1話 プロジェクトO
ゴールデンウィークが終わった穂村荘では、早くも次のイベントが発生していた。
「大丈夫か柚子くん。もしなにかあったら、ボクはすぐにでも駆けつけるからね」
「美味しいもの、いっぱい食べてくるんだよ。感想も聞かせてね」
「勉強のことは一回忘れていいから、楽しんでおいで」
「……あんたたち、どんだけ心配してるのよ。柚子ももう中学生なんだから、大丈夫よ」
「「「でも!」」」
朝っぱらから玄関に集まった俺たちは、大きな荷物を抱えた七瀬さんを取り囲んでいた。
俺と宮野、古河の三人はとにかく心配で、その騒ぎを聞いてマヤさんも下りてきた。という形だ。
「大丈夫ですよ。みんな心配しすぎです。そろそろ時間なので行きますね」
七瀬さんが照れくさそうに笑って、小さく手を上げる。
「いってきます」
「「「「いってらっしゃい」」」」
声を揃えて見送って。そして。
七瀬さんの修学旅行が始まった。
「全員集合」
組織のトップのような厳つい表情で、宮野が片手を挙げる。
「なによなに。真広まで早起きしちゃって」
「七瀬さんが心配で寝れなかったです俺」
「ちゃんと言葉にされると気持ち悪いものがあるわね。黙っていいわよ」
「イェスマム」
大人しく口にチャックしてリビングに入る。先に入った宮野は全員分のコップに牛乳を注いでいる。
古河が座り、俺とマヤさんも腰掛ける。いつもの配置だが、隣に七瀬さんはいない。
中心に掛けたマヤさんが腕組みして、俺たち三人を見渡す。
「それで、揃ってなにか企んでるわけ?」
「企んでるよ。もちろん」
「マヤさんも巻き込まれてくれないだろうか」
自信ありげに答えたのが古河で、不穏な言い方をするのが宮野。言いつけ通り黙ってこくこく頷いているのが俺。
宮野と古河の提案によって密かに発足したプロジェクトO。
始まりは先週の夜、七瀬さんのついた小さなため息だった――
◇
夜の勉強会が終わって、なんとなくリビングで座っていたときのことだった。
温かいお茶を飲みながら、髪を解いた七瀬さんは視線を落としていた。
「…………はぁ」
たぶん、ほとんど無意識のため息だったのだろう。俺と、たまたま近くにいた宮野に聞こえたとわかると、慌てたように手を振った。
「な、なんでもないですよ」
「なにかあったのだな。ボクでよければ生け贄になろう」
「重いよお前。もっと自分のこと大事にして」
「……いえ、あの、本当になんでもないんですけど」
「けど?」
さらにずいっと近づいてくる宮野。彼女も湯上がりらしく、さっぱりしたジャージ姿だ。
風呂上がりのJKとJCを同時に視界に収めるの、慣れるとは思わなかったなぁ。
今じゃわりと平静を保っていられるけど、最初の頃は通報されるんじゃないかとドキドキしたもんだ。
俺の出る幕ではなさそうだし、黙って二人を眺めているとしよう。うん。口には出せないけど、日々のストレスが緩和されていく。
しかし宮野はやはり宮野というか。俺なら引き下がる場面でも引かない。どっちが正しいと言うつもりはないが、こうして違いを見ると不思議な気分になる。
三人だと数が多いし、ここは二人にしたほうがいいかね。
「…………」
「ボクは席を外そうか?」
と思ったら、引くのかよ宮野。ねえ、君ってそういうスタンスだっけ? 戸村リスペクトなの?
戸村真広の流儀その五。自分じゃなくてもできることは、やらない。
はいこれ、社会のみんながやったら文明が滅びます。絶対に真似しないように。
「大丈夫です。……相談、じゃないですけど。ちょっとお話してもいいですか?」
「宮野、追加のお茶。俺はお菓子準備する」
「御意」
了解の言葉すら必要ない。
女の子の悩みならなんでも聞いちゃう戸村くん(最低)と、女の子のことハーレムにしたい宮野(最低)による黄金コンビなのだから。二人で日曜のゴールデンタイム張ろうな。
迅速な会場設営によって、七瀬さんが最大限リラックスできる環境を整える。今日のお菓子は煎餅です。
お茶をつぎ直したコップを持って、七瀬さんが切り出す。
「修学旅行があるんです」
前々から聞いていたことだったので、驚きはしない。五月の中旬から六月にかけて、修学旅行を行う中学校は多い。
「それで私、ちゃんと楽しめるのかなって。不安になっちゃって」
力なく笑って、七瀬さんは首を横に振った。
「それだけなんです。でも、大丈夫ですよね。杞憂だと思います。あ、先輩、杞憂ってこうやって使うんですね」
「使い方としては満点だけど……本当にいいの?」
「どうしようもないですから」
「…………」
行きたいという気持ちはあるのだろう。だから、不安でも行くしかない。行って確かめて、乗り越えるしかない。
ならば俺から言えることはなにもなく。
「じゃあ、楽しめるように今週は歴史の勉強を増やそうか。奈良と京都、平城京とかいろいろあるからね」
「はい。お願いします」
宮野はそのやり取りに、一言も口を挟まなかった。
ずっとなにかを考えているようで、その後の会話には参加したもののどこか上の空で。
それから、二日後。
◇
「プロジェクトOだ! トム先輩!」
「おーだよ、戸村くん!」
なんか増えた……?
宮野の隣で拳をグーに握る女子大生。いったいなにを吹き込まれた。食か。またお前は食で動かされたのか。
「わかるように説明して」
眉間を揉みながら訴えると、頷いて古河が前に出た。いや、宮野じゃないのかよ。
「要するに戸村くん。これはソーキそばなんだよ」
「…………」
出会った頃は宇宙を感じていた古河語にも、最近は頑張ってついていけるようになった。
ソーキそば。沖縄の料理である。
ふむ。なるほど。
そしてさっき宮野が言ったプロジェクトO。
修学旅行に不安がっていた七瀬さん。
……なんでだろう。なんでこんな雑な説明でわかっちゃうんだろう、俺。なんか嫌だな。
っていうかこいつら、
「――沖縄行こう。ってことじゃ……ああ、はい。なるほどね」
返されたのは満面の笑み二つ。
口元が引きつって、変な笑いが出た。
七瀬さんが修学旅行を楽しめたとしても、それは普通の人よりずっと僅かなものになるのだろう。彼女はまだ、友達作りに苦労しているのだ。悲しい思いをするかもしれないし、既にしているかもしれない。班決めは残酷なイベントだ。
ならば。
より楽しいイベントで、塗り替えてしまおう。
こうして、プロジェクトOは発足した。




