17話 お出かけ その3
寄り道を終えて、今度こそ本屋に到着する。駅前の商業施設にある本屋。地方によってその規模は異なるだろうが、フロアのほとんどを占めるここ伊ノ国屋は大きい部類になるだろう。
漫画やライトノベルから、大学受験の参考書、資格試験の過去問題までずらりと並んでいる。普通の捜し物をするのには、ややオーバーキルな感じもするが。
「ひ、広いですっ。それになんか、大人っぽい」
どうせ同じ買い物なら、少しオシャレでワクワクする場所の方がいい。そう思って、ここにしたのだ。
「大人っぽいって言うの、最高に子供っぽいよね」
「うぐっ、先輩のいじわる……」
「ごめんごめん。後でチョコあげるから許して」
「子供扱いの極みじゃないですか!」
むーっと頬を膨らませ、ぐっと拳を固める。え、殴られる? と思ったが、手は下げたままだ。力で解決するつもりはないらしい。
「じゃあチョコはなしで」
「チョコはいただきます。当たり前じゃないですか」
「お、おう?」
有無を言わせぬ物言いに押し切られてしまう。なにか論理が破綻したような気もするが、きっと気のせいだ。
高校受験のコーナーまで行く。さて、ここからが本題だ。
どんなものを選べばよいか。七瀬さんが使いやすい。という大前提はあるとして、もう一つ。俺が教えるのに使いやすいというのも重要だ。
そういう意味では、二人で来たのはいい選択だったと思う。
「先輩先輩。選ぶコツとかってあるんですか?」
「例題が多いこと、解説が丁寧なこと。なるべく簡単なこと。かな」
「簡単でいいんですか?」
「受験っていうのはね、間違えちゃいけない問題を間違えなければ受かるんだよ」
「…………難しくないですかそれ」
「難しいというよりは、大変かな。だけど難問をいくつか当てるよりは、ずっと確実だ」
「急に自信がなくなってきました」
「そうだね。でも、その不安は大事にした方がいい」
全問正解しなくちゃいけないわけじゃない。出題側が解いてほしいと思った問題を、確実に取る。難問で一気に稼ぎたくなる誘惑を切り捨て、コツコツと得点を積み上げる。
勇気と根気とやる気。俺の持ってないもの三点セットが必要になる、大変な道だ。だがもちろん、その道を選ばない方法もある。
勉強をやめてしまえばいい。
すべての悩みは、やるやらない。の二択に落とし込んで、やらない選択をすれば解決する。実際、そういう人はたくさんいる。
いつかその道を、彼女も選んでしまうかもしれない。それを止める権利は俺にはないけれど。そうならないように、手を貸すことはできる。
「これなんてどうかな」
手に取ったのは、薄めのワーク。数学で、範囲は一年生のものだ。三年生まであって、中を見た感じ難易度は低め。解説も過不足ない。
「いいんですか? これ、けっこう薄いですよ」
「むしろ薄いからいいんだよ。永久に終わらないテキストなんて、やりたくないでしょ?」
「なるほどです」
一冊を完璧にしろ。というのはどこでも言われている。だが、どこでもやられているかと言うと……まあね。
「じゃあ先輩、国語はこれとかどうでしょうか」
「ん。ああ……うん。これ使うか」
ばーっと中身を確認する。古文にはちゃんと言葉の意味を聞く質問もある。現代文の解説は……まあ、悪くない。
五分ほど中身を見ていただろうか。ふと顔を上げると、じっと見つめてくる七瀬さん。だが、目が合うと慌てて逸らされる。その頬がやや赤い。風邪か? でもさっきまでは元気だったしなぁ。
「ごめん。ちょっと夢中になってしまった」
「い、いえ。別にいいですよ。っていうか、ありがたいですし」
目を逸らしたままで、すっと別のテキストを渡してくる。
「理科はこれとかどうでしょう」
「お。ちょっと中見るね」
そんな調子で、残りの教科も決めた。
合計の金額については、ここで言及するのは控えておこう。
◇
「さぁて、無事に参考書も買ったし帰るか!」
軽快なステップでお家へGOしようとした腕を、後ろからぐいっと引っ張られる。うげっ。
「先輩の服のことを忘れてますよ」
「忘れていたんじゃない。忘れようとしていたんだ」
「もう。そうやって自分のことは蔑ろにするんですから」
「いやいや、マジで服に興味ないし。俺が格好よくなって誰が得するわけでもないし」
ところで女の子の「もう」って真剣に可愛いよね。この研究成果をレポートにするためにも、今日は早く帰らなくてはならない。
「得する人ならいますよ」
「たとえば?」
「わ、…………マヤさんとか」
「マヤさんが?」
「そうです。私たちのシェアハウスにいる人が格好悪いと、新しい入居者がいなくなるかもしれないじゃないですか」
「得っていうか損だねそれは。というか、今は満室なんじゃなかったっけ」
「もっと先の話です! その時が来たら、先輩は急にオシャレになるんですか?」
「断言しよう。ならない」
「そこは断言しないでほしかったです……」
しょんぼりする七瀬さん。いくらなんでも、年下の――それも五歳下の女子にこの表情をさせるのは心が痛む。
仕方がない。
「じゃあ、ちょっと行ってみるか」
「そうですよ。その調子です。先輩だって、やればできるんですから」
「あれ? もしかして子供扱いされてる?」
七瀬さんもただでは転ばない。ということだろうか。
たくましい後輩だ。




