8話 俺の話
宮野の実家周りは、住宅街から少し離れたところにある。『朧堂』は駅に近いところらしく、家とは別の場所らしい。
両側が畑の田舎道を歩く。信号はほとんどない。あっても、車が通らないような静かな道だ。
つらつらと十五分ほど歩けば、教えてもらった場所は見えてくる。
だだっ広い土地を、子供たちのために整備した公園。都会のに比べて広く、遊具もサイズが大きい。ブランコが四つあると言えば伝わるだろうか。
宮野は隅にあるベンチに座っていた。
視線を巡らせ、自販機を探す。ないか。まあ、ないよな。道中にもなかったし。
近づいていくと、力なく視線を上げた。
「ああ、トム先輩か……」
「出番かなと思って来たけど。どんな調子だ」
「穏やかではない、が、トム先輩に当たるほどでもない」
「そっか。じゃあ、隣失礼」
座って、お互いに黙り込む。
ぼんやり空を見上げると、既に茜色が滲んでいる。のどかな空気に乗って、遠くからチャルメラのラッパ。
「俺の話って、あんましたことなかったよな」
虚空にそっと置くように切り出す。
「トム先輩の話?」
「うん。俺が穂村荘に来るまでにあったこと。せっかくだし、聞いてくれるか」
「ああ……構わないが」
「じゃあ、話すか」
助けるとか手を貸すとか、そういうことも考えた。だけどそれらは正しいだけで、俺のすることじゃない気がした。
俺は――背中を見守る側なのだ。
前に立って、引っ張ってやれるような強さはない。
だから強がる意味もなく。弱さだけが、俺がここにいる価値になる。
「大学に入った時、俺は夢を見てたんだ。友達と旅行したり、飲み会やったり、彼女作ってデートして、一緒に住んでみたり、みんなで夜遅くまでテスト勉強したり、そういうものに憧れてた。そのためにバイトをしたし、服も買ったり、なんなら髪も染めた」
「トム先輩が、……髪。何色に?」
「ま、チキって焦げ茶色だけどな。あんま今と変わらないぞ」
どうせやるならもっと明るくすればよかったものを。
あの頃のあの半端さが、最終的な部分に直結したのだと思う。
「モテたかったし、楽しみたかったし、周りのやつらみたいに上手くやりたかった」
こうやって語る昔の自分は、まるで別人だ。口から出る言葉も、突き放したように遠い。
「それで、運良くか悪くか、いわゆるリア充っぽいグループに入ったんだ。男女五人。誰かの家で飲み会したり、どっかドライブいったり、まあそんなことをする集まりなんだけどな」
「なんと爛れた」
「ああ。俺以外はみんな爛れてたよ。でもって俺も、爛れたかった」
グチャグチャでドロドロになっていく人間関係に絡まって、俺も青春の一部になりたかった。
破滅願望にも似た、切実な思いがあった。
「でも、叶わなかった。致命的にズレてたんだ。俺はただ〝そこにいる”ことに必死で、自分の居場所を守るために雑用ばっかやって、価値を落として、要らなくなった」
いてもいい理由が欲しくて歯車になって、やっと気がついた。
歯車には、いくらでも代わりがいることを。誰にでもできるものに価値はなく、そして部品に対する感情は徐々に薄れていく。
あいつらが悪かったと。言うつもりはない。
俺が悪かった。俺も悪かった。
おそらくきっと、あの場所にいたそれぞれが間違っていた。だけど俺には、あいつが悪いと。名指しで糾弾できるような権利はない。判断するだけの賢さもない。したって虚しいだけだ。
俺が断罪できるのは俺一人。それだけでいい。
「俺はいらないんだって気がついて、消えてしまいたくなって、そんな時に会ったんだ。――古河に。マヤさんに。七瀬さんに。そんでもって、宮野。お前に会ったんだ」
夢が壊れ、希望を失い、絶望に呑み込まれた中で。燦然と輝くものを見つけた。
「俺すら見限った俺のことを慕って、大切にして、一緒にいてくれる人たちに出会った。俺が俺のままでいても、それでいいって言ってくれる人に。こんな俺を、頼ってくれる人に」
価値は自分の力で生み出すものじゃない。
ありのままの自分から、誰かが見つけてくれるものなのだ。
なんてのは暴論だろうか。でも、そんなものだと思う。
俺は俺のなにがいいのかわからない。だけど、隣にいる少女がどれだけ面白いかを知っている。きっとそれは、宮野自身が知らない彼女の魅力だ。
「ありがとな。俺のこと、助けてくれて」
人生に疲れ、迷子になったアホの大学生は居場所をもらった。俺の話はここまで。続きは現在進行中。
小さくため息をついて、終わりを合図する。
宮野は固まって、小さく口を開けて、じっと俺を見ていた。
その瞳は薄らと滲んで、小さな滴が頬を伝う。
「……そんなことを、言わないでくれよ。ボクは、ボクはなんにもしていないのに」
「お前の自覚なんて聞いてねーよ。俺がもらったと思ったものは、確かにお前がくれたものなんだ」
「詭弁だ!」
「じゃあ俺も、お前になーんにもしてやれてないな。自覚ないから」
「なっ……」
息を詰まらせ、眼鏡の奥の瞳が動揺に揺れる。
こういう言い合いでは俺に分があるらしい。七瀬さんとマヤさん相手だったら、ボロカスにされていただろう。
「だから、安いセリフだけど。俺はお前の味方だ。元気出せ」
宮野は目を見開いて、その目からまた涙が零れそうになって――眼鏡を外した。手でぐしぐしと拭いて、もう流さない。
上げた顔はどこかすっきりしていて、目にはいつもの凜々しさが戻っている。
「……本当に、あなたという人は」
呆れたような表情。口元には薄い笑み。
「悪い人だな。トム先輩」
「まあな。俺だって、だてに成人してない」
茜色の空には、夜の紺碧が滲み始める。空気は温度を緩やかに落とし、宮野は立ち上がった。
「改めて、お願いしたいことがあるのだ」
「なんなりと」
「ボクの話を聞いてほしい。そしてできるならば、ボクのことを叱ってほしい」