4話 古河水希の最低条件
二人が作ってくれたチャーハンは美味しかった。俺じゃあ絶対に作れないし、スーパーの冷凍食品レベルも超えている。
だというのに、なぜだろう。
なにかが足りないような気がしてしまうのだ。それはきっと、調味料一つで埋まるような僅かな差。だが、三人とも感じ取ってしまうほどの差だ。
これは……あれだな。
万が一にでも古河に彼氏ができたら困るやつだ。一度美味いものを知ってしまうと、昔には戻れない。
「うん」
「ですね」
「うむ」
言葉には出さず、しかし全員が同じように頷く。この連帯感、必要に迫られてる感じがするな。
「たぶん大丈夫だとは思うけど、もし今日いい感じになったら……どうしようか」
なぜこの間の俺は古河の背中を押してしまったんだろう。
こんな味覚にされていると気がついていたら、「宮野さんがいるじゃないか!」とか言って引き留めていたのに。
「こうなったらトム先輩を生け贄に捧げて――」
「そんなのダメです!」
「じょ、冗談だよ。あはは」
七瀬さんからのお怒りに戸惑いつつ、視線はがっつり俺に向けてくる。おいお前。お前なんとかしろよお前。みたいな意志をビシバシ感じます。
まあでも、仮に古河に彼氏ができたら。まず真っ先に関係を変えるべきは俺だろう。
高校生と中学生の二人とは違って、彼女は大学生だ。同じ年代の二人が一つ屋根の下。普通の人からすれば、いつ間違いが起こってもおかしくはない。
たとえ本人たちに、その意志がないとしても。
俺か、古河か。どちらかがここから去ることになるだろう。
そしてそのときが来たら、俺は迷うことなく――
「たっだいまー。あれ? なんで三人で集まってるの?」
話し合いに集中しすぎて、本人が入ってくるまで気がつかなかった。
「み、水希さん。その、お帰りなさい」
「あ、……お帰りなさいです」
「うんうん。ただいま。ところで、このいい匂いはなんだ!」
軽快な足取りでダイニングを越えて、キッチンに入っていく。さすがはクッキングマスター。なにがあろうとスタンスがブレない。
「七瀬さんと宮野さんが作ってくれたんだよ」
「へえ。戸村くんは?」
「その様子を見守ってた」
なにもしなくても、オブラートに包めばほら。保護者としての責任を負って、そこそこ苦労した感が出てくる。出てきてないか?
「いいなぁ。私も二人の料理食べたかった」
「水希さんは食べてきたのだろう?」
「別腹だよ」
なにあの子頼もしすぎる。甘い物じゃなくても特殊スキルが発動されるとか、半ばフードファイターじゃん。
念のため言っておくが、古河はちっとも太っていない。あれだけ食べることが好きで、綺麗な体型を維持しているのだからすごいと思う。
「だが……水希さんのようにはいかなくてな」
「そうなの?」
宮野さんは苦笑い。味付けの大半は彼女がしたらしい。
「というか、その、殿方とはどうだったのだ?」
「あ~…………」
その話題を振られた瞬間に、視線をふらふらさせる古河。
――え? なにその反応。
「どうだったんですか!」
前のめりになる七瀬さん。宮野さんも驚くべき速度で瞬きしている。
やっぱり女子って恋バナが好きなのかね。さて、じゃあお茶淹れるから真広おじさんにも聞かせてごらん?
昼ご飯の片付けをして(洗い物は俺がやりました)、ダイニングのテーブルに集合。
なによなによと入ってきたマヤさんも合流。
「ええっと、別にそんな大したことはなかったよ?」
その中心で困った顔をしている古河。そういう表情は珍しい。いつもはけろっとしているのに。
そんなことを考えながら、飲み物を準備する。
「真広。コーヒーで砂糖は小さいスプーン二杯ね」
「トム先輩、ボクはルイボスで」
「戸村くん。ミルクティーちょうだい」
「…………ハイ」
お前ら注文揃えやがれ!
なんで全員が全員バラバラなの? 統一しないと俺が大変だなとか考えない? 考えないですよね! はい、解散!
「先輩。なにかしましょうか?」
「君は心のオアシスだ」
男女比1:4という異常空間において、ただ一人手伝おうとしてくれる。
七瀬さんしか勝たんよ。ここ、テストに出ます。
教え子さんの協力もあって、準備が整う。俺と七瀬さんはルイボスティー。
あらためて全員が碇パパみたいな手の組み方をして、古河を見つめる。
「「「「で?」」」」
「ええっと……ですね」
「「「「うん」」」」
「ランチをね。食べに行ったんだけど、そこのスープがトマトスープで……」
「ちょっと待った」
思わずストップをかけてしまった。
なに? と顔を上げる古河。
「食レポが始まるわけじゃないんだよな?」
「スープはすっごく美味しかったよ。気になる?」
「気になるけど、ごめん。とりあえず続けてくれ」
「そう。でね、そのスープに使われてるトマトが苦手だったらしくてね」
彼女の話すトーンはどこかふわふわしているので、聞いている側も緊張が抜けてくる。
そのままふわっと言葉を受け止めて、頭で考えて、少しして。
「ん?」
首を傾げる。
「え、うん。トマトが苦手だったのか。誰が?」
「紹介された人がね」
「あ、そうだったのか。それは残念だったな」
「うん。残念だったよ」
ふぅっと息をついて、ミルクティーを口にする古河。コップを置いて小さくため息。
「終わり?」
もしかしてそれが原因で上手くいかなかったんですか?
「うん。やっぱり、好き嫌いはしない人がいいかなぁって」
お相手の敗因、トマト嫌い。まじかよ。
それを聞いてぱたっと机に突っ伏す宮野さん。七瀬さんは苦笑い。
予想通り過ぎて予想外というか、なんというか。
「心配して損した」
宮野さんがぼそっと言った言葉が、俺たちのすべてを表現していた。
「水希。今日の晩ご飯なに?」
一人だけケロッとした様子のマヤさんが聞くと、我が家のシェフは満面の笑み。
「ハヤシライス!」
ま、トマトは必要よな。




