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人生に疲れた俺は、シェアハウスにラブコメを求めない  作者: 城野白
秋 1章 戦うOLはまだ、ここにいたい
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8話 開戦

 ――いいのよ別に。私は好きでやってるんだから。


 特大の炭酸が抜けるような音がして、電車のドアが開く。プラットホームに降りて、穂村麻耶はようやく緊張の糸を緩めた。階段を下りて自動改札を抜け、コンクリートを踏む。全身に馴染む疲労にも、とうに慣れた。だが、自分が社会人をしているという事実にはまだ、違和感がある。


 ずっと、夢を見ているみたいだ。


 すれ違う途中の電車みたいに、人生のペースが周囲と揃わない。同年代の話を聞くたびに、自分の現在地がずれていることを思い知らされる。苦痛と呼ぶほどのものではないから、同窓会などには参加しているが、その微々たる差が埋まることは永久にないのだろうと思う。


 街灯の下に蛾が集まっている。


 明かりのともった家の間を通って、麻耶はコンビニに寄った。お気に入りのビールを買ったのは、今日が誕生日だからだ。自分へのご褒美はそれだけでいい。


 家に真っすぐ帰るのに躊躇って、近くの公園に寄る。ブランコに座って月を見上げた。


 ――俺、わかった気がするんです。マヤさんが穂村荘をやってる理由。


 あの真っすぐな目を、受け止められなかった。

 沖縄のカフェの焦点の合わない壁と、中途半端に溶け残った氷の音が消えない。


 穂村荘に真広が入ってきて、停滞していた家に波紋が広がった。波紋は周囲のものを巻き込んで、今、麻耶の元へも届こうとしている。


 けれど。

 それは意味のないことだ。

 麻耶は彼女たちとは根本的に違う。真広がなにを考えたところで、手が届くことなどありえはしないのだ。







 玄関の鍵が開く音に、俺たちは敏感に反応した。宮野は武者震い。七瀬さんはシンプルな振り向き。そして古河は、迷うことなくキッチンへ吸い込まれていく。


 いつもはまずリビングにくるマヤさんだが、今日ばかりは勿体ぶるように先に手洗いをして二階という七瀬さんルート。降りてきたのは、もう少ししてからだった。その間に古河は料理の温めを完了し、テーブルは完璧に彩られた。


 マヤさんが降りてきて、リビングに入る。


「……ただいま」


 主役は少しばかり気まずそうに、硬い表情をしている。


「「「「おかえりなさい」」」」


 四人で声をそろえて迎え入れる。

 マヤさんは俺の顔を見て、不可解な表情をした。俺がなにか仕掛けているものだと思ったらしい。残念ながら、仕掛けなんてものはしちゃいない。


 ダイニングテーブルに移動し、マヤさんが誕生席になるように座る。俺はキッチンへ移動する。

 ずらりと並んだ料理を見て、マヤさんは呆れたような笑みを浮かべる。


「ねえ水希。これ、大変だったでしょう」

「へーきへーき。今日はみんなも手伝ってくれたからね! 百人力が三乗で百万人力だよ!」


「指数の恐ろしさを肌で感じてるわ」


 マヤさんが軽く引くのも頷ける。なんたって、目の前に広がるのはシェフ古川水希、全力中の全力。有能すぎる助手の七瀬さんを筆頭に、俺たちにもガンガン指示を飛ばしてきた。今日の彼女は、総料理長という肩書がついていてもおかしくないほどのキレだ。


 全員の前に並ぶのは、白を基調とした皿に載った前菜。野菜のやつと、刺身のやつと、なんかチーズのやつ。一個も名前はわからない。その横には丁寧に作られたポタージュとサラダ。


 テーブルの中心に置かれたバスケットのパンも、今朝から古河が焼いていたものだ。

 キッチンにはまだメインディッシュも控えており、そっちは赤ワインで煮込んだ牛肉。デザートには特製のケーキが待機しているらしい。


 これもう完全にレストランなんだよ。


 ……本気でやろうとは言ったが、ここまで本気とは思っていなかった。


 半端じゃない速度で料理をさばいていく古河の横顔は、常日頃のふんわりとは打って変わって凄まじく凛々しいものだった。今も若干、その余韻が残っている。


「マヤさん、お酒飲みますか?」

「いただくわ。今日はなんのお酒があるの?」


「シードルです」

「いいセンスじゃない」


 昨日のうちに古河といろいろ話し合って決めたのだ。最終的には、飲酒経験のある俺が判断した。マヤさんがほほ笑んだのを見て、内心でほっとする。


 ワイングラスに注いで、俺とマヤさんの前に置く。ほかのメンバーはすでにソフトドリンクを準備してある。


 咳払いをしたのは宮野だ。コップを掲げて、全員に促す。


「それでは、穂村荘において最も重要な一日――マヤさんの誕生日を祝して、乾杯!」

「言いすぎよ」


 ツッコミながらも、まんざらでもない顔をしてマヤさんがグラスを持つ。

 ガラスの音が、俺たちの真ん中で鳴る。







 豪勢な夕食の後にケーキまで食べて、俺たちの完璧な誕生日パーティーは無事に完了した。


 ざっくりとした片づけを済ませている間に、マヤさんはシャワーを浴びたらしい。部屋着に着替えてリビングに戻ってきて、まだ部屋に戻らない俺たちに驚いたような顔をする。


「今日はやけに集まってるじゃない。もしかして、まだなにかあるの?」

「マヤさんの体力が残っていれば、ですが」


 俺が前に出ると、露骨にマヤさんはギラリとした目になる。


「なに余計な心配してんのよ。私がこの程度で音を上げるわけないでしょう」

「じゃあ、やりますか。前回は最下位でしたが、俺もちゃんとしてきましたからね……初詣」


 コントローラーを手にもって、にやりと笑って見せる。


「たろ鉄で勝負です。次は負けませんよ」


 マヤさん討伐、開始だ。

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― 新着の感想 ―
やはり、社会人と学生の立場の違いが問題なのでしょうかねぇ。 社会人と言えど、自営なんかだとまた違ってきそうだけど。
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