15話 お出かけ その1
人に物を教えるというのは難しいもので、どうしても指針となるものが必要になる。
学校の教科書は解説が付随しておらず、自習のための参考書は必要不可欠だ。
マヤさんを通して七瀬さんの両親に話を通し、教材の購入について了承を得た。お金の心配はないらしい。
「――ということで、参考書を買いに行こうと思うんだけど」
「私のですよね?」
「そう。七瀬さんが使うやつ。先に好みとかを聞いておきたくてさ」
「好み……?」
ぴんとこないのだろう。首をこてっと倒して視線を泳がせる。
まあそうか。高校受験。これが人生で初めての受験になる人は多い。
「そんなに種類があるんですか?」
「ありすぎて困る。その豊富さゆえに、一部の受験生は参考書コレクターへと姿を変えてしまうほどだよ」
「それ、ダメな人ですよね」
「うん。参考書コレクターになったが最後、第一志望には落ちる。浪人しても増えるのは偏差値ではなく参考書の種類。勉強時間をこなしても、どうせすぐ別の参考書に浮気するから経験値は溜まらず……おっと。これは社会の闇だったね」
七瀬さんは顔を青くして引いていた。
「参考書……怖いです」
「だから、ちゃんとした一冊を選ばなきゃならない」
「どうすればいいんですか?」
「俺が選ぼうかと思うんだけど。正解もないしなぁ」
人にこれと示せるほど知識があるわけでもない。給料が発生する以上、責任をもって取り組みたいとは思うが。
「じゃあ、私も選びに行きます」
「ん?」
「先輩のアドバイスを聞いて、自分で選んでみたいです。それじゃダメですか?」
言われてみれば確かに、それが一番確実かもしれない。
というわけで、一緒に買いに行くことになった。
◇
その翌日。
俺は玄関で靴を履き、時間通りに出発の準備を完了する。だが、七瀬さんの来る様子がない。しばらく待っていると、慌てた足音が二階からする。
「すみません、遅れましたっ!」
白いセーターに、膝丈のスカート。黒いタイツで防寒もして、手にはポーチを持っている。髪はいつもと違って結ばず、真っ直ぐに下ろしている。
「いいよ。準備お疲れさま」
立ち上がってドアを開け、七瀬さんが出てきてから鍵を閉める。
「その服、オシャレだね」
「そ、そうですか? ……別に、普通だと思いますけど。ありがとうございます」
さらっと褒めておく。うん。これでよし。
下手に可愛いと言えばセクハラになりかねず、だからといって触れないのも失礼。そんな板挟みを解消できる魔法の言葉オシャレだね。
「先輩も今日は格好――は普通ですね」
「うん。俺はいつも通りだ」
無難という概念を抽出したような服を着ている。『大学生 メンズ 服』で検索したら腐るほどでてきそうなコーディネート。
「お出かけ用の服とかってないんですか?」
「ない」
「断言されてしまいました……」
「俺くらいになると、明日すべての服が全身タイツになっても問題ない」
「ありありです! 見てて地獄だからやめてくださいね!」
「ダメかぁ」
「ダメに決まってるじゃないですか」
「体温調節が難しそうだもんね」
「機能性の問題じゃないんですけど」
見た目がうんぬん……と言いながら七瀬さんはむくれていたが、ふと思いついたように手を打つ。
「そうだ。先輩の服も選びましょう」
「えぇ……いいよ俺の服とか」
「買わなくてもいいですから! 見るだけでも! だってほら、先輩ってけっこう顔――は普通の普通の普通ですけど……はい、普通だけどなんとかなるタイプだと思うので!」
「すっごい普通を連呼するじゃん」
なぜか後ろに回り込んで、力強く背中を押してくる。まだぜんぜん服屋とかないんだけど。
「だって先輩、普通にかっこ……普通じゃないですか」
「普通(普通)って、どんだけノーマルだよ。平均値取り過ぎだろ」
そこまでいくともはやレアだ。この国の男の平均ってどんなもんだろ。
「とにかく、服も行きますからね。先輩が私の参考書を手伝って、私が先輩の服を手伝います!」
「ジムアンドビリーか」
「ギブアンドテイクですよ。誰ですかジムとビリー」
「ギブとテイクの意味は?」
「ギブが与えるでテイクが取るです」
「そうそう。takeは確保するみたいな意味で、睡眠を確保するとかにも使われるからね」
「へえぇ」
しれっと知識をねじ込むと、七瀬さんは頷いて吸収しようとする。
勉強に対して苦手意識はあるが、学ぼうという意欲がある。だから俺は、彼女の力になりたいと思う。そのくらいの願いなら、叶う世の中であってほしいと思う。
最寄り駅の改札を抜けて、電車に乗り込む。
「先輩って、先生になるんですか?」
「なんでまた急に」
「だって教えるの上手いじゃないですか」
「そんなことないよ。それこそ普通だし」
一対一だからそれっぽくできるが、集団相手にはどうしようもない。
なにより俺は、先生となるのに最も必要な素質を失っている。
「自分より頑張ってる人に頑張れとは言えない。だから俺は、先生にはなれないんだよ」
「……そうなんですか」
「そ。先生って実は凄いんだぜ。俺なら三時間で退職する」
「三日は頑張りましょうよ」
くすくす笑いながら言う七瀬さん。そういう反応をしてもらえると、こっちとしては助かる。
ボケる側というのは、いつだって相手の反応に一喜一憂するものだ。