないんだがな。本当に大変なのは、現場に配置されてからさ。今は適当に流しておいても良いが、それを戦場でやっちまうと簡単に死んでしまうから気を付けろ。」
「志真さんやけに詳しいっすね?」
「兄貴が入隊した時に色々聞かされたからね。兄貴はもう死んでるけどな。」
「それってもしかして、召集されて戦死したって事ですか?」
「ああ。そうだ。兄貴はもっと生きたかっただろうが、それが出来なかったって事は力不足って事さ。だから戦場では油断しちゃならないんだ。」
日本共和国には1億人の人口がある。それらの国民を守る為に共和国軍はある。その内の一人の死など痛くも痒くもない。しかし、その一人の家族の事を思うと、胸が急に締め付けられる。その様な犠牲の上に日本共和国の平和はあるのだ。一人の兵士の死に想いを馳せられない国など滅ぶべきである。逆にそれが出来る国は強い。これから数多くの兵士が大米帝国との戦闘で死ぬ。勿論、大米帝国も同じだ。問題はどちらがより兵士の死に想いを馳せられるか、と言う事である。
まぁ、普通の国なら人事で終わらそうとする場合もある。親身になって考えてくれる事もあるかもしれない。が、一人の兵士の死にどれだけの意味が詰まっているのかを考える事は、無駄な事ではない。正解はない。そして軍隊に所属する兵士も他人事ではない。いつ死ぬか分からない戦場に放り込まれる時にいざ、終活をしても遅い。戦場とは日頃の訓練で何をして来たかが試されるのである。訓練と言うのは、戦場で一人でも多くの兵士を殺害する或いは、それを効率良く行う為に実行する為に効果的に作戦を行う為に、その精度を上昇する為に行われるものである。だから、実戦で使えない事を訓練する意味はまるでないと思われる。