5話 トムお兄ちゃん
電車を降りてから宮野家にたどり着くまでのことは、割愛させていただく。
なぜって?
田舎のロータリーに不似合いな黒塗りの高級車と、スーツに身を包んだドライバーに運ばれるのが怖くて、俺の魂が浮遊していたからです。
口から半分ほど零れていた戸村ソウルは、降りた先で現れた日本家屋を前にしてやっと体内へ帰還した。
「ようこそ、ボクの実家へ」
「で、でかっ!」
さすが創業百年を超える老舗和菓子屋というかなんというか。閉店しかけたとは思えないほど、立派な門に庭園、清潔な平屋建て。
庭に植えられた樹木は、枝を一本でも折れば多額の賠償を請求されそうなほど立派だ。
ドライバーさんは車を戻しに行って戻ってこない。家の中までついてくる気はないのだろう。
「ちゃんと親御さんには俺のこと言ってあるんだよな」
「ああ。気の置けない友人が同行すると伝えてある」
「男ってことは?」
「問題ない。トム先輩については、日頃から母に伝えている。母も会ってみたいと言っていた」
「ハードル爆上がりかよ」
変な勘違いをされていないといいけどなぁ。それも無理な話か。誤解を解くところから、丁寧にやっていきますかね。
頭一つぶん背の低い少女の後ろを歩き、玄関の前に立つ。横にスライドする扉。宮野が手を掛け、開く。
「ただいま」
「お、おじゃまします……」
恐る恐る中に入ると、どったったとリズムを刻んで足音が近づいてくる。
ぱっと現れたその主は、小さな小さな男の子だった。
「おねーちゃん! ――と、ふしんしゃ!」
「こら直輝。トム先輩は不審だが不審者じゃない」
「ねえ宮野、ちっともフォローになってないよ?」
むしろ傷を抉ったまである。
「と、と、と……むぅ?」
「そう。トムだ」
「違うんだけどなぁ」
自信満々に教えてるそれ、実は俺の名前じゃないんですよ。知ってましたか?
まあいいや。この際なんでも。
直輝くんはにぱっと笑って、俺のことを指さしてくる。
「とむ。とむ!」
「よろしく」
伸ばされた人差し指にこっちの人差し指を合わせてET。圧倒的ジェネレーションギャップ。俺の世代ですらない。
そんな感じで異文化交流に花を咲かせていると、奥の方から静かな足音。
「悠奈、帰ったの?」
隣にいる少女とよく似た、しかし決定的に落ち着いた声が届く。
「戻ったよ。トム先輩も一緒だ」
「まあ。今行くわね」
料理中だったのだろうか。エプロンを着けたまま、宮野のお母さんは現れた。
「突然すみません。悠奈さんとは仲良くさせていただいてます」
「あなたがトムくんね」
「あ、はい」
呼ばれ方については、もう諦めることにした。郷に入っては郷に従えってやつだ。
「会えて嬉しいわ。さ、上がって上がって」
娘のようなクール系を想像していたが、髪は長く穏やかそうで、笑顔の柔らかい人だった。眼鏡をしていないのも、二人の外見的な違いに影響しているのだろうか。
ところどころ重なる部分はあれど、雰囲気はあまり似ていないなと思う。
靴を脱いで上がる。板でできた廊下は、体重でしなやかにたわむ。定期的に張り替えているのだろう。古い感じはしなかった。
「二人とも、お昼は食べた?」
「いや、そのまま来たから食べてないよ。ありがとう母さん」
「トムくんも、おうどんでいいかしら」
「はい。ありがとうございます」
ありがたい10。申し訳ない100。そんな感じの精神状態です。
でもこういう時って、ご厚意を無碍にするのもよくないし。ありがたく受け取っておくのが吉って誰かが言ってた気がする。
「それじゃ、食堂で待ってて。すぐに準備するわ」
再び台所に戻る宮野母。見送って、移動しようとすると足を掴まれた。
いつものように視線を動かしても、誰もいない。
「とむ……」
ぎゅっとズボンの裾を握っていたのは、直輝くんだった。もう片方の手は口の中にインしている。
「…………」
「…………」
二歳児と大学二年生。刹那の沈黙。
「たかいたかーい。して」
「よしきた!」
ちっちゃい子供に触りたい欲と、高いところに持ち上げられたい欲。需要と供給のマッチングが成立した瞬間だった。
トムお兄ちゃん、爆誕。




