15話 責任
七瀬さんが模試に向かってから、俺の内心は非常に穏やかではなかった。大丈夫かな? と大丈夫だよな? を交互に繰り返す脳内。天使と悪魔が揃って混乱状態。役割とか関係ないな。
去年から高校受験にバイトとして関わっているから、この時期の模試がどんなものかも知っていた。ある程度の対策はできたはずだ。
解ける場所は多くないが、分野を絞ればちゃんと戦える。そういうふうなスケジュールを組んできた。実力もちゃんとついている。
だから。
俺が不安なのは、メンタルの部分だった。
もしもど忘れやうっかりミスで大量失点をしていたら、なんて言えばいい? 注意か? それとも、励ましか。
真剣にやっているから注意したくないし、励ますのもどこか無責任だ。
なんにせよ結果がわからないことには、どうにもならない。不安はなんの足しにもならないのだ。
だから。
四限の授業が終わったのと同時に、急いで帰宅。そっとリビングの中を覗く。
誰もいない。
「なにやってるんですか、先輩」
「ぬわっ!」
二階から掛けられた声に、驚いて小ジャンプ。
「た、ただいま」
「おかえりなさい」
「テストどうだった?」
いきなり本題をぶっ込んだのは、びっくりして余裕がなかったから。
「ちょっと待っててください。今、下行きます」
「お……おう」
大丈夫そう、かな? 表情はいつも通りだ。いつも通り過ぎてちょっと怖いけど。
手洗いうがいだけして、鞄ごとリビングに。筆記用具もルーズリーフもあるから、準備はできている。
リビングの背が低いテーブルに座って待つ。座布団を二つ用意して、向かい合うように。
お茶の準備をしていると、七瀬さんが入ってくる。座っててと声を掛け、コップを二つ運んでいく。
正座で向かい合い、背筋を伸ばし、
「どうだった?」
「どうして先輩が緊張してるんですか」
「……サッセン」
「どうして運動部みたいに謝るんですか。インドア派ですよね?」
「……シタァ」
ラァッ、シャッ、ザッス、アーッス、ウィー、ウガー。
運動部はだいたいこの音しか発していないイメージがある。ハイコンテクストってやつなのかな。知らんけど。
ちなみに部活以外の時間は普通に喋ってる。バイリンガルっていいよね。
呼吸一つ挟んでリセット。
「真面目な話をするとね、生徒の結果は俺のやり方が正しかったかどうかの答え合わせなんだ。っていうと、七瀬さんにプレッシャーかな」
「べ、べべ別にプレッシャーなんて感じてにゃませんけど?」
「ごめんね」
「だ、だいじょうぶですっ!」
背筋をピンと伸ばして、大丈夫ですから。と言い聞かせてくる。
何度か頷き返してから、でもねと付け加える。
「君はちゃんと――いや、すごく頑張ってくれてる。これでもし、結果が出ないなら俺のせいだ。そう断言できるくらい、七瀬さんは頑張ってるよ」
春休みに買った数学のテキスト。一二年生の計算分野は、既にほとんど終わって二週目に入っている。英単語もどんどん覚えて、理科社会だってやってくれている。
「だから責任があるし、緊張する。さあ、採点しようか」
「そんなこと言われたら、私まで緊張するじゃないですか! さ、採点されたくないです!」
「ははっ」
もう遅い。七瀬さんが問題用紙を机に置いた時点で、俺は手を伸ばしている。
「なんでファーストフード店のピエロみたいに笑うんですか!」
「それを見たら終わり?」
「ホラーじゃないです!」
「ピエロって怖いよね」
「ですよね……私、ちょっと苦手なんですよ。じゃなくて!」
話を逸らしながら、パラパラめくる。時間が余ったら答えを書いておくように頼んだのだ。
ふむふむ。
「あーもう、好きにしてください!」
両手でコップを持って、むすっとこっちを睨んでくる。
「じゃ、確認するね」
模範解答は今日中に配られていたらしい。それと見合わせながら、ざっと確認していく。
俺が使っていないぶんの模範解答は、七瀬さんが手に取って読んでいた。
「うん。うん。うん」
採点中の口癖で、なんども頷いてしまう。治そうとしても、集中するとついなってしまうのだ。
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…………。
怪しい脳内広告が終わったくらいで、五教科ぶんのチェックが終わる。
「よし。できた」
「ど、どうでしたか?」
「いける」
結論は三文字でまとまった。
「いける……とは?」
「今回の結果は、正直、あんまり高くないと思う。だけど落ち込む必要はない」
一番良くても四十点か。そのくらいだろう。五十点にはきっと手が届かない。
だが、この三ヶ月でそこまで来たのだ。
「身につけるべき知識は、ちゃんと身についてる。数学にしたって、思考の過程がわかるいい式が作れてる」
雨に打たれ、遠くの空に焦がれていた雛はもういないのだと知った。
彼女は既に飛び立って、その場所を目指しているのだ。
俺に守られるような、柔な翼じゃない。だからせめて、飛べない俺は。その背中に僅かな追い風を。嵐の向こうを示す、標のような光を灯したい。
「君の目標はきっと叶う。これからも、一緒に頑張ろう」
「――はいっ! ありがとうございます! …………ふふっ」
輝くほどの笑顔で答えて、その後、なぜか彼女はだらしない笑みを浮かべた。




