1話 美少年(女)
四月に入って、大学からの連絡も入ってくる。新入生らしき人々が街にもあふれる季節。サークルや部活は勧誘のビラを配りながら、目を血走らせて北へ南へ駆け巡る。
そんなお祭り騒ぎからは距離を置き、かといって何事も起こらないわけではない。
誰にとっても、四月は変化の季節なのだ。
「ねえマヤちゃん。悠くんって今日帰ってくるんだよね」
「そうよ。もうすぐ駅に着くって」
「?」
「春休みの間は帰っていた人ですよ。先輩はまだ会ったことないですけど」
リビングに四人揃っていて、なんか今日は珍しいなぁ。と思っていたらこれだ。
前から耳にしてはいたが、すっかり忘れていた。もう一人の女子。上手くやれるだろうか。考えただけでヒヤヒヤする。
「ええっと。その人って、大学生だよな?」
春休みの時期が俺たちと被っていたから、そう思っていたのだが。
「女子高生よ」
「先輩、女子高生という響きに反応しないでください」
特定のワードにビクッとしたのを、七瀬さんが的確に咎めてくる。だが、それは誤解だ。意味が違う。
「俺は女子高生と聞いて喜ぶような人種じゃない。……恐れてるんだよ」
「また変なこと言い出してます」
「いいかい七瀬さん。女子高生というのはね、この世で一番男の心を抉るのが上手い人種なんだよ」
「偏見だと思います。というか、私も来年には高校生になるんですけど」
「君は今でもそうじゃないか」
「先輩には効いてなさそうですけどね!」
まあ確かにノーダメージではある。変態と言われてもそうだねと返せるし、あれ? 俺ってそういうのに耐性あるのか?
「真広なら大丈夫よ。なんだかんだ柚子とも打ち解けたみたいだし」
「ですかねえ」
「うぅっ……」
なにかを思い出したのか、すっと視線を下げる七瀬さん。ツインテールがしゅんと垂れ下がって、存在感を小さくする。
「なにかあったら、この水希さんに任せていいからね」
「あ、うん。わかったわかった」
「びっくりするくらい適当に返されたっ!」
古河のことはママとして信頼しているけど、人間関係については任せられないと思っている。ママは引っ込んでて! と言いたいお年頃なのだ。知らんけど。
午後のぬるっとした空気と、休日のテレビ番組。あくびが出そうなくらい平和だ。この国は素晴らしい……。
そして、平和は唐突に崩れる。
ガチャッ――玄関の鍵が開く音。
「き、来た」
「敵襲じゃないんですから落ち着いてください。頭も隠さなくて大丈夫です」
そういえば前に、宮野さんは男に間違われることが多いとか言っていたような……。あれってどういう意味なんだろう。やっぱり、ヤンさんなのだろうか。
乱暴なのは嫌なので自室に籠城したいです。
そんなことを考えていた。
しかし、ドアを開けて中に入ってきたのは――
「やあ、ただいま」
短く整えたマッシュヘア。すらっとした体型に、ややキリッとした顔。爽やかな雰囲気で、眼鏡の奥の瞳は理知的に光る。
「び、……美少年?」
「ははっ。よく間違われるけど、戸籍上は女性だよ。あなたが新しい住人だね」
「戸村真広です。大学生やらせてもらってます」
「ボクは宮野悠奈。高校生だし、気安く呼んでもらって構わない」
宮野さんはキラキラしていた。笑顔といい振る舞いといい、王子様のように優雅で余裕を感じさせる。人生の強者感がハンパじゃない。
自己紹介を済ますと彼女はふっと微笑んで、視線の向きを変える。
「部屋はそのまま使っていいんだよね、マヤさん」
「いいわよ。しばらく使ってないから、掃除しときなさいね」
「了解した。それでは、また後ほど」
廊下に出て、二階に上がっていく宮野さん。
えっ、なにあの人格好いいんですけど。俺の中にいるはずのない乙女の部分が騒いでるんですけど。……それはさすがに冗談としても。
なんだあの美少年(女)は!
「先輩の感情って、楽しいかパニックのどっちかですよね」
「俺の感情乏しすぎるでしょ」
喜怒哀どこいったよ。
「そうだよゆずちゃん。戸村くんには『無』もあるよ」
「人はそれを感情とは言わないんですよ」
「じゃあ戸村くんに感情はないね」
「古河……」
満面の笑みでサイコパス認定された。俺の感情は……あります!
主張してみようとしたが、そのまま古河と七瀬さんはガールズトークに移行していった。もはや俺の入る余地はない。
残ったのは、こっちをまじまじと見つめるマヤさん。
「……はい。どうしましたか」
「なにも言ってないけど?」
「では、またどこかで」
「まあ待ちなさいよ。真広、あんたの誕生日って五月よね」
「そうですけど」
頷くと、マヤさんは「ふひひ」と笑う。なにその笑い、めちゃくちゃ怖いんですけど。
ふひひて……。
「次の誕生日には二十歳。ということは?」
「なるほど」
「四月からは仕事も減るし、呑み仲間はいるし、つまみ要員もいるし。完璧ね」
「…………」
いやさあ。もしかしてなんだけど、この家に男を連れてきた理由ってさ。
古河は飯食い要因として。マヤさんは呑み仲間として。だったのか?
あり得る。っていうかそれしか考えられなくなってきた。
改めて思う。
俺はとんでもない場所に来てしまったらしい。