18話 予兆の季節
古河水希のバイト先であるケーキ店『こぐま』は、閑静な住宅街に店を構える。立地はあまりよくないが、店主はヨーロッパで修行していた本格派で、たびたびテレビで特集が組まれるくらいには人気店である。
『こぐま』のバイトメンバーは、それほど多くない。
時給は悪くないのだが、大学から少し遠く、なにより店長の見た目が怖いのだ。「あれはこぐまってより、ヒグマだよね」と来る人々に言われる。だからそもそも、応募する人が少ない。
水希は元から人の見た目を怖がったりしないタイプだし、ケーキが美味しければどんなモンスターの下でも働けるような精神の持ち主だ。
対して彼女のバイト仲間、向井利香はいたって普通の女子だった。誰とでも仲良くなるという点では同じだが、仲良くなった後に更に深い関係になろうとする。
まあ、要するに普通に恋する、普通の大学生である。
活発で化粧は濃いめ、頭の上でまとめ上げた髪は、肩の高さまでのポニーテール。若干のパーマがかかっているが、ゆるっとしていてチャーミング。
家が近く、『こぐま』に幼い頃から通っていたからバイト先に選んだらしい。
「ねーねー水希」
「おっ、どしたのリカちゃん」
「彼氏がほしいよぉー」
「私に相談されてもねえ」
「水希はいらないの? 彼氏、いたら楽しいよ?」
「うーん。いた方がいいのかなとは思うけど、今はまだいいかな」
「そんなまだまだ言ってると、旬が過ぎるぞ! 命短し恋せよ乙女!」
「わぁ。どこかで聞いたような言葉だねえ」
「水希の天然って、わりとエグい威力だよね……」
本人は目をパチパチさせて、首を傾げるのだから困ったもんだ。そんな顔も可愛いからさらに困る。
友人の利香は、この可愛い友人に早く恋というものを知ってほしかった。恋してほしい。そしたら絶対、もっと可愛くなる。可愛いは正義なのだっ!
まあでも、まずは自分のオトコをゲットすることである。今を生きるJDにとって、彼氏のいない期間は無呼吸で泳いでいる状態に等しい。
「あーあ。どっかにオトコいないかなー」
「この間の彼とは別れたの?」
「浮気されたぁー」
「リカちゃん浮気され症だねえ」
「どーせ飽きたら捨てられる着せ替え人形ですよ。ふんっ」
「まあまあ。シュークリーム食べて元気だそ」
「あーん。また太っちゃうぅ」
しくしくと泣き真似をしながら、利香はもぐもぐリスみたいにシュークリームを頬張る。
ごくんと呑み込んだところで、ふと思い出したように水希の顔をじっと見る。
「どしたのリカちゃん。目が怖いよ。肉食獣のそれだよ」
「肉食獣言うな。……いや、そう言えばなんだけどさ、水希」
「ん?」
「一緒に住んでるあれ、誰だっけ。巴投げくんだっけ」
「戸村くん?」
「そう。それ! その人。いい人なんだよね。……よかったら、紹介してくれたりしない?」
◆
「――なにか、なにかとても嫌な予感がする」
『つくね園』と書かれた巨大な看板を見上げながら、俺はそっと呟く。
隣には仕事帰りのマヤさんがいて、べしっと背中を叩かれた。背骨がだるま落としみたいに吹き飛んだので帰っていいですか?
「なーにビビってんのよ。ただの居酒屋、入った事くらいはあるでしょ」
「成人してからは初めてですから。外で飲酒するの……」
「ほーう。真広、やっぱりちゃんと法律守ってたのね」
「やましいことばっかりしてるから、いつだって警察が怖いんですよ。俺は」
「言うわねえ」
「人が人の上に作ったのが法でしょ。そう簡単に破れませんって」
言ってしまえばビビりなのだが。法律にビビるのは、そんなに悪いことじゃないと思う。むしろ正しい。称えられるべきだ。全校集会で賞状もらわなくっちゃいけない。どっかの小学校でやってくれないかな。
「……で、呑むんですか」
「そうよー。真広とのサシ呑み、楽しみにしてたんだから付き合いなさいな」
ややハスキーな声は、背筋が伸びるくらい大人を感じさせる。
だがその行動に大人らしさがあるかと言えば、皆無だ。いきなり集合場所を伝えてきて、来てみたらこれだ。前情報が少ねえ。
財布の中に不安はないが、この人と二人で酒飲んで大丈夫?
間違いが起こったり――はしないな。うん。マヤさん、鬼のように酒強いし。酔っ払って帰って来るときも、頭は回っていることが多い。
「古河に連絡しないと……」
「水希には言ってあるわよ。二日前に」
「じゃあなんで俺には二時間前なんですかねえ!」
「だって真広、暇じゃない」
「ぐうの音も出ない正論だ……っ」
それを言われたらなんでもありみたいな。そういうところあります。
「柚子には確認したしね」
「なぜ俺に聞かないんですか? どうして?」
「ドッキリ?」
「ワービックリシタナー」
この人の真意を探るのはやめよう。たぶんない。絶対にない。俺のことをからかって楽しんでいるだけだ。
古河や宮野が俺のことを振り回すのとは少し違う。巨人にぶん回されてるみたいな速度感がこの人にはある。
「ここのお店、つくねが美味しいのよ」
「見りゃわかりますよ」
「ごちゃごちゃうるさいわね」
「ええっ!?」
暴風のような理不尽と共に、がしっと俺の左腕を掴む。弾みで胸に当たるとかはないです。さすが社会人。防御力がお高い。
「さあ、行くわよ。飲み放題。最初の決めなさい」
「か、カシオレでぇぇえええ~」
引きずられながら、OLよりOLみたいなことを言ってみる。
書けちゃいました。




