7話 ズレる
「悠奈が信頼するわけだ」
難しい表情をほんの少しだけ崩して、宮野のお父さんは笑った。
緊張の糸は切れ、それ以降の言葉は簡単に出てくる。
「すまないね。どうもあの子は、男を男と思わない節があるから。苦労をかけるだろう」
「まあ、家に呼ばれたときは驚きましたけど。突拍子もないことを言うのは、いつものことなので」
脈絡のある発言をするほうが少ない。
宮野との会話は、思い出すだけで笑ってしまうほど突飛で、くだらなくて、そしていつだって真剣だった。
くだらないことを、誰よりも真剣に考えていた。
だからきっと。彼女には重すぎるのだろう。
普通の人にとって軽いことすら、一々全力でやらねばならないのだから。親と向き合う。自分と向き合う。そういうことが、本質的に苦手なのだ。
と、思う。
だけどその苦悩は、まだ宮野が自分を見限っていない証拠だ。
そして。
俺にわかる程度のことは、当然、彼女の両親にもわかっている。
この場で誰よりも情報が少なく、誰よりも遠くにいるのはやはり俺なのだ。
「出過ぎた真似だとは思っています。だけど、悠奈さんと直接話してもらえませんか?」
「…………君は、なかなかに厳しいな」
苦笑いを浮かべる宮野父に、頬を掻いて応じる。
「甘党なんですけどね」
「伝書鳩にはなってくれない、か」
「すみません」
「いいや。君が謝ることじゃない」
直接的な表現は避けたつもりだが、結果的に言わせる形になってしまった。
伝書鳩。伝言ゲームの中継ぎ人。
まあ確かに、家の中の誰かが間に入るよりはいいのだろう。第三者で、比較的宮野に寄っている。
なんとなく、こうなるんじゃないかとは思っていたが。
思っていたからこそ、はっきりと断る。
「年頃の娘と話すのは難しい。が、逃げるわけにもいかないな」
「まあ、その後のフォローはさせて頂こうかなと……思ってます」
「すまないね」
机の上に肘をついて、静かに目をつむる。その姿は、娘との接し方に苦悩する、不器用な父親のそれでしかなく。
宮野の言葉から感じた印象とは、どこかズレている。
そんなものだろう。
一緒に暮らしていたって、血が繋がっていたって、お互いを正確に理解し合うことなんてできない。
第三者にしか見せられない顔だってある。身内には見せられない、見せるわけにはいかない、弱みが。
家族って難しいよなと思う。他人事のように。
◇
居間に戻って、宮野に「GO」と短く伝え、トムお兄ちゃん復活。
弟くんは任せとけって。俺の精神年齢はおおよそ五歳。仲良く遊ぶにはちょうどいい。
宮野は渋々といった表情で部屋を出ていった。
いやしかし、小さい子供と遊ぶのってなんでこんな楽しいんだろうな。
これはあれか。育てる大変さを知らないからか。絶対そうだ。人間ってそんなもんですよね。てへっ。
ボール遊びに飽きたのか、直輝くんがぽてぽて走ってきて俺の腕にダイブ。
すんすん匂いを嗅いだかと思ったら、顔を上げて、
「トム、パパ……」
姉の影響なのかなんなのか、怪しいことを言い出した。
……冷や汗が出てくるぜ。
「俺はパパじゃないよ?」
「パパっぽ」
「?」
「パパっぽ、パパっぽ!」
「??」
「パパっぽい。って言いたいのよね」
「宮野さん!? ……いつの間に」
背後を取られていた。たまらず声が裏返ってしまう。
友達の家のお母さんって、不思議と背筋が伸びてしまう。
「ふふっ。これでも若い頃はくノ一だったのよ」
「なるほど」
「ツッコまないのね」
「緊張すると笑いのセンスが滅亡します。ご了承ください」
「残念。トムくんは面白いって聞いていたから、楽しみにしていたのだけど」
「あはは……」
いちいちハードル上げんな宮野ォ!
お前には俺がなんかすげーやつに見えてるのかもしれないけどな、世間様からすれば並以下の一般成人男性だぞ。ぶち上げられたハードルを越えるほどの脚力はない。
誤魔化し笑いを続けていると、宮野母は声を潜めてすっと近づいてくる。
「聞いてもいいかしら」
「な、なにをでしょう」
「うちの子、どう?」
「どう、とは」
「けっこう可愛い顔してると思わない?」
「…………」
本日何度目かわからない沈黙。
ねえこれ、俺はなんて答えればいいんですか? シンプルな難問だろ。
「可愛い後輩だとは思います。でも、まあ、そんなもんです」
「なあんだ。やっぱり、彼氏ではないのね」
「彼氏だったらなおさらこれませんよ。女子高生たぶらかして、その親に会えるほど神経太くないです」
「いい冗談言えるじゃない」
「いやわりと本気なんですけど……」
戸惑う俺の肩を叩いて、宮野母はけらけら笑う。
「きっとトムくんは挨拶に行くわよ。賭けてもいい」
「賭けるって、なにをですか」
「娘」
「かるっ」
ちらっと横目で直輝くんを見ると、畳の上で眠っていた。
俺とお母さんが話している間に、退屈と疲れで限界が来たのだろう。
小さな体を膝の上で抱いて、宮野母は柔らかく笑んだ。
「この子、すっかり懐いちゃって」
その笑顔に。
腕の中で眠る、少年の穏やかさに。
わからなくなる。
いったいなにをもって、どこで踏み違えて、宮野悠奈は苦しんでいるのか。
俺にはわからないとか、そういう投了ではなくて。もっと根本的に、なにかを誤解しているような。そんな。
答を求めるように、あるいはただ単に欲のままに。眠る少年の頬に手を伸ばす。
その時。
廊下から足音が聞こえた。音は怒りを隠そうともせず、そのまま玄関まで達し、ドアを不機嫌に開け、ぴしゃりと閉めた。
ほとんど条件反射でため息が出て、次の瞬間には立ち上がろうとする膝。
「トムくん」
「はい」
「よろしくお願いします」
小さく会釈して了承。
わからないけれど、両親はきっと限界を感じている。だからわざわざ、部外者を家に招いているのだ。
自分たちでできるなら、自分たちでやっている。それができないから、俺なのだ。
俺がそんなすごい人間かっていうと、違うけどさ。
「どこに行きそうとか、ありますか?」