7話 レベルアップ
帰る頃にはすっかり日も暮れて、住宅街には一家団欒の明かりが灯る。
「今日は来てくれてありがとう。……トム先輩には、楽しんでいただけただろうか」
「もちろん。また行こうな」
「ああ!」
自分が中高生のときは、先輩ってのはもっと遠いものだった。敬語が絶対、言うことは聞く、反抗しない。
だけど今、後輩をもって思う。
たった一年、二年、三年。あるいは五年の差に、どれほどの違いがあるのだと。
もちろん長く生きている方が多くのことを知っている。だけどそれは、威張るためじゃない。
なぜ先輩は先輩と呼ばれ、後輩と関わるのか。
自分が得たものを、次の誰かに渡すためだ。
自分が失ったものを、忘れないようにするためだ。
「それと、さっきの件だが……」
穂村荘に着く直前。宮野は少し躊躇いがちに視線を彷徨わせる。
「わかってる。その時が来たら、だろ」
「うむ。また隠すようで申し訳ない」
「いいよ。適切なタイミングってのはある」
結局、彼女についての話はまだ聞いていない。
話すという方向には決めてくれたようだから、それ以上はなにも言うまい。
俺と宮野の関係は、少しずつ前に進んでいる。たぶん、いい方向へ。
友達のことを知らないでいるのは悲しい、か。
結局俺は、古河のことを見本にして歩いているだけかもしれない。ふざけてママなんて呼んではいるが、案外その通り……って、キモいな。やめよう。
玄関ドアを開けると、三人ぶんの足音。
リビングからマヤさんが顔を出し、にんまり笑って、
「おかえりなさい。けっこう遅かったのね」
二階からすたすた降りてきて、七瀬さんがなにやら意味ありげに、
「おかえりなさい。楽しかったみたいでなによりです」
料理の音と一緒に、少し遠くから古河が、
「おかえり~。手洗いうがいしてね~」
と完全にママ発言。
うん。やっぱあいつママだわ。
◇
明日も予定があるからさっさと寝やがれと言われたので、大人しく十二時に就寝。
具体的には、
「先輩はもっと早い時間に寝ないとダメです。背が伸びなくなりますよ」
「もう止まって久しいんだけど」
「トム先輩、早寝早起きは長期休暇の宿題の一つだぞ」
「俺は小学生か?」
「戸村くんって、寝てるときが一番輝いてるよね!」
「見られてんの? 俺の寝顔は著作権フリー?」
「真広。寝なさい」
「……うっす」
とまあ、四方向から睡眠を強要されたのである。こうなってしまっては断れない。部屋の電気が点いていたらバレるし、ゲームやってても音が不安だし。イヤホンをつけてまでやろうという根性はない。
やりたかったら、寝て起きてやればいい。
暗い天井をぼんやり見上げて、睡魔がやってくるのを待つ。
……なんか、充実してんなぁ。
求めていたときには遠のき、手放してから満たされる。
意外とそんなものなのかもしれない。空きがなければ、バケツだって水を汲めないように。
◇
いつもより早めに寝た日は、そのぶんだけ早く起きる――かというと実はそんなことはない。
目が覚める時間は確かに早い。午前七時に意識が覚醒し、伸ばした手でスマホを手に取る。そこからが問題だ。
俺みたいなタイプになると、「早起きした。ラッキー、有意義な一日にするぞ」とはならない。「早起きしたから、まだベッドでだらだらできるな」とネットサーフィンを開始するのがオチである。
実際に起床したのは午前八時。まあ、早いほうだろう。
服を着替えて一階に下り、歯を磨いて寝癖を直す。起きてから時間が経っているおかげか、いつもよりシャキッとしている。気がする。たぶん!
気合い十分。言われたとおりに早起きした姿を見せてやろうと意気込んで、リビングに突撃。
「おはようございまーす」
静寂。
薄暗い室内。
誰もいなかった。
「…………」
うん。
なにもなかった。
俺はなにも言ってないよ?
虚空に向かって挨拶したやべー人なんてどこにもいなかった。
やれやれ。さすがに八時起きはやりすぎたか。少々力を解放しすぎてしまったみたいだな。やはり俺は無限の可能性を秘めた最強主人公。力の取り扱いには注意しなければ。(※八時に起きただけ)
キッチンへ行って給湯器でコーヒーを作る。
さてどうしたもんか。古河がいないと朝ご飯が食べられない。
……我ながら酷い依存の仕方だ。実家の母親にだってここまでは依存してなかったぞ。朝は勝手に自分でやって食べていたし、なんなら作っていたときもあったのに。
ここは一つ、俺も料理というのを練習してみようか。食べることが可能な物体。ではなくて、美味しい料理ってやつを。
さて。それじゃあまずは、この暗い部屋に明かりを入れよう。
閉じたカーテンに近づいて、勢いよく開ける。
飛び込んでくる陽光。正面に広がるのは、穂村荘にある広めの庭。
そこに四人、見覚えのある人がいた。
なにかの準備をしているらしく、先日作ったバーベキュースペースに椅子を並べたり、炭にチャッカマンを近づけたりしていた。
「…………」
窓を開けると、気がつかれる。
「あ、た、大変です! 先輩起きました!」
「戸村くんが起きた!」
「トム先輩が!?」
「パターン青ね」
俺は使徒じゃねえ。
心の中でツッコんでから、首を傾げる。
「なんかまずかったですかね」
女性陣で目配せすると、代表してマヤさんが前に出てくる。
「真広。早く起きろとは言ったけど、こんなに早起きしろとは言ってないわ」
「理不尽か?」
「強いファイターが来てほしいとは願ったけど、腕が伸びるファイターは求めていなかったのよ」
「なんの話ですかそれ……」
薄々わかるけど、やめよう。なにも考えるまい。
「まあいいわ。外来なさい。三人とも、予定より早いけど、やるわよ」
「あ、はい。今行きます」
早足で玄関まで行き、靴を履いて外に出る。
庭に行くと四人は作業の手を止めて並んでいた。
七瀬さんが小走りで近づいてきて、「これ着けてください」と、三角の帽子と肩掛けを渡してくる。「ん、お、おう」と詰まりながら返事をして装着。
肩掛けには『今日の主役』と書かれていた。
ツインテールの少女は装着した俺を見上げて、小さく唇を尖らせる。
「実は私、ちょっと怒ってるんですよ?」
「……すいませんでした」
「なにに怒ってるか、ちゃんとわかってますか?」
「いえ全然」
「とりあえずで謝っちゃだめです」
女子中学生からの説教が一番効く今日この頃。いやけっこうリアルに凹むんだよこれ。
とりあえず精神を回復しようとしたが、追い打ちのように宮野が口を開く。
「そうだな。トム先輩は水臭いぞ」
次いで古河が軽いトーンで、
「マヤちゃんが教えてくれなかったら、流れちゃってたもんね」
視線の先で頷くマヤさん。
「真広がみんなのことを大事に思うように、みんなも真広のことを大事に思ってるのよ。わかったら反省して、ちゃんと祝われなさい」
「…………はい」
なにについてかは、もう理解していた。怒られている理由も。
怖かったのだ。
こういうイベントは、自分が相手にどう思われているのかが晒されるみたいで。嫌われていないとわかっていても、どこかで不安な自分がいて。
ため息をついて、首を横に振り、顔を上げる。
「俺、今日。二十歳になりました」
五月一日。それが俺の誕生日。
その言葉に彼女たちは顔を合わせ、笑って声を揃える。
『レベルアップおめでとう』
言い慣れていないし、聞き慣れてもいない。恥ずかしくなるくらい格好悪いし、実際には意味だって違うのだろう。
けれど。
だとしても。
それは紛れもなく、俺に向けられた言葉だった。




