6話 興味がない
長谷伸也から約半年ぶりの接触を受けたのは、二限終わり。昼休みの時間だった。
大学には、昼休みという明確な時間は存在しないが、一時間程度の空白がある。その始まりに捕まってしまったのは、酷い誤算だった。
「久しぶりだな、戸村」
講義室から出る途中に呼びかけられたので、廊下に出て立ち止まる。
「なに?」
「一緒に昼飯食おうぜ」
「…………おう」
長谷は一言で言ってしまえば、普通のやつだった。普通に人に話しかけて、普通に人と仲良くして、普通に大学生をやっている。
無個性というのではなく、欠けていないという意味で普通だった。
特に抵抗することもなく、食堂まで一緒に行く。男と行動するのはどれくらいぶりだろう。そういえば最近、俺の人生は桃色天国と化していたな。
男との話題ってどんなのだっけか。下ネタ? やっぱり下ですか。それは女子とはできないもんな。他は……なんだっけ。
下ネタ以外なら別に、オタトークも飯の話も勉強関連も社会の闇も足りている。
真っ昼間から外で下品なワードを連発するわけにもいかず、表面を取り繕うような話題ばかり。さっきの講義がどうとか、二年生は大変だとか。
長谷が話すのに合わせて、赤べこのように相づちを打つ俺。
ん、あ、そうだな、へえ、ふうん。このあたりのワードを巧みに使いこなす。
人との会話って、こんなに空虚だっけか。それとも、彼女たちが濃すぎるのか。
圧倒的に後者のような気がする。
まあ、でも。
「で、本題はなんだ」
向かい合って座ったところで、切り出す。
会話に中身がないのは当然だ。理由のない関係性からは、本質的になにも生まれない。そういう無駄は好きじゃない。
「どうせあるんだろ。なんか、理由が」
「いや、……俺は別に」
明らかに目を泳がせる長谷。面倒になって、露骨にため息をつく。
「さっさと言え。面倒くさいから」
「……戸村さ、古河さんと仲良いだろ?」
「まあ、それなりに。狙ってんのかよ」
「うっ」
そういうことらしい。ふうん。ぐらいにしか思わなかった。
こいつの嫌いな食べ物……なんかあったっけ。思い出せないや。
「狙ってるっていうか、この間紹介されたっていうか」
「…………」
理解。
トマト嫌いはお前だったのか。
「で?」
古河は脈なしだったけど、こっちはありありなわけか。はー。これだから見た目のいい天然女子は。
俺だから落ちてないだけで、あんなん普通の男だったら秒で惚れるからな? 特にいろいろハッスル全開の大学生。古河の笑顔見たら「これはいけそう!」って思っちゃうから。そんなことないから。あいつ、笑ってるのデフォルトだから。
「それとなく好みの男とか、行きたい場所を教えてほしいってか」
「美食家と一緒に一流ホテルの食べ放題とか好きそうだけど」
目キラッキラ輝かせてついてきそう。今度誘ってみようかな。宝くじ五億円くらい当たったらネ。
「大学生に実現できるやつで頼む」
「古河、お前のこと興味ないって言ってたぞ」
「え……」
口をぱっくり開ける長谷。
「な、なんで?」
「トマト嫌いだから」
「そ、それだけ……?」
「お前にとってはそれだけでも、あいつにとっては十分な理由だ」
食堂の隅っこで買ったパンを放り込んで、席を立つ。
「以上。もういいだろ」
「ちょっ――待てよ戸村」
「なに」
「お前さ、……やっぱり、怒ってるのか?」
「怒る? なにを?」
即答すると、長谷は言葉に詰まった。求めていた答を得られなかったような、戸惑い。そして困ったときによくする半笑い。
「ほら、あのグループのことだよ。……なんつーか、けっこう戸村のこと蔑ろにしたっつーか」
「いや別に。怒るほど興味ないし」
けろっと告げる。
そうなのだ。俺は別に、こいつらのことを怒っているわけじゃない。そんな感情はもう、どこかへ消えてしまった。
「最初はあった気がするけど、ま、俺も悪かったしな。いまさら追及してもしゃーないだろ」
大人になろうぜってことなのかもしれない。
あるいは、大人っぽく振る舞おうぜみたいな。
「だから忘れようぜ。罪悪感とか、重いし。早いとこ忘れてくれ」
ダメだったものはダメ。腐った食べ物をゴミ箱に捨てるように。遊び終わったおもちゃを粗大ゴミに出すように。色褪せた写真を、そっとアルバムから取り出すように。
背を向けて歩きだした。
なんてつまらない日常だ。なんてつまらない結末だ。
笑えねえ笑えねえ。
だから俺は、笑ってみる。
「さあて、今日の晩飯はなにかね、っと」
足取りは軽い。心も軽い。
だけどのこの軽さが、なにも持たない空虚さと引き換えであることを、俺は知っていた。