3話 勝負はリングの上でしか起こらない
夕食は、全員揃った記念で五人の食事。
その最中ずっと宮野さんは「ううむ……」と俺のほうを凝視していた。試しに俺からも「ううむ……」と凝視してみると授業中に目が合ってしまう両片想いみたいだね。それで気まずくて視線を外してくれたら狙い通りだったのだが、宮野さんはますます難しい顔で俺を「ぐむむ……」と見つめてくる。顔面に穴が空きそうだ。
そうしていると、ジト目の七瀬さんに怒られた。
「どうして先輩は悠奈さんを見つめてるんですか女子高生ブランドはそんなに眩しいですか?」
「失ったものは皆眩しいものだよ。胎児期から高校時代まで、余すことなく」
「先輩の守備範囲の広さは宇宙的ですね」
「ふむ。トム先輩の守備範囲とな」
「トム先輩って誰?」
この食卓にいきなり現れた外人ニキ。だが、ぐるりと見回してもそれらしき人は見つからない。
「戸村先輩だから、トム先輩なのだ。我ながらいい呼び方だと思っている」
「新手の嫌がらせか?」
「そんなことはない。ボクは敵対者であろうと敬意は払う」
胸に手を当て、さながら選手宣誓のように。別に俺との対立を宣言するのはいいけど、理由を言ってダメージを受けるのは宮野さんだ。そのへん、ちゃんとわかってる? この家はボクのハーレムだ! って言える?
「てきたい?」
案の定不思議そうにする七瀬さん。
「ああ。トム先輩とボクは、前世からの深い因縁があるんだ」
「ないよ」
「いつかこのような邂逅を果たすことは、互いにわかっていた」
「俺は知らなかった」
「ついに決着をつけるときが来たのだ!」
「来てないよ」
静かに箸を進めながら、冷静に返す。向こうが興奮してるとこっちが落ち着くの、あるあるだよね。
お椀を持って静かに流し込む。
「あ、この味噌汁美味い。バター入れた?」
「そうそう。ちょっと味がまろやかになるかなーって。ジャガイモとも合うでしょ?」
「じゃがバターがあるくらいだしなぁ。なるほど。料理の進歩ってこういうものなのか」
「戸村くんは味覚がいいねぇ」
えへへと笑う古河。あら可愛い。
「ずむむ……手強い」
適当に受け流していたら、ますます鋭い目つきで宮野さんがこっちを見てくる。
「むぅ……」
あともう一人、七瀬さんもなんか複雑そうな顔で見てくる。なんで増えた?
その様子を見て面白そうだと思ったのか、古河もこっちをじぃっと見てくる。「じー」効果音がストレートだ。
三人の女子に見つめられる。三方を女学生に囲まれ、残り一方はマヤさん。もしかしてここは鎌倉幕府? 攻めづらく守りやすいが逃げ場がない。
「真広がモテ期ね」
「……ウレシイナー」
打開方法もわからないので、無感情に流しておく。
◇
夕食後しばらくして、八時頃からが七瀬さんとの家庭教師タイム。はいそこ、夜の家庭教師とか言わない。俺にそんな趣味はありません。
ルーズリーフと筆記用具を持って一階に降りる。
やつはそこに待ち構えていた。
七瀬さんの正面に座り、背筋を伸ばしてこっちを見てくる。あんまり真っ直ぐな視線だから目を合わせられない。これが恋?
「やあトム先輩。夕食時はずいぶんと翻弄してくれたね」
「はぁ」
「勝負の続きだ。次は授業のわかりやすさを競おうじゃないか」
「ほぅ」
「自慢ではないが、ボクはそれなりに勉強ができる。中学生の範囲であれば、十二分に指導ができるだろう」
「へぇ」
「そうかそうか。わかってもらえたようだな」
「うん」
あとこの子、どんだけ適当に相づちを打っても気がつかない。見た目が美少年なだけに残念だ。残念系美少年。ん? 今なにか琴線に触れそうだったな。
だが、その思考は少女の声によって打ち消される。
「あの……私の意見はどうなるんでしょうか」
「いいんじゃないかな。いろんな教え方を経験するのは、七瀬さんのためにもなると思う。解法だって一つじゃないし」
「そうですか」
「もちろん。嫌なら俺が引くよ」
「なんで先輩がやめる前提なんですか!?」
「いやだってほら、女の先生のが心を開きやすいみたいなのはあるかなと」
「先輩のことを男の先生だとも思ってないので大丈夫です」
「うーん複雑」
男として見られていない、というのはこの空間では喜ぶべきなのだろうけど。ほんとに大丈夫なのか戸村くん。ちょっと他人事みたいに心配だ。
とりあえず、いつものように七瀬さんの左隣に座る。
「へ?」
それを見て、ぽかーんとする宮野さん。
「「?」」
こちら側の二人揃って首を傾げる。
「な、なな、なぜ二人は隣り合って座っているのだ?」
「これが一番教えやすい座り方だから」
「破廉恥な!」
なにかのスイッチを入れてしまったらしい。顔を真っ赤にした宮野さんは、沸騰したヤカンみたいだ。
「ゆ、ゆゆ柚子ちゃんさんとそんなに密着して、『さあ、夜の授業を始めようかぐへへ』とかやっているのだろうこの猛獣は!」
「先輩のぐへへは小学生にしか向いてないですよ」
「そうか。ならば安心だな」
「フォローしようとする気持ちはありがたいけど、気持ちだけそっとしまっておいてほしいな……って、安心してる?」
理由はわからないけど、怒りは収まっていた。なにこの超常現象。
「冷静に考えれば横にいれば紙を反転させる手間が省ける。いやはや、失礼した。ボクとしたことが取り乱してしまった」
「……じゃあ、やろうか」
変な空気感だけど、始めてしまおう。数学の前では人間ごときの感情は無意味。
今日は一年生のやばやばゾーン。比例とグラフ。
「せっかくだし、宮野さんにやってもらおうか」
「うむ。自慢ではないが、数学は得意としているのだ」
がっつり自慢げに言うと、「失礼。ルーズリーフをもらえないだろうか」と聞いてくる。基本的に礼儀正しくはあるんだよな。一枚出して渡す。
さて。現役女子高生はどんな説明をするのだろうか。
「グラフはフィーリングだ。数式の声を聞けば、おのずと理解できる!」
「…………」
コンコンと宮野さんが紙をシャーペンで叩き、そして空気が凍った。
「傾きという概念があるのだがな、これは式の上でaと表記されるが決してそんな単純なものではない。xが1増加するときのyの増加率を表す非常に大事な要素であり――」
軽快なリズムで紡がれる解説は、七瀬さんの耳を右から左へ通り過ぎていく。
しばらくはすることもないので、ポットのお湯でルイボスティーを作っておく。うーんいい匂いだ。心が安らぐ。
コップに注いで、鼻先で湯気を楽しむ。
「あの……わからないです」
七瀬さんのギブアップ。ピキッとフリーズする宮野さん。
死んだ空気の隣で優雅なティータイムを楽しむ俺。
「あれだな。宮野さん。君はちょっと頭が良すぎる」
「なっ――」
「説明の具合からして、グラフへの理解はできているし、説明としても立派だとは思う。だけど致命的に、わかっている人向けの説明なんだ」
「……つ、つまりそれは……どういうことなのだ」
「生徒の理解度に寄り添えてないって感じかな。難しいことだけどね」
「はぐあっ」
短い断末魔と共に、机へノックアウトされる宮野さん。これがギャグ漫画の世界だったら吐血してた。
「……では、どうすればいいのだ」
「正解はわからないけど――そうだな。俺だったら、七瀬さん、理科でグラフを書いたことはあるよね?」
「ありますけど」
「じゃあさ、y=xを表にしてみて、それをグラフ上に点で取ってみようか」
実際に点を書いてもらって、それを直線で繋ぐ。おお、すべての点がのっている。だけどこれで終わりじゃない。
次はy=2xでやってもらう。そうやっていくつか例を体験してもらってから、本題に入る。
「薄々気がついたと思うけど、この形の式は直線を表現できるんだ。経験的に理解できたかな」
「はい。……なんとなくですけど」
「それでいい。じゃあ次は、表を書かなくてもグラフにする方法を教えよう」
いつもの調子で進めていく。
その様子を宮野さんは黙って観察していた。じいっと食い入るように。拗ねている様子はなく、ただ純粋に興味深そうに。
一段落ついて休憩のタイミングで、感心したふうに言ってくる。
「トム先輩は柚子くんのことを深く理解しているのだな」
「――、そうですよ。先輩は私のことをよく理解しています」
「なんで七瀬さんが答えるの?」
俺が返事するターンだったと思うんだけど。
「先輩がやめようとするからいけないんです。私の先生は先輩だけなんですからね」
「ぐぎぎっ」
やや拗ねた上目遣いを向けてくる七瀬さん。可愛すぎる。
青筋を立てて俺を睨んでくる宮野クリーチャー。美少年どこいった。
「こういうのは慣れもあるし。俺に有利すぎた。勝負とか、するだけ無駄だよ」
なんとか宥めようとする。どうどう。人間は敵じゃないぞ。どうどう。
しばらく一方的な和解交渉を続けていると、宮野さんはふっと全身から力を抜いた。
その目は疲れていた。だが、なにかを諦めきれない執念に満ちている。
「完敗だ。ゆえにトム先輩。これからは、ボクもあなたから学ぼうと思う」
「んん?」
「安心してほしい。授業の邪魔はしないよ。それでは、後ほど」
すごく嫌な予感のすることを言って、リビングから出ていく。
「…………?」
腕組みをして、なにが起こっているのか整理してみる。できなかった。
「あの、先輩」
珍しく優しい声を掛けてくれる我が後輩。だが、その瞳にははっきりと軽蔑の色が浮かんでいる。
「よかったですね。女子高生と仲良くなれて」
「感動して言葉を失ってるわけじゃないからね!?」




