6話 サブストーリー
ラーメンは戦いだ。できるだけ熱いうちに、麺が伸びるより早く、次の客の迷惑にならないように迅速に平らげる。求められるのは上品さではない。一心不乱に食へ向き合う気持ちの良さだ。
独特な焦がし味噌のスープは薫りが強く、コクもあるが塩分はさほど感じない。柔らかいチャーシューは臼歯の間で容易に潰れ、肉汁となって胃に流れていく。
美味いと言う必要はない。虜にされて喰らう姿勢が、なにより明確に感想を表現する。ここはそういう場だと思う。だから嫌いじゃない。
◇
「はーっ、美味しかったー」
「もう俺は満足だ……満足だよ」
「戸村くんが遠い目をしているッ!」
「ははっ。空が青いなぁ」
ラーメンのスープは焦げ茶色で、快楽の果てへ俺を連れて行った。まだあの幸福感が残っていて、頭が回らない。
「君は本当に面白いリアクションをするよね」
「俺が?」
「うん。なんだかこっちまで楽しくなっちゃう」
「そうかな。別に、大げさってわけでもないだろ」
「大げさじゃないからだと思う。嘘がないって気がする」
「嘘、ねえ」
「微妙だったら、微妙な顔するでしょ」
「するけども」
周りの目を気にして表情筋をいじるのって、疲れるんだよな。昔は上手にやっていたけど、もうできないだろう。
それがいいことか、悪いことかはわからないけど。
「だけど俺、不味い物が嫌いってわけでもないんだよなぁ」
「?」
こてりと首を傾げる古河。明るい髪と輝く瞳が、光を浴びてきらっと光る。
「売店にたまにある新商品、知ってる? お菓子とかでさ、なんでこれを作った!? ってやつがあるんだけどさ。そういうの、めっちゃ好きなんだよな」
完熟トマト味のチョコレートとか、いわゆるネタ商品だ。スーパーには並んでいないようなものもあって、本当になんで開発したのか不思議になる。
「不味くても面白ければいいっていうか、……わりとゲームでもそうなんだけど。面白いとか、美味しいとか、そういうのは満足できる要因の一つでしかないのかな……みたいな」
「ほほぅ」
興味深そうに腕組みする少女。その目は、生徒の発表を聞く教授のようだ。この後「素人質問ですが」とか言い出すぞこれ。
っていうか、なにを言ってるんだ俺は。
「なんか変な話だったな。忘れてくれ」
「そんなことないよ。面白かったから」
「から?」
「今度やってみるね!」
「やってみないでね!?」
ほら。
◇
家に帰るという行為は、一人になるということと同義だった。だが、最近では違う。家には別の誰かがいて、一人になることも、ならないこともできる。
選択肢があるのは素晴らしいことだ。頭がワクワクを求める子供な俺は、ホテルのバイキングとかも好きだし。
本来なら中学校は始まっているらしいが、七瀬さんは転校がどうので少し遅れているらしい。大変そうだねと言ったら、「そりゃそうですよ。まったく、先輩は言うだけ言ってって感じですよね」と毒を吐かれた。でもちょっと笑ってたから、あれはもしかすると薬なのかもしれない。
毒と薬の違いは、時間が経たないとわからない。
時間が経てばわかる。結果は勝手に出るものだ。
貸したゲームの感想もしかり。
「トム先輩トム先輩トム先輩ぃぃいいいいい」
「なになに怖い怖い」
帰宅して、古河と別れたタイミングを狙ったように飛び出してきた美少年(女)。廊下を猛スピードで移動して、俺の部屋の前に来る。
「ぜ、全クリしたのか?」
「ああ。さっきエンドロールが終わったところだ。……まだ少し、感情の整理ができていない」
赤く腫れた目元を拭う。泣いたらしい。
「とにかく、今はこの感情を語りたいのだ! 話し相手になってはくれないだろうか!」
「お、おう」
「ではお邪魔する」
「入ってくんな!」
ではお邪魔するじゃねえんだよな。
しかもなんで不思議そうな顔してるんだよ。あれ、入れてくれないんですかじゃないんだよ。頭ん中どうなってんだ。
「話すなら下、リビング、共用スペース、おーけー?」
「NO」
「拒否権はねえ」
突撃してくるシャークヘッド宮野の頭を抑え、追い出す。部屋に鍵をして、階段を降りる。
……そういえばこの子、なんで俺のゲームやったんだっけ。完全に忘れてないか?
「リビングは……リビングは困るのだ……リビングだけは……ぐああっ」
「はいはい。大人しくしてくださいねえ」
やけに抵抗する宮野はリビングが嫌いな悪霊みたいだ。となれば俺はゴーストバスター。
まったく、なぜそんなに人の部屋に入りたがるのか。
「うぅっ――仕方がないか」
眼鏡をすっと持ち上げ、途端に背筋が伸びる。呻き声もピタリと止み、途端に爽やかオーラが解放される。
そこにさっきまでのフレンドリーさはない。代わりに、妙にとっつきづらい清廉をまとっている。
……やっぱりというか、なんというか。
古河や七瀬さんの前では、緊張しているのだろうなと思う。あとはマヤさんもか。
素で接してくるのは俺だけ……うむ、なにかのフラグを古に立てていただろうか。そんなバカな。この街には大学に通うために引っ越してきた身だ。幼馴染みイベントは地元でしか発生しない。
「さあ語らおうか。崇高なるケモ少女と世界の命運をかけた戦いの結末について」
「中学二年生の方ですか?」
「高校二年生になる」
「俺は大学二年生になるよ」
「なるほど。では、二年生仲間だな」
なんの話だこれ。
なんでもいいか。別に、面白ければそれでいい。
「飲み物、なにがいい?」
「トム先輩は下がっていてくれ。そこは後輩にして弟子たるボクの仕事だろう」
「弟子?」
「ああ。我が師匠」
「……なにをもってだよ」
答えるよりも先に、宮野さんはキッチンへ入っていく。ケトルでお湯を沸かし、棚からティーバッグを取り出す。
促されるままソファにかけていると、コップを二つ。湯気の立つ紅茶。
「上等なものではないが」
「いや、ありがとう。紅茶はけっこう好きなんだ」
この家の住人は、それぞれが茶葉なり飲み物を持っている。俺は日本茶とルイボスティー。七瀬さんはココアや、スティックタイプのミルクティー。マヤさんはシジミの味噌汁。古河はなんでもある。
「で、なぜ俺が師匠に?」
「トム先輩こそが、ボクの目指すべき姿だと思ったからだ」
「今すぐその考えを破棄しろ」
この世界にこれ以上俺が増えたら大変だ。全世界が君のレベルになったら終わりだ! って未来の猫型ロボットも言ってた。
「なぜだ?」
「ほら、……俺ってあんまりやる気とかがないっていうか。適当というか、……サークルも部活もやってないし、バイトもやめていよいよ社会との繋がりが希薄というか――って、なにが悲しくて懇々と自分の悪いところを説明しなきゃならんのだ」
途中で面倒になって切り上げる。
眼鏡の奥で、宮野さんはぱちくりと瞬き。そこにはほんの少しの切実さがあって、意図的に視線を逸らす。
「だが、水希さんや柚子ちゃん、マヤさんとも仲が良いではないか」
「みんな優しいからな。ありがたいことだよ。宮野さんもね」
「それは――トム先輩がそういう人だから。人が集まってくるのだろう?」
「いいや、違う。それは過大評価だ」
甘くない紅茶を舌の上で転がしながら、天井を見上げる。
「俺はなにもしてない。君が来てくれたから、今こうして話してるんだよ。アクションを起こしたのはそっちだ」
偉そうなことを言う権利はない。だから俺は、俺の意見を伝えるだけだ。
自分より年下の彼女たちが迷うなら、こういう考え方もあると示したい。せめてそれくらいはできる大人らしさは、持っていたい。
「RPG、どうだった?」
「え、あ、面白かった。すごく……面白かった」
「サブクエストはやったか?」
「やった。細部までストーリーが行き渡っていて、すごいと思ったよ。世界が生きているみたいだった」
「そうなんだよな。メインストーリーだけじゃ足りなくて、サブがあるから実感が湧くんだ。キャラが愛おしくなったり、世界を救いたくなったり。――でも、サブストーリーは自分から話しかけなきゃ始まらない」
「…………」
「古河たちに話しかけるのは、怖いか?」
左肘をそっと押さえて、少女は小さく頷いた。
そうしていると、好青年オーラは引っ込んで普通の女の子みたいだ。年相応で、傷つきやすそうな。
「……おかしな話だとは、ボクもわかっている。だが……」
彼女の一人称がボクの理由。
女性よりも俺のほうがずっと話しやすそうにしている理由。
今日まで生きてきた俺たちは、過去によって作られている。つまりこれは、彼女の過去の話だ。
「男のように育てられたのだ。ボクは」
 




