卒業式(当日)
学校に着くともうほとんど来ていた。まだ集合時間の20分前だが、卒業アルバムにコメントを書いてもらっているようだった。僕はコメントを書いてもらうような相手などいないので、いつも通りの朝を過ごす。机の上には安全ピンの付いた造花が置いてあり、それを胸ポケットのあたりに付けた。今日はいつもの読書ができない。学校の図書室の本は卒業の一か月前に返さなければならなかった。何もすることがなく、窓の外を見てみた。今の席は窓側から二列目。毎日のように見ていた景色だが、もう見ることはできなくなる。この辺りで高い建物は学校くらいしかない。遠くの方まで、3キロ先の建物も見えそうなくらい景色が良い。この眺めもいつか忘れる時が来るのだろうか。
先生が教室に入ってきた。いつもはジャージを着ている先生も 今日はスーツを着て胸ポケットには花が添えられている。学級委員が号令をかける。朝の挨拶はこれで最後。でも最後だからと言って、特別何かをすることもない。いつも通り、いつも通り、それがいい。号令が終わり、先生が今日のことについて話を始めた。昨日、前日練習で言われたことと同じような内容を話した。本来は合唱をする予定だったが、コロナの関係でなくなってしまった。音楽の先生は「合唱ができるかは分からないけど、もしできたとしたら歌う時だけは絶対に泣かないで。泣いて歌えなかったとき、絶対に後悔するから。それだけは本当にお願いします。」と言っていた。だから家に帰るまでは絶対に泣かない、そう決めていた。
今の時代だとみんなスマホを持っている。だから卒業しても離れ離れということにはあまりならない。でも僕はスマホを持っていない。ここで別れたら本当にもう会えないかもしれない。
余計なことを考えていたら先生の話は終わっていた。もうあと30分ほどで体育館に移動する。先生は準備のため教室を出て行った。生徒だけの教室になったところで、一人スマホを出した女子がいた。今日だけはスマホを持ってくることを特別に許されていた。卒業式が終わった後にみんなで写真を撮るため。ただ、出していいのは終わった後。その女子は何人かと一緒に教室で写真を撮っていた。最後くらい、いいと思う。教室の写真はほとんどない。思い出の教室で、制服で、友達と、先生から隠れながら。あとで振り返った時に懐かしく思うだろう。振り返ることがあるのか知らないけど。時間はいつの間にかあと10分になっていた。トイレにだけは行っておかないと、後で逝くことになる。トイレから戻ると先生も戻ってきていた。先生の指示でみんなは体育館履きを履いて廊下に並ぶ。いよいよ始まる。そして終わる。
入場は体育館の中間あたりにあるドアから。校舎からそこまでの間は 外の渡り廊下を通る。気温は三月とは思えない10℃。最高気温は17℃予想だが、そこまで届くのだろうか。朝は止んでいた雨がまた降り始めていた。中で校長先生が話しているのが聞こえる。内容までは聞き取れないが、この話が終わると入場し始めることになる。緊張はしない。一度しかない卒業式を楽しむ。この一瞬一瞬を楽しむ。
校長先生の話が終わった。「それでは卒業生が入場します。大きな拍手でお出迎えください。」と司会担当の先生がマイクを通して話す。A組から順に入場する。担任の先生を先頭に、僕は真ん中のあたり。ゆっくりと保護者の間を通り、前にあるパイプ椅子に座る。予行練習では無かった装飾が今は奇麗にされている。最後まで入場し、座ったのを感じた。「皆様、ご起立願います。」司会の先生の合図で全員一斉に立つ。「これより、令和3年度卒業式を始めます。」礼をして国歌斉唱に移った。実際には声を出さず、音楽を聞くだけ。短い曲なのに異様に長く感じた。音楽が流れ終わり、卒業証書の授与に移った。A組の出席番号1番から順に、舞台に上がり、担任の先生に名前を呼ばれ、校長先生の前に行き証書をもらう。真ん中の階段を降り、右に曲がり、筒を受け取って、そこで証書をしまう。そして席に戻る。
自分の番が近づいてくる。緊張はしない。ただ、いつかは来ると分かっていた時、それが今。実感がなかなか湧かない。これまでの日々がこれからもずっと続くように思えて仕方ない。僕は席を立ち、舞台へと続く階段へ向かう。横目で桜野を見た。目が合った。微かに笑ってくれた、気がした。視界を前に戻し、前が進んだら自分も前へ進む。一番上の段、舞台のところに来て前を向く。目だけ桜野に向けると、やはりこちらを見ている。逆に桜野がここに立った時、僕は桜野の方は見なかった。見ないようにしていたのか、忘れていたのか、やっぱり緊張しているのか。桜野に見られ少し緊張する。「青柳大輔」「はい」担任の先生から名前を呼ばれる。何回も呼ばれてきたが、これが本当に最後になってしまうだろう。それに答えられるのもこれで最後。全てのことが最後。校長先生の前で礼をする。校長先生はあの時のことを覚えているだろうか。忘れてくれていい。修学旅行で話してくれたこと、僕は内容を忘れてしまった。でも忘れない。一歩前へ出て証書を受け取る。「おめでとう」と小さい声で言われ、「ありがとうございます」と小さな声で返す。右手に証書をまとめ、一歩下がり礼をする。180度回転し前を見る。階段を下る。桜野の前を通り、筒を受け取る。そして席に戻る。卒業式の時間のほとんどがこの 卒業証書授与だった。
授与が終わり、校長先生のお話が始まった。覚えるほど、とまではいかないが、ちゃんと聞いた。校長先生は本当に良いことを言ってくれる。修学旅行の時もそうだったな、と思い出した。
校長先生の話は終わり、来賓紹介も軽くだけ行い、校歌斉唱に移った。三年間歌ってきた校歌だが、この日以降歌うことはあるのだろうか。いや、この日は歌えない。最後に歌ったのはいつだっただろうか。ピアノを音楽の先生が弾く。その音だけが体育館に寂しく鳴り響いた。「声を出して歌うことはできないけど、心の中で歌ってください。これで校歌を歌うのは本当に最後になるから。」と音楽の先生は言っていた。最後の音が長く、長く、自然と消えるまで響いていた。
「皆様、ご起立願います。以上を持ちまして、令和3年度卒業式を終わります。」気を付け、礼。で一斉に礼をする。「ご着席ください。」の合図で着席する。「卒業生が退場します。大きな拍手でお送りください。」担任の先生が前の真ん中に来る。そして手の合図だけで一斉に立ち、ゆっくり歩く その後についていく。入ってきたところから出て、そのまま教室に向かう。後ろから桜野が来ることはなかった。
教室に入る。あと数分したら学校を出る。ここにいられるのもほんの数分ということ。先生が入ってきた。「準備ができたらすぐ教室を出るので、それまでに出れる準備をしておいてください。それと、スマートフォンは学校から出るまで出さないこと。出てからはいくらでも使って大丈夫です。」今日は荷物をほとんど持ってきていない。体育館履きだけ持って帰れば あとは荷物は無い。トイレに行こうと思ったが、とても混んでいたので 下の階のトイレを使うことにした。下の階には誰もいなかった。トイレから出るとちょうど桜野もトイレから出てきた。声を掛けることもなく、自然と二人で階段を上った。教室に戻るとみんなが教室から出るところだった。僕も急ぎ目でリュックをもって教室を出る。少しだけ教室を振り返って見た。教室を通して見える街並み、それが今まで見た中で二番目に奇麗だった。
遅くなってしまうので急ぎ足で学校を出た。昇降口から校門までの間に 先生や保護者の方が列を作ってお見送りしてくれた。さっきまで降っていた雨は止んでいた。
校門を出るとみんなは一緒に写真を撮っていた。僕も「青柳君一緒に撮ろう。」と何人かに声を掛けられた。撮ってくれるのは嬉しいんだけど、その写真、僕はもらえないんだよね。スマホを持っていなかったので、当然LINEやインスタなどできない。唯一の方法はメールだったが、メールアドレスを知っている人は誰もいない。自分で写真を撮ることもできない。カメラを持ってきているとはいえ、自撮りに向くものではなかった。校門の前にある「卒業式」と書かれた板の前で家族で写真を撮ってもらったり、部活の仲間と少し話したり、暇でバスの写真を撮ってたりしていると、いつの間にか残っているのが5人ほどになっていた。その5人は吹奏楽部で先生と話していた。雨が降ってきたためか、先生は校舎の方に歩き出した。そしてこちらに振り向き手を振った。僕はその瞬間をファインダー越しに見ていた。カメラを下げると、その5人は帰り道へ歩いて行った。
学校の前にはもう誰もいなかった。雨脚も強くなり、七分咲きの木も揺れていた。帰ろうとしたところ、「青柳君まだいたんだ。」と聞きなれた声がした。「桜野さん?」思わず声が出た。そこには本当に桜野がいた。傘を差さず、髪の毛も、ブレザーも、スカートも濡れていた。桜野を傘の中にいれながら「傘持ってないの?」と聞くと、「お母さんにリュック預けたら、そのまま帰っちゃって、そこに傘入ってた。」と答えた。「そういえばまだ一緒に写真撮ってないよね?最後だし、一緒に写真撮ろうよ。」と桜野に言われたので撮ることにした。僕の元に写真は残らなくても、桜野の元に写真が残ればそれでいい。「マスクあるとよく分かんないから外す?」と聞かれたのでそうした。傘も邪魔なので閉じた。桜野のスマホの画面に僕と桜野の二人だけが映し出される。ピースサインを作り、写真を撮ってもらった。桜野はスマホをしまい、こちらを向いた。そして抱き締められた。僕も抱き締め返す。久しぶりだった。多分、修学旅行以来だったと思う。桜野は少し上を向き、キスしよ? と目だけで言った。顔を近づけ、口元だけ触れる。触れたら少しだけ深く。僕はこの時初めてキスをした。何秒経ったか分からない。その間、僕は息を止めていた。桜野も息を止めているようだった。限界だったので離した。しかし、桜野はまだ足りないのか もう一回 と目で訴えてくる。またさっきと同じようにキスをした。この時間が本当に幸せだった。でもここで別れたら本当に会えなくなるかもしれない。この時がずっと続いたらいいのに…桜野が何か喋っている。でもよく聞き取れない。あ、キスしてたからか、と気づいた。口を離して「ごめん」と謝る。「もー死ぬところだったじゃん。もし私が倒れたら、人工呼吸と心臓マッサージちゃんとしてね。」と言われた。時刻はもう昼の12時を過ぎている。「そろそろ帰る?」と聞くと「私傘ないから家まで一緒についてきてくれない?」と聞かれた。「家まで行くのはちょっとあれだから、途中までね。」ということで、折り畳み傘の中で一緒に歩いた。傘が小さく、左半分が濡れる。桜野も同じ感じかもしれない。何の話をしたかは覚えていない。「この辺でもう大丈夫。ありがと!」と言い、桜野は傘から出た。雨に濡れた桜野は可愛かった。これ以降、桜野を見れる機会はなくなるだろう。「風邪ひかないように、ね」と言い、「いつか、また会おうね。」と別れた。来た道を戻る。もう振り返らない。桜野はこちらを見ているのだろうか。それとも帰ってしまったのだろうか。
その時の様子を今でも鮮明に覚えている。桜野は最後まで笑顔でいてくれた。泣きたかったかもしれないのに。帰り道でいろいろ後悔した。最後に名前で「茉依」と呼べばよかった。最初から最後までお互い苗字で呼び合っていた。「好き」と言えばよかった。お互い好きと言うことはなかった。連絡先を教えておけばよかった。お互い連絡先を知らないまま別れた。今から戻ればまだ茉依はいるかもしれない。でもいい。最後だからいい。これも一つの思い出として、今、私は思い出して、懐かしんでいるのだから。
今回もお読みいただきありがとうございます。
話としては次回で終わります。最後まで読んでいただければ幸いです。




