5話 ガラスのような
新学期の直前、俺と古河は大学生協の書店にいた。
二年次の教科書を揃えておこうという話になったのだ。どうせ同じ学部だし、二人でいけば買い忘れも防げる。
「おもっ……なんで大学の教科書って、ぜんぶ大きいんだろうね」
「ページ数を増やすことで一冊の単価を上げて利益を回収し、教授たちの研究費用にするためじゃね? 知らんけど」
「ぐぬぬ。このお金があれば、いったいどれだけお高い肉が食べられたか」
「なー。お高い肉のがいいよな」
「それかお高いお寿司ですよ。舌の上でとろっと溶けるサーモン!」
「うぁあああ飯テロやめろ。腹減ってくるだろ」
ちょうどお昼時で、学食には春休みにも関わらず人が溢れている。だが、古河が利用することはあまりないと言う。「お弁当作ったほうが安いからね」と言っていたし、やはりクオリティが満足できないらしい。
ま、俺は食べられればいいから満足なんですけどね。インスタントも冷凍食品も好きだし。
少し前を歩く明るい髪が、くるっとターンしてこっちを向く。あの家だと、古河の身長はけっこう高いほうだ。七瀬さんあたりに慣れていると、一瞬視線が胸の高さにいってしまう。極めて自然に調整して、顔を見る。
「どした」
「お昼食べてく?」
小首を傾げる古河は、グレーのニット帽にベージュのコート。ワインレッドのセーターを着ている。大人っぽい。いや、大人なんだけどさ。
「なに食べる?」
「うーん。せっかく戸村くんもいるから、ふふっ。特別なところいこうよ」
この特別を、なんか男女のじれじれした特別と思ってはいけない。単純に、シンプルに食べ物が特殊だというだけだ。
「わかった。じゃあ行こうか」
あれが食べたい! みたいな意見はないので、素直に従うことにした。彼女の行く場所なら、確実に美味いものはある。
何人かの目線を感じたけれど、気にするほどではなかった。
◇
いいか。女子が男子を連れて行く場所というのはな、オシャレなカフェでもスイーツバイキングでも、セクシーな雰囲気のバーでもない。
一年中行列の絶えない、人気ラーメン店だ。
「ぅっ……オデ、ハラヘッタ」
途方もない列に並ぶと待ち時間が永遠に感じられ、断食を強いられるモンスターみたいな声が出た。
「頑張って戸村くん。空腹は最高のスパイスだよ! 愛情より効果あるよ!」
「女の子がそういうこと言わない」
たとえば、本当にたとえばの話だけど、古河がいつか誰かと結婚したら、「この味は愛情じゃなくて企業努力だよ!」とか言いそう。
だからなんだって話なんですけどね。
「にしても、めちゃくちゃ混んでるな」
「ねー」
「やっぱり一人では来づらいもんなのか?」
「並ぶのはいいんだけど、変な男の人に声かけられちゃうから」
「うっわ。本当にいるんだそんな生き物。男なんて滅べばいいのにな」
「戸村くん戸村くん。君も男の子なんじゃよ」
「はっ――忘れていた」
こうやって冗談で済ませられるならいいけど、大学生の女子って大変そうだよなと思う。男たちは彼女ゲットのために野に放たれたハイエナ。特に理系では、男女比がバグっているからハイエナ共は我先にと獲物へ飛びかかる。
「まあ、君は絶対にナンパとかしないよねえ」
「誓ってないな。そんなことをするくらいなら、家帰って寝る」
「相変わらず、恋愛には興味ないんだね」
「それを古河が言うか?」
「へへっ。私は変わってるらしいからねえ」
――誰にも理解されないんだよ。
小さな音で、聞き返しそうになる。だが、古河はコートに顔を埋めじぃっと遠くを見つめていた。横顔は少しだけ寂しげで、ガラスみたいな感情が指に引っかかりそうになる。
誰もが、なにかを抱えている。
だけどそれを、わざわざ晒す必要もない。別の話題を取り出す。
「宮野さん、誘えばご飯一緒に食べてくれそうだけど」
「そうなの?」
「少なくとも、避けてるとかではない……と思うんだよなぁ」
ハーレムだとかいう戯れ言は放っておくとして。
「戸村くんは誰とでも仲良くなれるね」
「んなこたないさ……」
仲良くなって、嫌いになって嫌われて。そういう経験は、何度もある。だからきっと、彼女の評価は正しくない。
「悠くんね、あんまり私たちと話してくれないんだよ」
「そうなのか?」
「うん。いつも笑顔で格好いいんだけど、すっといなくなっちゃうんだよね」
……それ、照れてるのでは?
いわゆる好き避けとか、そういう類いのものなのでは?
「だから、あんなに自分から話しかけるのって珍しいんだよ?」
「ふうん」
俺の前では、宮野さんが緊張したり、すっといなくなったりすることはない。むしろ部屋に突入してきたくらいだ。
……それってつまり、どういうことなんだろうな。
まあいいか。どうだって。




