果たすべき義務
下階級の兵士にとっては、雲の上の話かもしれない。だが、軍隊の良し悪しは兵士の質で大きく変わる。士官ばかり優秀でも兵隊が使い物にならなければ、あるいは思い通りに動いてくれないのであれば、それは頭でっかちな軍隊であると言わざるを得ない。
逆に下級兵士ばかりが優秀で士官が無能だとするならば、旧日本陸海軍の様になってしまう。要するにバランスが大切であると言う事である。徴兵で入隊する兵士が目指すべきは、軍内部の出世競争ではない筈である。死なずに無事兵役を終える。それこそ、本質であるだろう。
今、格上の大米帝国との戦争に踏切ったこの時期にあって、新兵が目指すべきは如何に短期間に戦場でサバイブ(生き残る)する術を身に付けるかと言う事にある。下らぬプライドの張り合いにうつつを抜かしていると、即座に戦場では命を落とす事になる。
死んでしまっては何もかも終わってしまう。たかだか3年の兵役で死ぬ事等、誰も望んではいない。ましてや、徴兵など己の意思如何に関わらない強制的な召集である。本意でない事は百も承知である。それでも務めを果たすのが日本共和国国民の果たすべきなのであるから仕方が無い。嗜好品を買えば沢山の税金を自動で支払うのと理屈原理は同じである。払いたくなければ品物は手に入らない。
日本共和国も法治国家のはしくれである以上法律に基いた徴兵に、逆らう事は出来ない。秀星のような売れっ子ホストであろうが、そんな事は戦場では関係無い。平時と有事で、その人間の役割は変わる。残念だが、その役割は同一とは限らない。秀星は事ここにあって、戦場のホストになるしか選択肢はなかった。ならば、待っている人の為にも、生き残って食らい付いて、何がなんでも生きて戻る。秀星は難しく考えてはいなかった。死んだならば所詮その程度の運命である。失う者は何も無い。秀星はその様なフラットな気持ちでいた。