13話 不完全対人能力
その欠陥を自覚したのは、一人になってしばらくしてからのことだった。
アルバイトの最中、どうやっても笑えなくなった。個別指導ではいつも笑顔をキープしていたのに、ふとした瞬間に電源が落ちたように。口角が上がらず、どうにか持ち直そうとしてもできなかった。
心という部品が人間にあるなら、そこが停止してしまったような。そんな感覚だった。
辛うじて残った集中力で乗り切ったものの、それ以降ぽつぽつと似たようなことがあった。バイトは量を調節して誤魔化した。学校は人との関わりをほぼ完全に絶って気がつかれないようにした。
それでも。
道行く人の姿に、スーパーにいる家族連れに、休み時間の講義室に響く雑音に。
心が削られる。
許容値を超えると気力がなくなって、ダウンしないと回復しない。
たとえそれが、楽しさゆえの疲労だったとしても。
ベッドの上で転がって、天井を眺める。どれくらい眠っただろうか。まだ外は暗い。
身体を起こして、ベッドの縁に座る。
息を吸って吐いて、目をつむる。
普通には在れない。欠けたピースはどこかに置いてきたのか。それとも最初から持っていなかったのか。
どちらにせよ同じだ。今ないものは、ない。
上着を羽織って、部屋の外へ。玄関から家を出て、夜の街を歩く。
一人で歩いていると、少しずつ回復していくような気がする。肉体の疲労ではないのだ。すべては俺の感情に依存する。
コンビニに入って、ココアを買って。少し歩いてから家に戻った。
再び部屋に戻ろうとしたとき、手すりにレジ袋がかかっているのに気がつく。
行きは気がつかなかったのか。それとも、出ている間に誰かがかけたのか。
部屋に入ってから中を確認すると、チョコレート菓子が一袋。中にアーモンドが入っているやつだ。
それだけ。
いや、誰だよ。
好きなお菓子だけど、誰がくれたんだよ。
マヤさん? あり得る。
古河? ありそう。
七瀬さん? うん。十分ある。
宮野さん? かもしれないなぁ。
「ぜんっぜん特定できねえ……」
せめて誰かだけは残してくれよ。メモみたいな。〇〇からです。みたいな。
じゃないとお礼が言えないじゃん。礼はいらんって? そうもいかんだろ。
「ううむ」
腕組みして唸ってみても、ひらめきはやってこない。後で聞くしかないみたいだ。
ゲーム機をセットし直して、画面をつける。せっかくだし、チョコレートを食べながら途中のRPGを進める。
章終わりのボス戦。
「やべ……死ぬ」
パーティーのヒーラーが倒れた。アイテムで復活させて、その間にもう一人のHPが0になる。蘇生魔法で復活させて、防御強化の呪文でバフをかけてなんとか立て直す。
ボスの行動パターンを読んで、攻撃をしのぎ、チャンスに最大火力を叩き込む。
そんなことを二十分ほど続けて、やっとボスが倒れる。
「つよかったぁ」
強敵を倒した後は、達成感に浸りながらイベントを眺める。
そしてふと考えるのだ。
こういう疲れは、別になんともないのになと。
疲れたとはいえ身体は動くし、テンションも落ちきらない。
そんなことを考えたところで、なにか変わるわけでもないが。
◇
翌日。
大学から帰って来ると、またドアノブにレジ袋。
「…………」
中身を開けると、今度はビスケットが一箱。やはり誰からかはわからない。
ごんぎつねかよ。
まあでも、こうなってくると誰からかは想像がつく。
俺が軽くダウンして、一番気にするのは――
部屋の前まで行って、ドアをノック。向こう側から人の動く気配。
「はい。どなただ」
「オレ、オレオレ」
「抹茶オレを頼もう」
「返し方が斬新すぎてツッコミが追いつかない」
そこはオレオレ詐欺だろ。なんだよ抹茶オレって。
「その……なに用だ。トム先輩はしばらく休業なのだろう?」
「誰がいつそんな申請をした。寝れば治る。常識だ」
HPもMPも全回復……とは実際いかないが、十分に動けるレベルではある。何日も寝込んでいたら、それこそ深刻だ。
俺はまだ深刻じゃない。
「もういいのか? 本当に」
ゆっくりとドアが開いて、中からショートヘアが出てくる。眼鏡の奥から上目遣い。この美少年、やっぱり顔がいいな。
「本当だよ。大学もちゃんと行ってきた」
「偉いぞ!」
「どこ目線だよ」
「あ、すまない。なんかこう、つい」
「いいけどさ」
「トム先輩は不思議なんだ。あまり先輩という感じがしない」
「先輩として接してないからだろ。ありがたい言葉も、頼もしい背中もない」
「そういう意味ではなくてだな……」
宮野さんはゆっくりと言葉を探す。
しばらく待っていると、思いついたようにばっと顔を上げた。
「親戚のおじさんのようなのだ!」
「泣いていいかな」
「あっ、すまない。もう一回! もう一回だけ!」
「冗談だよ。別に嫌じゃない」
「ボクのおじさんになってくれるのか……?」
「なに言ってんだ君は」
パニクっているのか、発言がしっちゃかめっちゃかだ。
ため息をついて、それから小さく笑ってしまう。くだらなすぎて。
「な、なにを笑うか」
「なんでもない。――ははっ」
堪えきれない俺に、むすっとした少女。
「ぐぬぬっ。なぜだろう。バカにされている気がする」
「してないしてない。ところで、みんなとは仲良くやれそうか?」
「あ、ああ……まあ、そうだな。昨日はゼリーももらったくらいだし、その、なんというか……」
宮野さんは拳を握って、胸の前に添える。
きっと彼女はまだ迷走してる。だけど、確かな決意を持って生きている。
「この家を完全攻略するのは、時間の問題だ! ――と、思う」
なら、それでいいじゃないか。
そういう人間は嫌いじゃない。




