6話 鍛え抜いたコミュ力ってやつ
突如現れたでっかいお兄ちゃんがさぞ気に入ったらしく、直輝くんは昼食後も俺の周りにいた。今はピンク色のゴムボールを、お互いの間でころころ転がしている。
「トム先輩は年下に強いな」
「言い方」
それだと俺、いたいけな女子高生を毒牙にかける大学生みたいじゃん。
「そういえば、水希さんも誕生日から考えれば年下だな」
「なにか気がついたみたいな顔すんな!」
どんな暴論だよ。
「んなこと言ってる暇あったら、宮野も混ざれよ」
「いや、ボクは……」
「ほれボール」
直輝くんから受け取ったのを横流しすると、戸惑いながらもキャッチ。
畳の上。少し離れたところで膝立ちする少年が、
「んっ。んっ」
とパスを要求している。
「ほ、ほら」
両手で丁寧に、おそるおそる転がす。手元にきたボールを、直輝くんが全身で覆い被さるようにキャッチ。こっちを向いて、にぱっと笑顔。取れたアピール。
いや子供かわよ。
Q.これが成長するとどうなるんですか?
A.個人差ありますが、昔は俺もこうでした。
絶望だよね。
まあでも、可愛いものを見て可愛いと思うのは、俺が成長したからだ。手放したから、尊べるものもある。と思う。そういう類いの自己憐憫。
不器用な姉弟のキャッチボールを見ながら、俺もときどき参加する。
ゆっくりフェードアウトしていったのは、遠くからエンジン音が聞こえたからだ。
胃がキリキリするのを隠しつつ、背筋を伸ばしてそのときを待つ。
ああやばい。断頭台に立たされた罪人の気分だ。罪状? ありすぎて今更思いつかないよ。
感覚を研ぎ澄ませれば、玄関ドアの音最初の一拍で体が動く。
「ただいま。ん………………」
宮野父の帰還である。
おそらく、沈黙は俺の靴を見ての反応。良かった。向こうも気まずいらしい。
一体なにが良かったかは別として。
宮野は立ち上がり、その後ろを俺もついていく。
襖を開け、廊下に出るとちょうど目の前にいる。
「戻った。こちらがトム先輩だ」
「お、お邪魔してます……」
「ああ。話は聞いているよ…………」
大学二年生と社長さん。絶望の沈黙。
どうすればいいんだこれ。高い高いしてもらえばいいのかってバカ。
「では、後は父さんとトム先輩で」
「ちょぉぉっと待てえ!」
しれっと去ろうとする宮野の前に立ちはだかる。
「逆だろ逆。話があるのは、俺じゃなくてお前だろ」
「だが……」
「いや、トム先輩くん。君と話してもいいかな」
口ごもってしまう宮野と、その後ろから俺を指名する彼女の父親。
その時の俺は一体、どんな顔をしていただろう。おそらく、人生でも五指に入るくらいしっちゃかめっちゃかな顔だったと思う。
「…………わかりました」
どうにか同意を示し、後で後輩をちゃんと叱ることも心に決めた。
◇
さて、ここで想像力の問題です。
かたや大きな和菓子屋の社長。
かたやゲームのアイドル相手にパーフェクトコミュニケーションを叩き出す敏腕プロデューサー。
形は違えど、コミュニケーションというものに精通した二人が揃うとどうなるか。
「…………」
「…………」
空気が死にます。
「…………あの」
「…………なんだね」
「…………いや、なんでもないです」
「…………そうか」
宮野父の自室とおぼしき場所で、俺たちは向かい合っていた。座布団の上。お互いに正座を崩さず、卓上の湯飲みから立つ湯気は次第に弱まっていく。
「…………君は」
「…………はい」
「…………いや、なんでもない」
「…………はい」
なにこの空気。
一般陰キャ大学生として、それなりの修羅場をくぐってきたつもりだけど、こんなの初めてだ。
俺のことを冷たく睨む女子も、笑いものにしようとする男もいない。あるのはただ、お互いに一歩も動き出せぬ状況。まさに地雷原。
人のことを言えた立場じゃないが、彼もかなり不器用らしい。不器用ミーツ不器用。需要ってどこかにあります?
諦めてただ姿勢を正し、事態が動くのを待つ。チキったとか言うな。覚悟を決めたんだ。待つことだって勇気がいる。
長い膠着の末に、宮野の父が発した言葉は短かった。
「娘は、君に迷惑をかけていないだろうか」
やはり親子だからか。たどり着くところは同じだった。
だから、答はもう持っている。
「後輩から頼られるのなんて、誇りでしかないですよ」
肩をすくめて冗談めかさないと、少し恥ずかしいけどさ。