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人生に疲れた俺は、シェアハウスにラブコメを求めない  作者: 城野白
初夏の節 それを喜劇と呼べるなら
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10話 いつか、その言葉の先へ

「うむ。……たぶん。だから、その時が来たら――」

 〝また一緒に、来てはくれないだろうか。”


 宮野悠奈が無意識に言おうとしたそれは、トラックの音にかき消され、ほとんど自覚も無いまま風に流れる。

 どうしてそんなことを言おうとしたか、なんて疑問すら抱かないほど。


 それは僅かな、一瞬の感情。


 なにせ彼女にはまだ、解決するべき問題が残っていたのだから。







 真広が穂村荘で「古河、オデ、ハラヘッタ……ンゴ」とふざけているちょうどその頃、悠奈は父親と並んで縁側に座っていた。


 口数の少ない父と、折り合いの悪い娘。その組み合わせは、ある意味大学生よりも絶望的だ。


 暗闇に溶けた庭木を眺めながら、悠奈は思う。

(誤解、か。いったい何をどう誤解しているというのか)


 戸村真広という人間にそれなりの信頼を置いている彼女だが、その点に関しては疑問だった。もちろん、真広の発言が的外れだという可能性もある。

 だが、だったらもっと自信がなさそうに言うはずだ。彼がそういう人であると知っているから、あの断言にはそれなりの根拠があるのだろうと思った。


「さっきは、すまなかった」


 ぽつりと、父親が呟いて。小さく頭を下げた。自然に悠奈も頭を下げる。気持ち、父よりも低く。


「いや。ボクも取り乱してしまって……ごめんなさい」


 父に謝られるのが嫌だった。

 正しいと信じていたものが、過ちを認めるとき。その背中を見つめる悠奈はどこか、薄暗い気持ちになる。


 さっきだってそうだ。

 二人で話したとき、父は彼女に謝罪した。


「厳しく育てて、すまなかった。もっと普通にすればよかったと、反省している」


 その言葉は、なによりも彼女を否定する言葉だった。

 今の悠奈が間違った存在だと、そう言われているようで。カッとなって飛び出してしまった。

 今でも、そのことは怒っている。許せる発言ではないと思う。


 ただ、その一方で。

 父を憧れにして、それがいつしか重荷になって、逃げるために嘘をついた悠奈は。彼女がそのことを伝えて、謝ることも同じように。

 父のこれまでを、否定することなのではないだろうか。


 そんな意図はなくとも、言葉にすれば刃だ。否応なく傷つけてしまう。


 呑み込むことが必要なのだ。謝れば楽だが、謝っても救いにはならない。少なくとも、今は。

 だから悠奈は目をちゃんと開き、父のことを見つめた。


「ボクは、今の自分に満足しているよ。ダメなところは多いけど、後悔はないんだ。……本当に」

「……そうか」


 少しの沈黙。父は相変わらず自信なさげに、


「悠奈はずっと、父さんの跡を継ぎたいんだと思ってた」

「思っていたよ。でも、たぶん無理なんだ。――失望させて申し訳ない」


「失望?」

「しただろう。ボクは父さんの期待に応えられなかったのだから」


「失望…………ああ、そうか。だから悠奈、お前はそう思ったから、……失望なんてしていない」

「それは、期待もしていなかったから?」


 悠奈の問いに、父は首を横に振る。


「父さんはな、嬉しかっただけなんだ。娘と同じ夢を見られることが。――だから、勝手に喜んで、悠奈を傷つけたんだろう」

「違う! それは違う!」


 どうしてこんなにすれ違うのだろう。

 一緒に暮らして、同じ時間を生きていたはずなのに。お互いが勝手に自分の責任だと思い込んで、いつしか大切な思い出を泥に沈めた。


「楽しかった。嬉しかった。ボクだってそうだったんだ!」


 頭の中がぐちゃぐちゃになって、気づけば涙が流れていた。


 父のことを誇りに思っていた。『朧堂』を守って、工業化を進めて。それでも父だけは、和菓子職人であり続けた。味を守るために、再現ではなく、継承するために。


 その背中を追うことは、楽しかったはずなのだ。

 思い出が溢れて、けれどそれを表すだけの言葉は、まだその手にはなくて――


 みっともないくらいに、少女は泣いていた。


 言葉は力不足だ。いつだって取りこぼす。ならば、零れたぶんを別の言葉で補おう。補いきれないぶんは、また別の言葉を重ねよう。


 決意の中で流す涙は、振り返った苦しみは、きっと無駄じゃない。


「……ありがとう。父さん。ボクのことを、育ててくれて」


 宮野悠奈は悩み続ける。

 けれどその目は、光を見ている。

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― 新着の感想 ―
[一言] カクヨムで読んでます。先が気になってこっちも読み始めました。笑いあり、涙あり、本当に面白くて素晴らしい作品です。大好きです。もちろんカクヨムも読み続けます。ぜひ完結までよろしくお願いします。…
[一言] 無意識に、でも彼を求めている。彼の方は、そうまで自然に求められた事、って無かったかな。 想いの速さに、言葉を紡ぐ速度は叶わない。だから紡ぎきれない想いはこぼれ落ちてしまうんだけれどね。それ…
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